shin-1さんの日記

○2008年版予定表手張 
 私の愛用している予定表手帳は、手帳というよりノートに近いかなり大きめなものを使っています。かつては日銀の貯蓄推進員(現在は金融広報アドバイザー)をしていることもあって貯蓄推進委委員会が発酵するものを20年余りにわたって使っていいましたが、財政難の折から廃刊となったため、数年前から愛媛県商工会連合会刊行しているものを商工会で分けてもらい使っているのです。 使えば愛着が湧いて、今ではこの予定表手帳がなければ私のスケジュールは分らないくらい、貴重なものになっているのです。今年は年末に何かと忙しく商工会へ貰いに行く間もなく年が暮れてしまいました。一昨日は官公庁の仕事始めなので商工会も開いていると思い、新年の挨拶もかねて貰いに行きました。商工会の女性職員は毎年いただくこともあって予定していたらしく手渡ししてくれました。 早速帰ってから真新しいい予定表に黒いボールペンで書き込みましたが、今年は9日までゆっくりと骨休めをしようと決め込んで、あるまちから成人式の講演依頼があったのですが、体調回復を最優先して丁重にお断りさせていただきました。今にして思えば年末年始のぎっくり腰に悩まされたことを思うと、よくぞお断りしていたと、予感的中の急病に一人ニンマリするのです。 私の今年の予定は10日からいよいよ始動です。10日には木下さんの紹介で高知県馬路村へ出かける予定ですが、それまでには腰の具合も良くなっているだろうと念じています。  私の予定表手帳には自由人らしく早くも県外から7月や8月の講演依頼が舞い込んでいて、今年も多忙な一年になりそうですが、これまでのように余り無理をせずゆっくりマイペースで仕事をしたいものです。 余談ですが、私の書斎の引き出しにはこの30年間の予定表が捨てられることもなく保管されています。その中には警察から証拠書類として差し押さえられ、一年後に返却された珍しいものも3冊含まれています。双海町が場外舟券問題で警察の家宅捜索を受け、町会議員の逮捕にまで発展した事件は、もう記憶の片隅に追いやられていますが、その折企画調整室でまちづくりを担当していて、家宅捜索の役場責任者だったし、その後も参考人として3日間警察の事情聴取を受けたのでした。手帳を見る度にいまわしい思い出が蘇えってくるのです。 この手帳は私の人生そのものです。昨年もその手帳に一冊加わりましたが、記憶を辿る時は必ずこの手帳を紐解くのです。今年の手帳にも余りよからぬ出来事が書き込まれないような一年であって欲しいと願っています。
 退職した数年前から妻は、私の手帳に書いた予定表を書き写すようになりました。というのも、役所を辞めて自由人になったのを機に、私のスケジュール管理を幾分手助けするようになったのです。年中全国を飛び回っている私ですから、私がいなくても一応は電話対応できるようにと思っているのでしょうが、秘書になるのにはもう少し修行が必要かもしれませんね。年齢的にも上りきっていないのに下り坂ですから・・・・・。
  「予定表 すでに八月 までも書く 今年も忙し 予感ありあり」 
  「引き出しに ぎっちり詰まる 予定表 わが人生を 語るが如く」
  「三冊の 警察倉庫に 眠ってた 思えば色々 書き込んでます」
  「今年こそ 暗い出来事 ないように パラパラめくる 新し手帳」   

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shin-1さんの日記

○静寂の夕食
 今日の昼過ぎまで子供たちとその家族が年末年始を挟んでやって来て、かなり賑やかなわが家でしたが、まるで潮が引いたように帰って行って、今宵は久しぶりに妻と二人だけで静かな夕食を食べました。一昨日までは魚派、昨日からは肉派と分かれていたため、魚派の私にとっては有り難い年末年始の食卓でしたが、昨日からは肉料理でへきへきしていただけに、今晩は正月料理の残り物を、まるで厨房のまかない料理のような形で食べました。しかし毎日肉や魚を食べていたせいかシンプルで美味しく感じるのですから不思議なものです。
 今晩の食卓は昼で帰る娘たち家族のために水炊きでした。夜はそのたんと出汁の出たスープで雑炊を作り食べましたがこれがまた絶品で、妻の作った手づくりの餃子と共に、今までにないご馳走でした。
 妻も少々お疲れモードです。寝食を共にするということは布団の用意、掃除、食事の用意などなど、全て妻の背中に思い負担となるのですから大変なことだとしみじみ思いました。



