shin-1さんの日記

○届かぬ電話の向こうのマッタケの味と香り

 昨日は旧友である松野町の芝さんが教育長を退職されたので、慰労をしようと仲間が数人集まり、松山の共済会館で飲み会をしました。送別会でもなく歓迎会でもなく、自由人になったことを喜ぶ会にしようと、肩のこらない会にしましたが、要は芝さんを出汁にして飲む口実を作ったというのが本音のようです。それでも役場に36年間勤務し、最後は教育長を務めた何処となく私の人生に似ている人の退職だけに、2年半前の自分を思い出すような集会となりました。彼はまちづくりにおいても数々の成果と武勇伝を持っており、その話が聞けるのも楽しみの一つでしたが、残念ながら過去の事をあれこれ言わない性分なので、聞き逃してしまいました。私たちのの人生には幾つもの幕があって、幕が開いたり閉まったりしますが、彼の人生にとっても今回の退職は一区切りの大きな幕のようでした。年齢が2歳歳上のため、絶えず幕を先に引いている私にとっては、少し前の出来事のような気がして、すでに私より先に幕を引いている参加した先輩も、盛んにその生き方をアドバイスしていたようです。

 その先輩Aさん役場を退職後、パチンコにのめり込んで二年ほどを過ごしたようです。その後パチンコから足を洗って今は夫婦でゴルフに夢中になっているそうで、奥さんもAさんもシングルさんというのですからいかにゴルフに熱中しているかがよく分るのです。平日だと二人でプレーをしても1万円程度だというのですから、これまでのパチンコ人生に比べると健康的な日々の暮しで、夫婦ともが黒く日焼けしてあたかも人もうらやむいい人生だと自分も周りの人も思っているに違いありません。

 そこへ行くと私の人生など超多忙で、未だにまちづくりだの村おこしだのとやっているのですから、一見みすぼらしく思えるようです。しかし私はゴルフをやらないからいうのではありませんが、Aさんの生き方が羨ましいとも真似したいとも、いい人生だとも思わないのです。Aさんがいう、「役場など糞食らえ」「まちづくりなんてナンセンス」という言葉にちょっと首を傾げたくなりました。確かに役場を退職したのですから何の責任もなく、合併して揺れ動く役場などに何の未練もないのは当然かも知れません。しかしAさんはかつてまちづくりや村おこしを堂々と地域住民に説いてきた方なのですから、そんなわがままな発言は、「喉もと過ぎれば暑さわすれる」違和感を感じずにはいられませんでした。

 彼がゴルフを通じて付き合っている人は、今まで出会ったことのない領域の人だとも言っていました。確かにゴルフをやる人と私たちのような地域づくり人とはまるで違った人種かも知れません。そう思いながら私の周りの地域づくり人の顔を思い出していました。

 酒を飲んでいる真っ最中に電話がかかってきました。四万十市の旧友です。私と、塩崎さんと、原田さんと芝さんが同席しての宴会が不思議だったのかも知れませんが、旧友たちはマッタケが獲れたということで秋の味覚を楽しんでいて、電話の向こうも賑やかな酒盛りのようで、既にメーターは上がっていました。マッタケの香りと味を携帯電話の向こうに感じながら、携帯をみんなで回して長電話となりました。

 そういえば今年はまだマッタケを食べていません。正直な話ですが昨年も食べていないような気がするのです。ゴルフにも行けない貧乏人ゆえしょうがないことでしょうが、何年か前に食べたマッタケの味が急に恋しくなりました。そうだ、カナダ産でも韓国産でもいいから、この秋は妻に頼んで小さなのを一本買って、冷凍しているハモを解凍してハモとマッタケの土瓶蒸しでも作ってもらおうか。そんな気がした秋の夜長でした。

