shin-1さんの日記

○冬の草刈り

 昨日はテレビを見ていたら、四国の高速道路やJRなどが雪のため通行止めや運転見合せというテロップが流れ、南国ゆえに雪に弱いなあと、先月秋田県横手市で体感した大雪を思い出しました。12月だというのにあんなに雪が降り、積雪が10センチを越えても、タクシーなど60キロ近くの速度でバンバン走っているのには驚きました。そこへ行くと四国は道に薄っすらと雪が降っただけでも、やれスリップ事故だ渋滞だと騒ぐのです。でも今年の冬は確実に寒く、大寒入りの今朝もかなり気温が下がっていて、氷など張らないものの吹く風は冷たく肌身に刺すようでした。私たちの町ではこの季節に吹く風は西高東低の気圧配置のため北西の季節風なのですが、今年はどうしたことか、今日も秋に吹くはずの北東の風が吹いていました。やはり気象異変でしょうか、気圧の等圧線が縦だと北西、横だと北東なので、高気圧の張り出しもいつもと違っているようです。

 今日は寒いながら久しぶりにお休みなので、草刈機をオープンカーに積んで人間牧場の草刈りに出かけました。冬に草刈りなど聞いたこともなく、ましてや私もやったことがないのです。山道ですれ違う農家の人が「こんな寒い日に何処へ何しに」と聞かれました。「はい草刈りに」というと、「えっ、草刈りですか?」と怪訝そうな顔をされました。

 実は秋の終りの草刈りが遅れ、泥棒草と称する草がやたらと生えて、ズボンや手袋に付着するものですから、刈っておかないと、梅の花を愛でる時も、畑作業をする時もやんちゃなため、草刈機で借り倒そうと思ったのです。昨日の雨が尾を引き、今日も朝から小雨交じりのあいにくの天気でしたが、長い間使っていないものの草刈機も絶好調で、満タンにしたタンクが空になるまでエンジンを吹かして刈り込みました。一段落ついたところで手に入れていたブルーベリーの苗を植えました。細い苗なので路地で栽培できるまでに成長するかどうかは分りませんが、梅、スモモに続く果樹として、サツマイモやフキに加えるべく植え込みました。本当は薪ストーブを焚いてのんびり過ごす計画でしたが、雨足が強くなって天候の回復も望めないことから、農作業を断念しました。

 落ち葉を使った腐葉土作りも、その後豚糞を振り撒きそのままにしていたので、教育委員会の日山さんが手配してくれた透明なビニールを二枚切りして、囲いい中に入れた落ち葉の上に被せました。風が吹いて飛ばないよう豚糞の袋を四方に置いて、当分はこれで代用します。落ち葉は空気と水と発酵菌、それに水を加えると発酵が始まります。ただし外気温の低い状態では発酵しないので、このビニールで発行の際に出る熱で更に発酵を促進させようとするのです。本当はこの熱で囲いの中の室温を保ち、芋の苗床で季節を早めてイモヅルを確保する計画なのですが、3月には腐葉土が完成しなければならないので、少し早めの作業になったようです。

 雨がいよいよ本降りになってきました。早々に帰った私を見て妻はちょっと首を傾げ、「馴れない事をするから雨が降る」と皮肉たっぷりにいわれました。

 綺麗に草を刈った梅林では早咲きの梅が早くも5分以上咲いており、芳しい香りを漂わせていました。今年は友人たちと梅の花を愛でながら一杯やろうと約束をしているので、これで舞台は整いました。昨日人間牧場に醸造している梅酒を初絞りしましたが、中々の出来栄えです。梅酒に付けた梅は今まで捨てていましたが、これもお茶漬けの当てにもってこいだということが分り、昨日から妻と二人で食べ始めました。わが家の梅酒はカビ生え防止に少しホワイトリカーを入れているだけの、どちらかというと梅ジュースの類なので、子どもに飲ませても大丈夫なので、今年は子供たちにも飲ませてやりたいと思っています。

  「寒い冬 何故に草刈る 変じゃない お陰様にて 畑綺麗に」

  「二十年 使いこなした 草刈機 今も現役 俺に似てるな」

  「ピートモス 回りに入れて 土被せ 実験スタート 生るかも知れぬ」

  「土の下 早くも草は 根を伸ばし 春の準備 怠りもせず」



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shin-1さんの日記

○あなたはどうして輝いているの?

