○八幡浜市公民館大会
昨日の雨とうって変わって今日は朝から穏やかな好天に恵まれました。昨日と今日の二日間、ふたみシーサイド公園では恒例の「初春水仙祭り」が予定され、大勢の人がやって来る予定でしたが、初日の昨日はあいにくの雨にたたられて、少しで足が鈍かったようです。昨日はわが家にも水仙祭りを見ようと、長男家族をはじめ何人かの人が立ち寄りました。私も愛大生の朝早い視察研修に付き合ったため、水仙祭りの会場で、花の会の人たちに混じって祭りの準備を多少なりとも手伝ってあげました。嬉しいことに、大谷さん、米井さんの事務局組みに加え、かつて地域振興課や社会教育課で仕事を共にした米湊さん、松本さん夫婦、閏木さんなども参加してくれていて、賑やかな幕開けでした。本当は今日も手伝いたかったのですが、私は今日は八幡浜市公民館大会に招かれていたので、二日目の会場を横目に見ながら海岸国道378号を西下し、瀬戸内海側から夜昼トンネルを越えて宇和海側に向いました。
大会は午後1時30分からでしたが、何人かから電話が入っていて、大会が終わったら会いたいらしのです。でも夕方は所用が予定されていて大会が終われば帰らなければならず、事前に大洲と八幡浜に立ち寄って話しを終えました。その後義父母の墓参りを思い立ち大宝禅寺の裏山にある墓地に車のダッシュボードからいつも積んでいる線香を持ち出して一人登って行きました。私は墓地ながら八幡浜湾や諏訪崎、それに八幡浜の市街が一望できるここからの眺めが大好きで、冬とは言いながら小春日和のような好天の眺めは胸のすくような感じでした。丁度九州から1隻のフェリーが着岸する瞬間だったため絵になる光景でした。本当は正月に妻と二人で墓参りに来たかったのですが所用でそれも適わず、墓前で義父母にそのことを詫びながら、年末に国立がんセンターで喉頭がんの手術をした義兄の様子を報告し、一日も早い回復を祈りました。
公民館大会は北浜にあるスポーツセンターで行われていました。今日は私の記念講演以外にプログラムは予定されていないのに300人もの関係者が参加して、会場は一杯の大盛況でした。会場には何人も知人友人がいて、顔や手で盛んに反応をしてくれました。
私の話は前半はふるさと教育について、中盤は社会の変化について、後半は公民館とまちづくりについて話させてもらいました。1時間30分の話の組み立ては余り気にせず、楽しい話に終始しましたが、終わって会場から出ると何人もの人が握手を求めたり声をかけたり、私の自著本を読みたいのだがなどと相変わらずの賑やかさです。
最近公民館に元気がない事を心配していましたが、八幡浜の公民館はかなり元気なようで安心しました。公民館は何といっても人ですし、組織です。会場一杯に張り巡らされていた展示のような個性あるオンリーワンのいい活動を期待したいものです。
帰りはほのぼのとした気持ちで保内から長い長いごぜヶ峠を越えて瀬戸内海側に出て、かつて私が関わって命名した夕やけこやけラインの愛称で親しまれている国道378号を走りました。午後4時過ぎの海岸は、多少北よりの風が吹いていましたが、昨日の雨で空気が澄んでいるのか遠く国東半島や姫島など大分がくっきり見え、山口県や広島県、それに愛媛県の島々が一望でき、加えて夕景も雲を映していい雰囲気でした。
「八幡浜 一望できる 墓地にて 線香手向け 兄無事祈る」
「妻所用 妻の実家を 訪ねたり 兄妻聞きし 妻は何故来ぬ」
「豊後路が くっきり見える 海沿いを 夕日バックに 家路急ぎぬ」
「合併で 遠い大洲は 隣街 道路標識 見ては驚き」
shin-1さんの日記
○二人のなっちゃん
