shin-1さんの日記

○息切れするが視野は広くなる

 先日町のシンボルでもある本尊山という近くの山に一人で登りました。正月休みにおご馳走を食べ過ぎ、何となく運動不足だったため地元の氏神様天一稲荷神社まで散歩に行ったついでの、急な思いつきなので全く軽装でした。線路をまたぎ坂道を登るほどに息遣いは荒くなり、運動不足と加齢による体力不足を感じながら、急ぐこともあるまいとマイペースで登って行くと、まるで踏みつけ道のような山道のあちこちには、矢竹が生い茂り通行さえもままならず行く手を阻まれたり、クモの巣が体全体にくっついたりと散々な目に会いました。

 それでも30分ほど歩くと周りの視界が徐々に開け、落葉樹の樹間に下界の景色が見えてき始め、やがて大きな石がどっかりと座っているように見える9合目へ出ました。ここには難視聴を解消するため私たちの加入するテレビ協調組合が立てたアンテナのある場所で、天一稲荷神社の奥の院らしく石の鳥居が立ち、何か霊感を感じるような雰囲気です。私はその場所で休むことなくいよいよ最後の難関に挑戦しました。この坂は一番の難所で周りの木々の助けを借りないと登れないほど急な坂道で、少し滲んだ汗を感じながら頂上に出ました。ここは中世の城郭本尊城の跡で今もその当時の石類群が数多く残っていて往時を忍ばせてくれます。

 頂上には三角点があって、そこからは瀬戸内海や松山の道後平野が一望できるばかりでなく、シーサイド公園、上灘漁港、上灘中学校、由並小学校など町の殆ど全てが見えるばかりか、わが家の敷地全体がまるでヘリコプターから見るように見えるのです。

 ふと僅か30分足らずの山登りを自分の人生に例えてみました。私の人生ももうそろそろ八合目辺りでしょうか。ある映画監督が「老齢は山登りに似ている。登れば登るほど息切れするが視野は益々広くなる」という言葉を残していますが、その通りだと思いました。63歳になると「登れば登るほど息切れする」という言葉が実感できますし、これ以上先へは進めないと諦めたりするものです。しかし闇雲に働き周りが見えなかった昔に比べ、今は行く文化の余裕も出来て、辺りを見渡したり風の音や鳥の声、足元の草花や落ち葉など様々なことに気を配ることが出来、八合目を過ぎると周囲の木々も少なくなって視界が開けてくるのです。これが「視野は益々広くなる」意味なのだと思いました。

 出来るだけ同じ道を引き返さないのが私流なので、頂上を越えて歩き掘り切りという戦略上重要な場所まで行って沢伝いに上灘川沿いまで歩いて出ました。まさに道なき道でしたが新年早々ふるさとの名山に登れていい経験が出来ました。本尊山に登った事を息子に話すと、今度は一緒に登ろう」と誘われましたが、いつになるやらです。加齢とともに自分のふるさとが遠くなるような感じがしています。というのも、役場という地元の職場をリタイアすると、地元の話題に触れることは極端に少なくなってきました。妻が近くの歯医者さんに勤めているので、かろうじてそこら辺の地ネタは拾えるのですが、私のように家や町を四六時中空けると、町の話題は遠のくばかりです。また車の利用が多くなると、町中を歩くことも少なくなって、出会う人も限られて、まさにふるさとは遠い存在になりつつあるようです。ひょっとしたら90歳になった親父の方が近所の話題には詳しいのかも知れません。

  「ただ一人 ふるさとの山 登りつつ あれやこれやと 人生思う」

  「ある人が 加齢段々 息切れが するも視界は 広くなる言う」

  「年毎に ふるさと段々 遠くなる 地ネタ知らずに ただただ生きて」

  「頂上で ヤッホー山彦 帰り来る わが家上から 見下ろし叫ぶ」 

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shin-1さんの日記

○えひめ地域づくり研究会議年次フォーラム2008開催

 昨日は朝から忙しい一日でした。私が代表運営委員を務めるえひめ地域づくり研究会議が毎年この時期開いているフォーラムをリジェール松山(農協会館)で行うため、同じ代表を務める伊方町三崎の塩崎さんと双海で待ち合わせし二人で出かけました。既に会場では松本さんはじめ事務局であるえひめ地域政策研究センターの職員が忙しく準備をしてくれていました。

 今年は今年の11月14日と15日の両日愛媛県で開催される第26回地域づくり団体交流大会のプレイベントとして開催するためでしょうか、例年になく多い参加者で、当日参加をあわせると200人もの人が参加するのです。一応の準備が終わった頃を見計って運営委員会が持たれました。私は開会のあいさつもそこそこに、大会の記念講演をお願いしていた法政大学教授の岡崎先生を空港まで出迎えに行きました。土曜日のためか空港はかなり混んでいて、顔見知りの顔もちらほら、偶然にもチェロリストの上田真二さんご夫妻にめぐり合いました。上田さんとはかつて若松進一、上田真二、小林真三さんのワン・ツー・スリーコンビでシンポジウムをやった経験がある懐かしい人です。十年の時を越えた再会でしたが若い頃の思い出が鮮やかに蘇ってきました。飛行機は予定通り到着し、岡崎先生とも久しぶりの出会いで懐かしく感じながら、私の車で会場まで向かいました。

 フォーラムは午後1時からでしたが、会場となるリジェールの8階からは松山城や堀の内がまるで一枚の絵でも見ているように美しく見えました。壇上には松本さんの配慮で双海の水仙が馥郁とした香りを漂わせて活けられ、花を添えてくれました。私の役目は開会の挨拶です。近藤代表運営委員の司会で開会しましたが、さすがに200人もの集会となると迫力がありいい感じでのスタートです。

 岡崎先生の話は「連帯と協働による新しいまちづくり」について、なぜ新しいまちづくりなのか、新しいまちづくりの担い手、課題解決の方策などについて、具体的な事例を織り交ぜながら話してもらいました。

 またその後の分散会は、①~③は全国大会において分科会を担当する地域づくり団体が5団体づつに分かれて発表討議し、④分散会はボランティアガイドが集まり発表討議しました。それぞれの分科会を見て回りましたが、全国大会で全国各地から仲間を受け入れようとする意欲が伝わってきました。

 分散会のはっぴょうの後、100人もの人が参加して交流会が持たれました。それぞれの団体では自慢の特産品を持ち寄って、楽しい抽選会をやったりしましたが、酒を酌み交わしながら、様々な話に花が咲きました。

 会場には何年かぶりに出会った長浜の菊池さんやフロンティア塾の常連塾生だった末光さんなど多くの旧友に会い、時間の制限もあって積もる話はできませんでしたが、いい交流が出来ました。また最近知り合った新友や昔からの旧友など、参加者の殆どを知り尽くしているだけに、予定された2時間は時間の短さを感じました。

 実行委員会が組織されて3案買い会合が持たれ、それを受けてえひめ地域づくり研究会議が年次フォーラムと位置づけ準備したこの日の会合で、ある意味でやっと全国大会のスタートが切れたように思います。早くも2月1日から茨城県水戸市で始まる今年度の全国大会に出席して愛媛大会のピーアールをするべくプロモーションムービーや団体紹介のファイルも出来て、さあ実行委員会委員長たる私の仕事もいよいよスイッチオンです。

  「久しぶり 出会った友の 懐かしさ 酒酌み交わし 過ぎ越し日々を」

  「全国へ 情報発信 するために ムービーフアィル 容易万端」

  「二百人 顔が集まり フォーラムで 熱い議論を 交わして帰る」

  「若者の 参加少ない 気になるな どうにかせんと けつまずくかも」


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