shin-1さんの日記

○今年最初の講演会
 「今年はゆっくり充電」を決め込んで約10日間、成人式などへの講演依頼も断って、体調回復に努めるはずでした。しかし腰の具合が悪くなり、加えてパソコン不具合による神経回路が故障して、ダブルパンチに見舞われてしました。そんなことおもあって最近は悶々の日々でしたが、昨日は今年初めての講演会に招かれ、遠い高知県馬路村へ出かけて行きました。
 夕方6時からの集会だったので、木下課長山や馬路村温泉の支配人さんにお願いし、馬路温泉の湯に浸りしっかり磨きをかけるつもりで下。しかしラジオ向きのこの顔はいかんともし難く、化粧もせずに?スッピンで高座に上がる羽目となりました。
 木下課長さんを窓口にして話の進んだ「健康づくり講習会」と銘打ったこの会は、主催が馬路村老人クラブ連合会という、夜の会としてはこれまた奇妙な取り合わせとなりました。誰が作ったのか知りませんが、私の元へ事前に送られてきた手作りのパンフレットには「健康は笑いから」、「新春寄席第一弾」「落伍家夕日亭大根心師匠による『笑う門には健康きたる』」などと参加者を挑発するような文句が書かれていました。そして国土交通省の観光カリスマホームページから読み込んだ私の写真には、漫画チックに「実はこの顔でお酒が飲めません」と書いていました。
 会場に来られた方は老人クラブの人もいましたが、木下課長さんの声かけで集まった人も何人かいて、遠くは東京、近くは隣町安田町からも駆けつける中々賑やかな集まりとなりました。
 会場となった福祉センターには私の似顔絵まで作って張っていただく念の入れようでした。
 まだまだ落伍の出囃子や入囃子のタイミングがつかめず、何を話そうか思いながらアドリブで1時間半もの高座を、四方山話をしながらあっという間に終わってしまいました。
 その後は会場を移し高知県馬路村では御馴染みの交流会が近所の料理屋さんで賑やかに持たれました。いつもながら感心するのは村長さん、東谷組合長さん(組合長さんは前の晩の深酒が堪えてこの夜は講演会のみ)、診療所のお医者さんなどがこぞって参加しほのぼのとした交流会が行われるのです。料理も美味いし酒もどんどん進み、10時近くまで楽しいひと時を過ごしました。この日の交流会は日本総研の上席主任研究員であり、今回の達人指南塾の塾長である金子和夫さんや中小企業基盤整備機構の戸田直隆課長さんはじめ塾生の美女たちが参加したため、とてもいい交流会となりました。洗練された人たちと出会うと、こちらまで洗練されるようで、地域づくりに関する突っ込んだ話もさせてもらいました。
 町や村を変えるには、リーダーたる人の研修も必要ですが、このように洗練された人を呼び込み、一般の住民と交流させることも大切です。多分馬路村のユズをテーマにした成功事例がそんな部外の人を村に呼び寄せているのだと思いますが、知らず知らずのうちに住民のレベルがワンランクアップするのです。
 この日東京から来られた女性たちは、講演会で聞いた私の話しを餌にむしろ成功事例より失敗事例を聞かせて欲しいと迫りました。酒を飲んだ女性と酒を飲まない私では波長が合わないのは当然ですが、それで私としてはいい交流が出来て感謝しています。
 私はこの夜、木下課長さんの計らいで皆さんに買ってもらった「夕やけ徒然草」という自著本を、宿舎である馬路温泉の一室で12時近くまで読み返してみました。その日皆さんに話したアドリブな話しを反芻しながらいつしか夢心地になりました。
 気がつけば午前4時です。家にいれば起床の時間だし今日は午後の予定もあるので思い切って飛び起き、身支度を整え暗い夜道を車を走らせわが家へと急ぎました。安田川沿いの道で狸に3匹出会い、9時前わが家へ到着しました。安田町役場中山支所の竹内律さんがわざわざ老人クラブに持ってきた自然薯を大野忠康会長さんから貰い受け、妻は大喜びで迎えてくれました。
  「自然薯を 担いでわが家 ただいまと 目覚めの妻に あいさつ交わし」
  「東京の 女性の顔の 何処となく 品ある感じ ワクワクしつつ」
  「おばちゃんや おじちゃんたちと 酌み交わす 楽し会話に 夜更け忘れて」
  「四人いる 子ども自慢の 若い医者 村に元気を 与えているな」 
  