私には二人の「なっちゃん」という女性の友人がいます。一人は30歳を過ぎた二人の子持ちの只今産休中の公務員、もう一人は大学卒業間際4回生の若い女性です。いずれも私と同じ双海町出身で、名前こそ同じ「なっちゃん」ですが、一方は「夏芽ちゃん」、もう一方は「奈津ちゃん」と漢字で書けば一目瞭然違いが分るのですが、普通の愛称は「なっちゃん」で通っています。いつもはそれぞれの道を歩んでいるため滅多に会うことはありませんが、ふとした機会に「元気だろうか」と思い出したりして、どこか気になる女性なのです。
「夏芽ちゃん」は大学を卒業すると直ぐに双海町役場に就職してきました。私の娘と同じ年齢だし、私の生まれた集落で生まれているため、家族全ての顔を子どもの頃からよく知っていました。役場では福祉関係の仕事が長かったのですが、まちづくりなどに興味を持っていて、職場は違っても何かにつけて参加してくれるため色々な場面で出会ったものです。特に双海町が重要課題として取り組んでいた「人づくり」海外派遣事業では、第十一回目にニュージーランド・オーストラリア派遣生のメンバーとなりました。10回を終え11回目から国際交流を目指したこともあって、私はその団長として一緒に海外へ行ったのです。語学もそこそこ出来たなっちゃんは、ホームスティなどで語学もそこそこさえ出来ない私を随分サポートして随分助けてくれました。その後彼女は教育委員会学校教育課に移りましたが、偶然か私が教育長に就任し同じ職場で働く事になり、様々な場面で私の仕事を支えてくれました。結婚して二児のお母さんになりその後産休を続けて子育てに専念していますが、いつも気になる「なっちゃん」なのです。
もう一人の「なっちゃん」は高知大学の学生です。彼女はイギリスに留学後高知大学に入学した変わった経歴の女性です。大学のインターンシップで奈半利町に半年間住み込み、まちづくりのサポータとして活躍をしていた頃にに知り合いました。彼女は奈半利町のまちづくりを目指すメンバーと随分親しくなり、まるでマスコットのように可愛がられました。今は米ケ岡という自然豊かな場所でお米を作ったりしながら、三昧な暮しをしています。
三日前私が高知県馬路村へ出かけた折も、彼女の事が気になっていました。やはり合い通じるのでしょうか馬路村に着いた途端携帯が入りました。「やっと正月休みも帰郷しないで取り組んだ卒業論文が出来た。今度の連休に帰郷するので見て欲しい」というのです。昨日は彼女帰郷する日でした。愛媛大学の大学生の対応やスイセン祭りが終わって、バスと列車を乗り継いで帰った彼女を伊予市まで迎えに行ってわが家で話しこんだ後卒論を貰い、家まで送って行きました。彼女は大学院への進学も既に決まっていて、まちづくりに関わりながら今の暮しを続けるようです。
どちらの「なっやん」も「気配りの出来る夏ちゃん」と「気丈に生きる奈津ちゃん」と性格や生き方、年齢こそ違え、「双海町産女性」と胸を張って人に紹介できる自慢の女性です。間もなく職場復帰をするであろう「夏ちゃん」は相次いだ二人の子どもの産休中に市町合併があって、戸惑うことが多かろうと推察しています。一方の「奈津ちゃん」は大学卒業という一つの区切りを終えて大学院という新たな人生にチャレンジするそうで、それなりの心の葛藤があるでしょう。いずれも様々な社会の荒波に翻弄されることでしょうが、いい人生のプロセスとして頑張って欲しいと願っています。
「なっやんと 呼ばれる二人 それぞれに 強く生きてと 心で拍手」
「卒論に 引用文献 自著本を 書かれてドキリ 弱ったものだ」
「子育ても 学びも同じ 人生の 試練と思え その先楽し」
「大学は どうして人の フンドシで 相撲とるのか そんな感じが」