shin-1さんの日記

○限界集落

 昨晩は「限界集落」についての勉強会が伊予市であり、仲間8人を誘って出かけました。この手の勉強会は得てして役所か役所に務めている人が仕掛けるものですが、今回は伊予市の商店主として中心市街地の活性化に積極的に取り組んでいる人の音頭で始めました。彼は伊予市の中心市街地の空洞化も私たちの住む田舎の少子高齢化、過疎化も元をただせば同じ悩みだと言うのです。私もそうだと思い合併以来伊予市の人と余り突っ込んでまちづくりへのかかわりをしていないこともあって、誘いに乗りました。伊予市といいながら、旧伊予市と双海町や中山町のような中山間地域とでは抱えている問題は全く次元が違うのですが、人口問題からえぐってみると意外な共通点が浮かび上がってくるようです。

 私は「限界集落」の問題の勉強会に誰を誘えばいいのか迷いました。田舎にどっぷり浸かり過ぎる人にこの問題を話すと、やたら行政批判になってしまいます。逆に田舎を愛せない人に話すと「それは行政のやること」として一蹴されてしまうのです。「最初から行政批判をしない人」「自分たちにでも何か出来ることがあるかもしれないと思う人」をリストアップして9人の人に手紙を出したのです。その中の一人は年齢を理由に固辞の電話がありましたが、残る8人は全員参加をしてくれました。10人ほどの参加を見込んでいた中山町はお二人の参加だったため拍子抜けがしましたが、私の役目は一応果たすことが出来たようです。

 さて、呼びかけ人の商店主は資料提出を渋る市役所から貰った基礎データーを基に、様々な資料をパソコン加工して当日に間に合わせてくれました。私は数日前事前にこの資料を商店主の店に行ってあらかじめいただいて意見を戦わせていたので、彼の約1時間にわたる詳しい説明は納得しながら聞きましたが、初めて参加した人たちはその資料の緻密さや厳しい実態に驚きの声を上げていました。

 限界集落とは65歳以上の人口比率が50パーセントを超えた集落、準限界集落とは55歳以上の人口比率が50パーセントを超えた集落、存続集落とは55歳未満の人口比率が50パーセント未満と位置づけた、これらの意味さえも理解し難い人たちに、これらのデーターはどう写りどう考えたことでしょう。

 最初のことでもあり参加した人全員からショートコメントのような形で意見を出してもらい、とりあえず次の勉強会を4月に中山町で開く事を決め散会しました。



 私たちの双海町グループはその後意見交換会と称して近くの飲み屋に繰り出し旧交を温めました。乾杯をするようになってわが家から電話がかかり、親父が体調不良を訴えているようなので直ぐに帰るように言われました。私が仕掛けた会議なので後ろ髪を引かれるような思いで店を後にしました。幸い下灘診療所の先生が往診に駆けつけてくれて大事には至りませんでしたが、医療という限界集落を巡る問題を目の当たりにしてハッとするような出来事でした。

 「限界集落」の勉強会は始まったばかりですが、そこから見えてくる様々な地域問題に挑む地域づくりもこれから私の大きなテーマになりそうです。参加したある人が「65歳以上を高齢というが、それは実態と違う」とギクリ釘を刺しました。「うーん一利あるなあ」と感じました。

  「限界と 呼ばれる集落 増えている 役所は何を 考えてるか」

  「六十五 以上を高齢 いうけれど いやいや違う 異論唱える」

  「役所より 凄い資料に 加工して 人口問題 いよいよこれから」

  「後二年 したら私も 高齢者 ぞっとするけど これが現実」


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shin-1さんの日記

○季節外れのジャガイモ

 昨年の秋、同じ市内に住む水口マリ子さんから電話があり、ジャガイモの種があるので植えないかとお誘いの電話がありました。水口さんは更生保護婦人会の役員を務める私の最も親しい友人の一人で、お家は育苗農家として手広く経営をされています。ふとしたことから知り合い、今では季節の野菜や葉牡丹の鉢植えまでいただいています。特に水口さんの炊く黒豆は絶品で、正月のおせちにと毎年いただくのですが、甘さを控えた黒豆は家族の大人気で、小出しにして美味しく食べました。

 わが家の敷地は660坪と田舎らしくて広いものの山を背にしているため、晩秋から初冬にかけて日当たりが悪い難点があります。したがって冬野菜は晩秋でも陽の当る早めに作付けをしないと人並みには出来ません。水口さんからいただいたジャガイモの種は既に芽吹きをして「早く植えて欲しい」といわんばかりの元気な種芋でした。「秋ジャガイモの種は切らずにこのまま植えなさい」と指導を受けて、その日のうちに植え付けしました。

 やがて立派な茎が青々と育っていましたが、やがて初冬になりその茎も次第に弱り始めて、今ではハコベなどの草に埋もっていました。正月を挟んだ頃には一緒にいただいたブロッコリーやカリフラワーがぐんぐん生長し、今まで見たこともないような立派な花野菜が出来て、毎日美味しくいただいていますが、その脇に忘れられたように茎を弱らせているジャガイモ掘ってみると、土の中から雪のようにという表現がピッタリの真っ白いジャガイモが出てくるのです。春ジャガイモのように沢山の数ではありませんが、一株毎に2~3個ですが、見たこともないような大きなジャガイモです。こんなに出来たのは初めてなので近所や娘、息子に水口さんからいただいた種芋だと離しながら、さも自分の作り方が良かったかのように得意げになっておすそ分けをしました。まだ土の中には沢山の芋が残っていますので、寒中ゆえいつまで持つか分りませんが、小出しにしてその味を楽しんでいるところです。

 さてこのジャガイモは今のところシチューやカレーのほか、マッシュポテトにしたりして味わっていますが、美味しい食べ方は輪切りにして魚の煮付けと一緒に炊くと美味しいし、堀りだちを塩湯でしてバターかマーガリンでいただくとこれまた抜群です。堀りだちのジャガイモは薄皮がパリンと割れて、粉を吹くような舌触りが何ともいいものです。

 園芸店の店先には早くも春植えのジャガイモの種芋がうず高く積まれ、季節の変化を告げています。昨年収穫した春ジャガイモは、思わぬ秋ジャガイモの出現にその座を奪われ、倉庫の片隅で寂しく芽を出しています。ジャガイモの芽は中毒を起すといわれて敬遠されるのか、妻もどちらかというと秋ジャガイモに目を奪われているようです。親父はそんな姿を見取ってか、芽が出たジャガイモを選んでゴミ袋に入れて処分しているようです。

 春はもうそこまで来ています。昨日出かけた人間牧場の梅林では早くも一本だけ満開の梅の木がありました。芳しい香りに誘われてメジロが沢山蜜を吸いに来ていました。

  「秋ジャガが 土の中から 顔を出す 白い肌して 妻のようだね?」

  「食卓に 並ぶジャガイモ 人面に さて誰の顔? 思い出しつつ」

  「体調を 気遣う妻の 手料理に 美味いもんだと ねぎらう言葉」

  「種芋を 貰った人の 名前言い おすそ分けする でめてお返し」

  

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