 塩崎君をシーサイドで下して別れ、和歌山~北海道~福井~愛媛と続いた旅を終え、久しぶりにわが家の人となりました。あー長い旅だったなあ。

  「旧友の 退職祝う 酒の席 自由人なる 人また一人」

  「お揃いで グリーンを歩く 人もあり 俺など未だ 抜けきれもせず」

  「マッタケが 獲れたと一杯 飲む仲間 見せびらかしの 電話の向こう」

  「余裕なく ただあくせくと 働く身 されど希望に 燃えつつ今も」

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shin-1さんの日記

○北陸の天気

 「気象庁の天気予報も当てにならないな」と、朝起きてホテルの窓から青空を見上げながらふとそう思いました。ところが食事が済んで身支度を整えてチェックインを済ませ外へ出ようとすると、いきなり霰を交えた霙のような激しい雨が振り出し、出鼻をくじかれました。その時は「気象庁の予報どおりだな」と思いました。人間の感覚なんて自分の都合よいように考えるものだと一人苦笑しつつ明るくなりかけた空を見つめているます。午後の集会なのでそこら辺を散策しようと思っていたのですが、あいにくの雨なので、手持ち無沙汰な無駄な時間を有意義に過ごそうと、東横インのロビーで、おしゃべりな地元のおばちゃん数人の話にそば耳をたてながらブログに向かっています。おっつけ鳥取の田中議員さんから視察依頼の電話が入り、また地域政策研究センターの清水さんから明日以降の日程の打ち合わせ電話が入り、ブログを打ちながらの対応となりました。

 「晴れ、時々曇り、所によってにわか雨」なんて言葉がありますが、天気予報は安定した季節を除き特に秋から冬へと季節が変わる今の時期は予報が立てにくいものです。地元のおばちゃんの話だと山陰と同じで金沢や福井辺りでも「弁当を忘れても傘を忘れるな」というのだそうです。今日はそのとおりの天気となりました。

 それにしても今時の田舎のおばちゃんは何かとド派手で、原色に近い洋服を着て、耳には重いほどのお光ものを身につけ、唇はまるで唐辛子を塗っているようです。爪はマニュキアをどす黒く塗って、明らかに家で家事をしていないような出で立ちです。朝早くからホテルのロビーに陣取って延々2時間余り、大きな声で話しているのです。見た格好は仲間で小旅行をしているらしく、昨晩もロビーでだべりこんでいました。利く耳を立てたつもりはないのですが、「ここだけの話だけど」と断って話している話は、旦那の悪口、友人の悪口、近所の悪口が中心でした。「ねえねね聞いてよ。ここだけの話だけど、誰にも言わないでね」とまるでスピーカーのように話していました。

 年齢的には私の妻より少し上でしょうが、私の妻と比較してみました。私の妻もみんなとたむろすればあんな話をするのだろうかと想像してみました。この時間わが妻はリタイアした私に変わって働いています。パートなのでそんなに家計の足しにはならないもののこのおばちゃんたちよりすこしましな生き方をしているようにも見えました。少なくとも旦那や近所や友達の悪口だけはあんなに言わないと・・・・・。

 空が少し明るくなって晴れてきました。さあ出発と思った矢先また雨です。この分だと一日中こんな天気が予想されるので、今日は出歩きをあきらめて会場へ向かうことに決めました。今日の会議を主催する事務局へ電話をしたら、休憩室を手配するとのこと、長旅の手荷物を置いて、少し休みたいと思っています。

  「旅先で 雨にたたられ 足止めを 天気男と 自認してたに」

  「おばちゃんの 人の悪口 聞く度に 犬も食わない いい加減さが」

  「俺の妻 この人たちと 同じかな まるで狸の 生まれ変わりか」

  「さあ行こう 両手に荷物 よいこらと タクシー乗り込む 福井の街へ」

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shin-1さんの日記

○振らないバットにボールは絶対当たらない

 私は仕事柄毎日毎日色々な人に出会います。現職時代は毎月600枚もの名刺を配っていました。リタイア後はさすがに少なくなりましたが、今回の長旅では100枚、つまり一箱の名刺をカバンに忍ばせての行脚でした。だのにその名刺が殆どなくなってしまいました。妻に言わせると「名刺もタダではないのだから」と反論されます。でも名刺は「振らないバットにボールは当たらない」のと同じだと思うのです。

