shin-1さんの日記

○健康診断

 「今日は忘れないように病院へ行くように」と妻に念を押されていたので久しぶりに県立中央病院へ出かけました。私は8年前に胆のう摘出手術をして以来欠かすことなく2ヶ月検診を受けていましたが、昨年の6月にどうしても日程の折り合いがつかず病院に行くことが出来ず、その後ぎっくり腰を患った程度で大した体の不具合もなく過ごしてきましたが、妻にとってはそのことが気になるらしく、自分でさっさと私の日程表の空きを見て病院の予約センターへ電話を入れ、予約をしてくれていたのです。

 半年ぶりの病院は午後2時からの検診予約だったので、大した混乱や待つこともなく、自動予約受付の機械で予約を済ませ座っていると、顔見知りの人が何人か通り、「あら若松さんではないですか。何処が悪いの」と会う人毎に聞かれるのです。「体はいいのですが顔が悪くて」なんて洒落をいいつつ、同じような返答をしてテレビの前で過ごしていると、「若松様」と「様」付けでクロークさんから名前を呼ばれたのは午後2時15分でした。「はい」と返事をして中待合で待っていると、中へ入るように勧められました。見ると私の担当医師の二宮先生ではない女医さんが座っていました。「二宮先生は救急対応で来れませんので私が変わって」とその女医さんは、患者の私がいるのにパソコンに向って話し始めました。

 「長い間来られていませんね。どうしてですか」。「はい仕事が忙しくてついつい」。「それは大変ですね。でも体は大事にしてください」とやんわりお灸を据えられ、「今度はいつ来られますか。今のところ空いているのは月29日ですので、後で説明致しますので注意書きをよく読んでお越し下さい。今日は血液検査をして帰ってください」でチョンです。「えっ、血圧も測らないのですか?」と問い直そうとしましたが、女医さんは私の予定をパソコン画面に打ち込み、それで終りでした。あっけに取られたものの、仕方がないので言われるまま血液検査の部屋に行き、採血を終えました。「会計で支払いをお願いします」でここも4~5分で終了、何のために病院へ来たのか分らぬまま病院を後にしました。

 それにしても病院とは不思議な所です。私の顔色も見ず体の調子も聞かず、血液のデーターだけで私の現状を判別するのですから偉いものです。勿論今度来るときにはそのデータが揃っていて、エコー検査や透視検査で総合的に判断するのでしょうが、少々納得のいかない一日でした。

 家へ帰るなり心配して待っていた妻は開口一番「病院の結果はどうだった」と聞くのです。病院では血液検査をしただけで何も診てくれなかった。今度2月29日の金曜日で予約を取ったから忘れないように」と、さも人ごとのような口調で話すと、妻は早速居間のカレンダーをめくって「進一健康診断の日」と大きく書き込んでくれました。今日は病院へ行く時、日程表を忘れて行きお医者さんの示した2月29日が空いているか気が気ではありませんでしたが、何とか空いていてホッとしました。

 病院へ行くと何か病気になったように気が滅入ります。それでも病院へ行かねば自分の体のことは殆ど分りません。早期発見、早期治療のために検査は欠かせないことなので、これからも何はさて置いてでも健康診断だけは受けようと思っていますが、しっかりと元気を確保してこれからの人生に備えたいと思いました。

  「顔色も 体も見ずに はいこれで えっ?と驚き シブシブ帰る」

  「どうだった? 聞かれはしたが 答えよう なくて分らん たったそれだけ」

  「パソコンに 向って話し する医者に 俺の体を もっと見てくれ」

  「二時予約 二時半終わる 三時半 家に帰りて 妻は驚き」

 