 私の知人友人たちが60歳定年というハードルを越えて、私と同じ自由人の仲間入りをし始めました。これまで肩書きや名刺がものをいう社会にいた人間にとって自由は憧れですから、殆どの人があれもしたいこれもしたいと思っているに違いありません。しかしいざ自由人になってみると、確かに会社や役所の縛りから開放されて誰はばかることなく発言や行動が出来るのですが、その反面収入がなくなるばかりでなく、今まで肩書きがものをいっていたのに、ただの人になるのですからその落差は相当なものなのです。こんなはずではなかったと思ってみても、世の中はそんなに甘くはなく、現役では生き生きと輝いていた人が自由人になった途端、まるでしぼんだ風船のように見る影もなく、健康までも損ねて落ちぶれている姿は哀れささえ感じるのです。

 数日前、えひめ地域づくり研究会議の年次フォーラムに参加してもらった友人と久しぶりに出会いお話をしました。「若松さん、あんたは仕事を辞める前も辞めた後も変わらず生き生きと輝いて生きていますが、羨ましい限りですね」と言われました。確かに私は言われるほど輝いてはいませんが、そこそこ輝いて生きていることは確かです。友人は「輝いて生きるコツは何ですか」と追い討ちの質問を投げかけてきました。

 私の輝きの秘訣は強いてあげれば「目標をもって生きる」「健康に生きる」「家族とともに生きる」「仕事に生きる」くらいだと思います。

 「目標を持って生きる」ことは二十三歳の時、青年学級で生活設計を教わり、自分の人生は自分がコントロールできることを学んだことが役立っています。今振り返れば26歳で結婚する、子どもを4人作る、30歳でアメリカへ行くなど夢はドリームではなくターゲットできたのです。60歳からの人生も50代で「人間牧場構想」という楽しく生きる自由人としての夢を描いていました。その結果大きな果実を手に入れ今は目標を持って生きているのです。 

 「健康に生きる」は、心の健康と体の健康のバランスです。飲食生活は酒を止めたことで随分改善され、まちづくりの中で学んだ健康に生きるための工夫が実践という形で体に表れています。勿論自称ポジティブ・マンというほどプラス思考で日々を暮らしています。

 「家族とともに生きる」は、現役中は働き蜂の異名を取るほど随分働いたため、家族をないがしろにして生きてきました、家庭を顧みなかった駄目亭主も今では軌道修正して家族とともに生きる事を実践しているのです。人間牧場づくりは家族との関係を見事に修復してくれたように思うのです。

 「仕事に生きる」ですが、リタイアしているもののセミリタイアで、愛媛大学の非常勤講師や、地域づくりに関する講演などで忙しく全国行脚が出来ることも、若い頃からの蓄積が生んだ結果だと思うのです。

 勿論いささかなりとも社会貢献しなければなりませんから、地域の自治会活動や人間牧場での少年少女おもしろ教室など、積極的に関わっています。そうすることが「目標」や「健康」、「家族」「仕事」への新しい生き方へと進化をしていくのです。

 人間は積極的、すなわちポジティブに生きてゆかなければ進化はせず、むしろ後退の道を辿ります。去年よりは今年、今年よりは来年とステップアップすることが人間として生きていることの意味だと思うのです。

  「羨まし あなたは何故に 輝いて? いわれてはてな? 四つくらいか」

  「目標を 超えれば次の 目標が 出来るものです ポジティブ生きりゃ」

  「当分は 生き生き生きれ そうですと 仲間に話す 仲間負けたと」

  「家族です 歯の浮くような 一言を 言えりゃ本物 私本物」


 

 

 

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