 野球に「見逃し三振」というのがあります。ストライクと思い込んでバットを振らないことをいうのでしょうが、ストライクやボールをやみ雲に振る必要はないにしても、ボールかストライクか分からない球を振りに行く勇気を持ちたいものです。

 この1週間、様々な人に出会い、配った名刺は様々な新たな出会いを生んで行きます。例えば一枚の名刺がご縁で私の元へはたくさんのはがきが届きます。もちろん私もハガキを書きます。この一週間カバンに忍ばせて名刺とともに持ち歩いたハガキを旅先で全て書き終え投函しました。

 木曽福島といえば木曽檜の産地で中山道の宿場町ですが、そこで知り合った大目さんとの再会も実は一枚の名刺からでした。高知県馬路村でこの6月に開かれたまちづくり全国大会で大目さんと名刺交換をしました。200人もの大集会で、いただいた名刺の人などいちいち覚えているものではありませんが、大目さんの名刺は免許証タイプで珍しく、私の目に留まりました。私の名刺も渡辺悦子さんが書いてくれた素敵な似顔絵入りの名刺で、立ち話が講じて私は木曽福島へ公園に呼ばれる羽目になりました。もちろん私の基調講演が大きな要因でしたが、私は200人の中の大目さん空受けた強烈なインパクトで覚えていたのですから、大目さんも傑物といわれる人なのでしょう。

 私たちはいつの間にかバットを振らない人間になりつつあります。失敗を恐れているのかもしれません。また批判を怖がっているのかも知れません。そして見逃し三振をした後に、「あの時振っていたら」と悔やむし、自分がバットを振らなかったのは監督や周りの人のせいだと「やらないことをやれない」といって言い訳するのです。

 私はたとえそのボールに当らなくてもストライクと信じてバットを振り続けます。思い切り振ったバットが空を切り、みっともないような尻餅をつくかも知れませんが、それでもいいのです。バットを振らずに三振するよりもその方がずっとずっと格好いいと思うからです。

 今日も私はヒットやホームランを打つ気概を持ってバッターボックスに立ちます。たとえ三振しようとも・・・・・・。

  「思い切り 振ったバットが 空を切り 尻餅三振 格好いいね」

  「振らないと ボールはバットに 当たらない 買わないくじも 当たるものかと」

  「一枚の 名刺が縁で 再開す せめて一枚 そんな出会いが」

  「旅先で もらった名刺 取り出しつ 駅のホームで ハガキしたため」

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shin-1さんの日記

○元気倍増

 和歌山~松山~東京~北海道~福井と続くこのところの忙しさで、心身ともに疲れていくのだろうと思いきや、中々どうして逆に元気が出るようなのですから人間とは不思議な動物です。正直昨晩は旅の疲れかぐっすり寝込んでしまいましたが、今朝目が覚めると、福井の空は天気予報とは裏腹に、雲の少ない快晴で雲が風でちぎれて飛んではいますが、少々肌寒いものの、私の元気そのままの朝なのです。

 ふと、人間はどうしてこんな逆の現象が起こるのだろうと考えてみました。それは人間の心の持ち方ひとつでどうにでもなるのだという、当たり前の結論に達しました。私はどちらかというとプラス思考の人間です。失敗したり反対されてもそれは仕方がないこと、そんな人も世の中にはいるものと割り切り、極力ポジティブに生きてゆく長年の生き方が作り上げてきた若松進一という男の生き様なのだと思うのです。