 
 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○高知県馬路村の特別村民になりました
 高速道路が整備され、瀬戸内に面したわが町から日本海を見に行こうと思えば、高速道路や瀬戸大橋を使えば5時間ほどで行くようなスピード時代になっても、四国は一つといいながら室戸岬や足摺岬へのアクセスはまだまだで、昨日行った高知県馬路村へは南国まで高速道路を走っても4時間近くかかるのです。
 昨日は冬とは思えぬ長閑で穏やかな天気に誘われ、ゆっくり行こうと心に決めて、このところ殆ど走っていない国道33号線を走ることにしました。というのも久万の友人に会う約束をし、高知大学に所用があって立ち寄らなければならなくなったからです。最近の高知入りは遠回りのように思える伊予~川之江~南国という高速道路を使うため、33号線は殆ど使わなくなりました。それでも33号線沿線には砥部町、久万高原町、旧美川村、旧柳谷村、仁淀川町にそれぞれ馴染みの友人がいて、その人たちにも会いたい一心でこの道を走りたいからなのです。
 年度末を象徴するように、国道33号線のあちこちでは改修工事が行われていて、その都度ガードマンに行く手を止められましたが、交通量が少ないため高速道路のような危険性もなくスムースに走れ、はりまや橋まで2時間30分余りで走りました。
 室戸岬の道路看板が出た頃、勝手知ったる道とはいいながらカーナビに入力し、その指示に従って走りました。大山岬の道の駅で一服休憩し、陳列された商品を見せてもらいましたが、どこの道の駅も最近は余り元気が活気が感じられないような気がしました。近くの人の話によると最近はあちこちに販売所ができて競争が激しくなったからではないかと言っていました。道の駅は公設民営が多いのですが、民の知恵や行動が働かず官のぬるま湯運営が尾を引いていて、これでは活気がないのも本当だと思いました。
 安田町に入り海岸国道から大きく左折して安田川沿いに馬路村を目指しました。この道も都会の人に言わせれば「今時こんな道があるの?」と言われそうな細い道ですが、この道の向こうにある馬路村の魅力でしょうか、沢山の人が訪れるようです。
 この日も私の所にメールが入り、東京から数人の若い女性が達人指南塾の研修に馬路村へやって来ていました。そのメンバーとして参加する予定で私にメールを入れてくれた女性は、去年11月に開かれた観光カリスマ塾で人間牧場へやって来た中小企業基盤整備機構地域資源活用推進室の佐本さんでした。あいにく所用で欠席をしていたようで会うことが出来ませんでしたが、何と何と、達人指南塾の皆さんは木下課長の配慮で私の講演会に参加するというのです。
 予定の4時前に馬路村役場に到着し、上治村長さんと面談しました。昨年以来上治村長さんとは心を許してお話が出来る間柄になって、この日も何の予告もなしに訪ねたのに快く面談していただき嬉しい限りです。木下課長さんの計らいで私は馬路村の特別村民になりました。所定の用紙に記入し「特別住民票」の交付を受けました。特別村民になると村長室で村長さんと記念写真が撮れごっくん馬路村が飲めるのです。



 さて昨日から馬路村の特別村民になったのですから、これからは村民に恥じない行動をしなければなりません。と同時に馬路村応援団員として全国に私の口を使って情報発信しなければなりません。これまでにも随分馬路村のことは話してきたつもりですが、「私は高知県馬路村特別村民の若松と申します」という口上のくだりも考えておかなければなりません。このブログを書いている途中に馬路村魚梁瀬の湯浅建設の社長さんから携帯電話が入りました。昨晩は仕事の打ち合わせで会いたかったのに会えなかった旨の電話でした。嬉しいことです。こうして馬路村へ行く度に一人また一人と縁が深くなって、馬路村は私にとって四万十市西土佐村と同じように忘れられない土地となりました。
  「住民票 交付を受けて 村民に なった限りは 村のお役に」
  「村長と 村長室で 雑談を 縁もゆかりも ないのに嬉し」
  「合併を せずに頑張る 少な村 一人一人の 顔が生き生き」
  「絶滅の 危惧種のような 村だけど 何故か気になる 次も行きたい」

[ この記事をシェアする ]