 二人で食事をしながら長男夫婦との同居のことが話題になりました。長男夫婦はいずれ我が家で同居する事を原に決めているようで、今年の正月休みには、二世代住宅としてどう何処を改造するか二人で話し合いました。長男の嫁もその気でいるらしくいよいよ時間の問題のようです。ただ同居となると妻の負担はそれ以上に大きく、手放しで喜べない部分もあるのです。祖母・母・父とこれまでも今も3人の老後を支えてきた妻に、これ以上の気苦労はさせたくないし、また長男の嫁にも気苦労はさせたくないのです。
 孫を巻き込んでどうわが家の経営委譲するか、ここが思案のしどころです。幸い息子嫁も気立ての良い子で安心はしているのですが、毎日の暮しとなるとまt波風も立つものです。「親子はスープの冷めない距離」がいいと言われてきましたが、さてさて新たな出来事だけに、お互いが納得行く形で決着させたいものです。

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shin-1さんの日記

○池の拡張工事
年末年始にかけてわが家には親類縁者が沢山来ましたが、その人たちは口々に、「池があったはずなのにいつの間にか池がなくなっている?。あの立派な自慢の恋は鯉は何処へ行ったの?」と不思議がって聞くのです。その都度何度も同じような返答をしているのですが、親父にとってはその言葉が辛いようでした。
 ところが天候が回復した昨日から庭の隅で、まるでモグラが土を掘るように真新しい穴が掘られ始めたのです。よく見ると小さな池で細々と飼っていた昔の何十万円もする鯉とは比べものにならない安物の、10匹程の鯉はどこかに引越して池の隅は割られ、どうやら池の拡張工事が始まったようなのです。近所の金物屋さんがセメントと砂や割り石を運んできました。私に相談もなくやるものですから、人に聞かれてもチンプンカンプンです。昔は親父とこんなささいなことで口喧嘩をしたものですが、90歳になる親父の戯言と聞き流して見て見ぬ振りをしていました。親父もそれを察してか私の腰の具合が悪いことも承知で、正月休みで帰省中の長男にやれ「石を動かしてくれ」とか、盛んに呼びにきては手助けをさせていました。
 今朝は気温は下がっているものの穏やかで風もなく、毎朝の日課である親父の腰にサロンパスを張りに隠居に行くと、昨晩帰った長男に手助けさせるわけにも行かず、「少しの間セメントを練り込んで欲しい」と私に頼むのです。「腰の具合が悪いので無理はできない」と前置きし、食事が終わった9時頃、親父と二人で練り込み開始です。親父愛用の大きいパレットに砂、バラス、セメント、水を入れてこねるのです。やがて練られたコンクリートはスコップで池の底に流し込んで行くのです。これが結構きつい作業で、短い時間ながら汗をかいてしまいました。腰にも負担のかかる作業でしたがどうにか終えることができました。



 親父はこの周りに鉄筋を入れてブロックを積み、上塗りをして仕上げるのですが、生半可な左官さんより起用で、いつもながら親父の器用さには脱帽です。私も親父のこんな器用さを受け継げばよかったのですが、世の中は上手く行かないもので、親父からも不器用の烙印を押され、自分自身も不器用を自認しているのです。
 親父は90歳ですが今も元気です。若くしてガンを患い、生きるか死ぬかの死線をさまよったのにこんなに長生きして、今もわが家の重要なコツコツ労働を陰ながら支えてくれています。若いと思っていた私も63歳の初老に達してきましたが、老いを親父のように生き生きと生きてみたいと思っています。若い頃は反感・反目した親父ですが今では私の理想を生きているような気がします。
 やがて一週間もすれば手づくりの池は完成するでしょうが、捨てるのも可哀想と値打ちのない貰った鯉を手づくり池で買い始めて3年目、その鯉が大きくなって窮屈そうだと池を拡張する優しくも前向きな生き方に、鯉も満足して泳ぐことでしょう。
  「庭の隅 まるでモグラか よく見ると 親父穴掘る 新春仕事」
  「鯉太る 窮屈だろう 池広く ことなげ造る 親父は偉い」
  「卒寿越え なおかくしゃくと やることを 見つけ今年も 懸命生きる」
  「庭の隅 親父工房 次々と 出てくる道具 左官より上」
 

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