 例えば私が手がけて造ったふたみシーサイド公園の人工の砂浜の砂が、北西の季節風で一夜のうちに流れてしまい、多くの方々から「それ見たことか。言わんことではない」と痛烈な批判を受けたのです。普通であれば立ち上がれないほどの大失敗でしたが、私は砂を敷き詰めた流れる前の写真と流れた後の写真、つまり使用前と使用後の写真を持って県や国を動かし、砂を食い止めるための防波堤を造ってもらったのです。その結果砂は流れなくなり、防波堤に「恋人岬」という名前をつけてシーサイド公園の名所に変身させました。もし私があの時に挫折に打ちひしがれて何もしなかったら今のシーサイド公園の発展はなかったのだろうと思うのです。

 また夕日でまちづくりを進めた時も、「何で夕日なのか」と100人のうち99人までが半信半疑で反対しました。でも反対はあるものと割り切ってへこたれず、飽きもせず20年間もただひたすら頑張ってきたのです。その結果オンリーワンながら双海町の夕日は日本一になったのです。

 「仕事は忙しい人に頼め」と言われるように、忙しい人は仕事を上手にやりくりし、量も質も高めてゆきます。この一週間、さまざまな忙しい仕事をこなしてきましたが、自分でも不思議なくらい元気が沸いてくるのです。今朝妻からかかってきた携帯電話では、「そんな過信がまた病気になる」と忠告されましたが、いやいやどうして、今朝は活気がみなぎっているのです。

 私はこれまで2回の大病を患っています。一度は26歳の時転職を余儀なくされる大病でした。その結果公務員になれたのですからおかしな話です。またもう一度は7年前に胆のうを患い摘出手術の結果13キロも体重が激減しました。それでも乗り越えてこられたのは、家族の配慮はもちろんですが、自分自身がネガティブにくよくよ考えず、ポジティブに生きてこられたからだと思うのです。

 「元気は心の持ちようで生まれるもの」だと考え、今日も旅先福井県で元気一杯まちづくりの話を、福井県町村議員研修でお話しする予定です。

  「疲れてる だのに不思議や 元気です 心ひとつで 今日も楽しい」

  「晴れていた 福井の空が かき曇り 小雨ぱらつく 北陸秋路」

  「おにぎりを ほおばりながら ブログ書く ホテルのロビー お国訛りが」

  「コート着て しもたと思い 旅に出る 今日はしめたと 襟立て外に」 

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shin-1さんの日記

○旅先での携帯電話

 旅先だというのに携帯電話が鳴りっぱなしでした。私の携帯電話の番号は名刺などにも刷り込んで公表をしているので、かなりの人が知っています。でも私にかかってくる電話は間違い電話以外は殆ど知人友人からなのです。それ以外にも私の家へ電話し急ぎの用件がある場合は運よく妻がいれば聞き出してかけてくるのです。

 昨日は紋別の市民会館での講演中何と10本もの電話が入って正直困りました。講演のために壇上へ上がっている時ズボンのポケットのマナーモードがジャンジャン鳴るのです。ワイヤレスマイクだとこのバイブレーターの呼び出し音を拾うため、私が話をしているのにマイクがガ-ガ-と音を立てて聞き取れなくするのです。これには困って、ついに講演を中断して電源を切ってしまいました。

 やがて講演が終わりましたが、静かになったと思ったら携帯電話の電源を切ったままで、入れ直すのをすっかり忘れていたのです。着信順に電話をかけなおすのですが、これがまた時間がかかって、相手にしかられる始末です。

 妻からの電話も多いようです。「今何をしているの」から始まって、「天気はどうか」「風邪を引かないように」「ご飯はちゃんと食べたか」「あまり無理をしないようにちゃんと早めに休むように」などなど、タブ先での私を気遣って電話をしてくれるのです。「うるさい」ようでもあるし、「「うれしい」ようでもあるし監視をされているようで複雑な気持ちです。