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shin-1さんの日記

○5本川の字になって寝る

 川の字は縦線3本で「川と読みますが、昨晩は泊まりにやってきた娘の家族と一つの部屋で川の字ならぬ「11111」の字になって寝ました。一番最初に寝るのは生後8ヶ月になる孫尚樹です。8時には風呂に入れて床につきスヤスヤと寝入っています。続いて私と一緒に風呂に入った5歳の孫朋樹が8時30分ころ床につきます。娘が来ない場合は私と床に入って私のお話を聞かせるのですが、昨日は娘がお母さん役で本を読み聞かせていましたが、昼間の疲れなのかアッという間に夢の世界です。

 その後娘と妻と私でみかんを食べながらテレビを視聴し、10時30分に孫を挟んで二人が眠ったようでした。その後私は書斎で締め切りが近づいている原稿を書いていましたが、12時になったのでそろそろ寝ようとパソコンのスイッチを切り、ストーブの火を落として居間に行きましたが、どういう訳か妻は私の布団を敷き忘れているようなのです。寝入っている妻に声をかけるものの、寒くて面倒くさかったのか、「お父さん今日はみんなで寝よう」と自分の横に来て寝るよう勧めるのです。仕方がないので一番隅の妻の横に潜り込みました。妻の体温で布団の中は暖かく、私の冷えた手と足が入ると妻はクルリ背を向けて孫の方を向いて寝てしまいました。やがてそのうち私も夢の世界に突入しましたが、娘は5歳の孫朋樹を12時にトイレへ連れて行き、途中尚樹にお乳をあてがう程度で大した混乱もなく朝を迎えました。私は朝4時の起床なのですがこの日は孫と一緒に寝るよう妻から言われ、5時頃まで布団の中にいました。生後8ヶ月の尚樹は既に目を覚ましていて、指を吸いながら一人遊んでいました。娘は尚樹のオムツを替えてまたスヤスヤなので、妻と私の間に孫を入れて遊んでやりました。孫は豆電球の光ながら笑顔で私と対話です。対話といってもまだ言葉は喋れませんが、それでも「アー」とか「ウー」とか何となく分るような言葉を発して私の顔を触ったりしながら30分くらい遊びました。娘がお乳を与える間に床から抜け出しましたが、まるで雑魚寝ながら、昨晩は楽しい一夜を過ごしたのです。

 そういえば子どもが小さい頃は5本川ならぬ6本川の字になって同じ部屋で毎日寝たものでした。夏になると子どもたちは部屋の中を寝たまま自由に動いて、子どもを捜すのに迷ってしまうようなことがしょっちゅうでした。冬になるとはみ出す子どもを布団の中に入れるのに一苦労もしました。また子どもにオネショを掛けられ風呂場まで走った経験も何度かありました。でも振り返れば貧しくて決して豊ではなかったけれどあの頃が一番幸せだったなあと思うのです。親父がいつも「子どもが小さい頃が家庭は一番幸せだ」と言っていた意味が分るような気がするのです。孫の乳臭い匂いも、オムツから出る匂いも全て懐かしさの象徴だと思いました。

 いつの間にか四人もいたわが子はそれぞれ大きくなって、古巣から旅立ってよきました。気がつけば親鳥二人に年老いた老い鳥が一人、肩を寄せ合うように古巣で生きています。たまに来る孫鳥たちもやがて大きくなってわが家と同じように巣立って行くのでしょうが、少し寂しく少し切ない家族の運命を感じました。

 ふと、娘婿が一緒に来ない日はこれから、孫が来る度にこんな寝方もおつなものだと妻に話しましたが、「私は眠れないので反対」とあっさり否決されてしまいました。そういえばオムツを取りに行ったりり布団を敷いたりと、週末に孫が来ることによる妻の仕事量増加は、目には見えないけれどおびただしいものがあるようです。

  「孫が来る 孫が帰るの 大騒ぎ 嬉し半分 寂し半分」

  「川の字に なった布団に 潜り込む 孫の匂いは どこか懐かし」

  「また一人 また一人去り 気がつけば わが家は古い 三人残る」

  「オシッコに 起す夜中の 大騒動 孫は寝ぼけて そこらウロチョロ」   

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