 福井に到着する前、列車の中に高知県馬路村の木下課長さんから電話が入りました。車内での電話はご法度なのでいったん電話を切り、福井の駅に着いたので電話おかけ直しました。何でも「馬路村の春を演出するために菜の花を蒔きたいのでアドバイスが欲しい」とのことでした。「えっ今頃?」と思いました。今年はいつもの年寄り気温が暖かく、暖地の高知県なので可能かも知れませんが、少々遅いようです。彼は私の若いころと同じように、思い立ったら行動するタイプなので、仕方がないと思いつつアドバイスをしました。明後日に観光カリスマ塾でやって来るのでその時詳しい話をしてあげたいと思います。

 もう一人深刻な電話が電車の中でかかってきました。ある町のある女性の友人からでした。彼女のご主人はある町の役場に勤め、合併した後は市役所職員になったのですが、小さな町役場時代と違い、意に反して本庁の勤務になったよですが、市役所の体質になじまず、ご主人が市役所を辞めたいというのだそうです。そこで相談に乗って欲しいし、ご主人に辞めないよう私から説得して欲しいというのです。旅先のことゆえ、ましてや電車の中なので電話を切り、ホテルから電話をしました、そしてご主人の携帯電話を聞きだし、電話を入れたのですが、彼は日曜日で休みなのかパチンコの雑踏の中にいました。粗方の話をして電話を切りましたが、三人の子供を育てる責任や家のローンなどを考えると、「甘えるな」と叱り飛ばしてやりたいのですが、そうも行かず帰ってからの大きな仕事になりそうです。

  「うるさくも ポケット揺らす 携帯が 私の話 中断させる」

  「飯食った 体の具合 どうなのと いちいちうるさく 妻は電話を」

  「辞めたいと 夫の話 持ち出して 携帯相手 深刻なりぬ」

  「便利さが かえって不便 かこってる 出ない電話に 募るイライラ」

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shin-1さんの日記

○やっと福井に着きました

 今回和歌山県~北海道~福井県と日本列島を縦断横断する長旅となりました。和歌山県や北海道の思い出は、自宅に帰って資料やデジカメの写真を整理してから、折々の思い出をブログに書き綴りたいとおもっていますが、さしあたり今日の午後北海道のオホーツク紋別空港を発って東京羽田に着き、京急電車で品川に出て、新幹線のぞみで名古屋まで到着、ひかりに乗り変えて米原で降り、しらさぎ9号で福井へ向かいました。オホーツク海に面した紋別空港を沢山の方々の見送りを受けて発ったのが13時25分でしたから、福井へ到着した20時8分まで実に7時間弱の時間を費やしたことになります。そこへゆくと松山空港を発った二日前は松山発7時40分、羽田を経由して紋別空港に降りたのが12時半でしたから、やはり飛行機は早いと実感するのです。

 福井に着いてからホテルを探しました。運よく駅前に東横インがあって、土日の連休ながら空き部屋があったので一夜の宿を確保しました。このホテルには確かインターネットが使い放題であることを思い出して選んだのですから私もかなり情報通になったものです。お腹も空いているものの、ブログのことも気になっていたので、ロビーにあるインターネットの前に、外国人の方と仲良く座って記事を書いています。

 長旅の疲れで自分のパスワードも忘れるほどですが、それでも何とかアクセスに成功し福井でしか書けない記事を書こうと、キーボードを叩くのですが、実は新幹線のぞみもひかりもしらさぎも、すべて満席で空いた椅子はすべて禁煙列車でなかったため、車内はもうもうとタバコの煙が立ち込め、体中がタバコ臭く、またタバコの煙のせいで目がかなり疲労しているのかショボショボしているのです。

 今日は天気予報だと北日本は雨でした。しかし午前中の北海道散策も、移動した間も雨に会うこともなく、最終目的地の福井さえも路面が雨にぬれている程度で、ラッキーでした。

  「汽車や船 飛行機つなぐ 旅リレー 思えば遠くへ じ分びっくり」

  「パスワード 思い出しつつ 安堵する 宿を確保し 今宵安心」

  「今頃は 妻は留守居の 気楽さで 風呂など入り 化粧落として」

  「立ち食いの 蕎麦をすすりて おばちゃんに 道順尋ね 小銭そこ置く」 

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shin-1さんの日記

○カラスの大群スズメの過疎

 先日松山へ行って夕暮れ時、カラスの大群を見ました。夕空に何やら黒いものが動くので見上げるとカラスの大群です。それも10羽や20羽の端数ではなく何百羽という数が移動しているのです。最近わが町でもすっかり見なくなったカラスですが、こんな所に移動しているのかと驚きました。動物は本能で動くのですから田舎から都会へ移動するのは当然かも知れません。だって田舎は過疎になって人の数が減り続け、しかも高齢化で「勿体ない」という時代に育った人たちが殆どですから、残飯など出さない人種なのです。そこへ行くと都会は毎日のように食べ残しや賞味期限の切れた美味しいご馳走が捨てられるのです。カラスが人間の食べ残したものを食糧にするのは当たり前の成り行きなのです。

 それにしても人間の暮しは随分豊かになっていく反面、「えっ、これ食べられるのに」と思うようなものまで、「趣味期限」の表示に忠実になってどんどん捨てられてゆくのです。たしかに私のような勿体ない世代は違和感を覚えますが、使い捨て時代に育った今の若い人は特に賞味期限の事を気にして食べ物を選ぶ賢い一面を持っています。そのことが赤福という老舗の間隔を麻痺させたことも事実のようです。

 今世代人たちは、人の作ったものを食べることが殆どなくなりました。刺身も調理品、果物だってカットフルーツ、ひどい人はご飯だってレンジでチンですから、裏に記載された賞味期限が気になるのは当たり前のことなのです。わが家のように菜園から獲ったものや漁師さんからいただいた魚を調理すると、そこには何の基準もなく、ましてや賞味期限なんて書かないから、長年培った独特の主婦の知恵で美味しく食べ、ゴミに出すのは残飯だけなのです。都会に集まるのは何も動物だけではなく格差社会を反映して世を捨てたようなホームレスの人たちもカラスと同じ行動をとっているようです。彼らは独特の動物的本能と方法で残飯をあさります。賞味期限など気にしないそんなものを日常から食べているので、滅多にO157などに当る事などなく、平然と暮らしているのです。しかしそうしたホームレスの人の中には、残飯といえども高カロリーのものが多く、成人病の人が増えているという調査結果もうなずけるのです。

 カラスと同じようにスズメもめっきり田舎では見なくなりました。田んぼの稲刈りが早くなり8月には稲刈りが終わるとスズメの食べ物がなくなるのです。ましてや今頃の稲刈りは昔と違いコンバインで刈り取りますから、稲穂から米粒が殆ど地上に落ちないのです。昔は落穂ひろいなんて作業が子どもに課せられていましたが、そんな事をする必要がなくなったのです。

 これも先日の出来事ですが、松山市内を歩いていると何やら騒がしい小鳥の声が街路樹の中から聞こえてきました。見ると夕闇迫る街路樹に無数のスズメが止っているのです。いやあ驚きました。

 カラスもスズメも人間社会と同じように田舎から都会へ移っているのです。カラスの世界もスズメの世界も田舎は過疎、都会は過密のよです。参りました。

  「動物の 社会で進む 過疎過密 田舎捨てたか スズメやカラス」

  「今の世は 賞味期限で 回ってる 俺などとっくに 期限切れてる」

  「この間 賞味期限が 切れている 物を食ったが 当らなかった」

  「俺らより ご馳走食ってる ホームレス 糖尿病が 気になるという」 


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shin-1さんの日記

○二つの店

 最近は東京若しくは東京経由の仕事が適当な間隔で入るものですから、適当に日本の中心の散策を楽しんでいます。東京は広いようで意外と狭いことに気付きます。駅と駅の間隔はそんなに遠くなく、案外歩いても行ける距離だったりします。東京へ行くとよく歩くことは確かです。田舎にいると朝起きてから夜寝るまで車に乗ることが多く、しかもそれは玄関先から目的地までですから、携帯電話についている万歩計など寝る前に調べてみると2千歩以下だったりすることもしばしばあるのです。そこへ行くと都会での暮しは全て公共交通機関か自分の足ですから、地下鉄の乗り降りや電車の乗換えなどだけでも友に1万歩以上は歩くのです。先日も少し疲れたなあと思って万歩計を見ると2万歩を越えて歩いていました。

 とにかく東京へ行ったらよく歩きます。しかも両手にカバンを持って歩くのでこれが中々疲れるのです。それでも都会の人の後ろについて出来るだけ大股で早く歩くよう心掛けています。田舎の歩きはノロノロ歩きが多く、運動量が少ないのに比べ都会の歩きは早さがあります。しかも朝のラッシュ時などの駅の構内はまるでお祭りのような人出でごった返していますが、殆どの人が無造作に歩いているように見えるのに、ぶち当たることもなく相手を上手く交わして行き交うのですから凄いものです。東京へたまに行くお陰で私もその歩き方に随分慣れて、スムーズに歩けるようになりました。私は東京へ行くと背筋を伸ばし胸を張ってへそで歩くよう心掛けています。そして極力歩くことも自分に言い聞かせているのです。

 東京へ行って時間があると最近はヨドバシカメラのようなパソコン用品を売っている店と、古本屋へ立ち寄ります。パソコン店と古本屋は一見何の関係もないように見えますが、実はこのミスマッチが中々面白いのです。まずパソコン店は時代の流れを読み取ることができます。私の頭では理解も出来ないしついて行くことも出来ません。ましてや新製品が次々出て、店内に入るとまるで「ここはパチンコ店か」と見まがう程に、安売りを勧誘するかん高いマイク放送が頭の上を飛び交います。そこには田舎の暮しでは見たこともないような商品が地下から地上数階までこれでもかと言わんばかりに並べられているのです。私はインクの品番を確かめて買ったり関連グッズを見て回りますが、いつも買う訳でもないのに店の中を歩いて触って見るのです。不思議なものであれほど嫌だったパソコンが何回かのお店通いですっかり馴染んでくるのです。

 最近のパソコンはもの凄く進化のスピードが速く、私の持っているパソコン知識などもう電子ゴミもいいとこなのでしょうが、それでも少しずつ買い込んで、一年前とは比べものにならないくらい進んでいるのです。これからもあの騒音の中に身をゆだねてちょっぴりの進化を遂げるよう心掛けたいと思っています。

 もう一つ時間があったら立ち寄るのが古本屋です。私の行きつけの店は歩いていて偶然見つけた古本屋ですが、その安さは尋常ではなく、新刊本ではないのですがまるで新刊本のような本が105円で売られています。荷物の具合にもよりますが多い時は10冊くらいまとめ買いをします。暇つぶしに読む本ですから新刊本でなくても、このくらいの投資で知識が入力されるのなら安い投資です。10冊でも1050円とはまた桁外れの安さです。買ったほんの中には当てが外れて前書きとあとがきだけ読んで捨てるものもありますが、週刊誌より安いのですから紙ごみになっても余り気にならないのです。

 お陰様で随分読書力がつきました。お陰様で随分書く知識を習得しました。私は読んだ中でこれはと思う事をいただいた名刺の裏の白紙部分に書き留めて活用しています。名刺を貰った方には失礼なのでしょうが、それでも貰って捨てるよりはまだましなのです。

 進歩の象徴のようなパソコン店と時代に取り残されたような古本屋に時代の流れと隙間風を感じながら東京を楽しんでいます。今週はまた東京へ参ります。

  「パソコンと 古本まるで ミスマッチ 私の知識 少し増量」

  「ハガキ買い プリントアウト 手づくりの 絵葉書友に 今日も三枚」

  「古本も わが家へ帰れば 新刊と 同じ顔して 机に並ぶ」

  「今週も 東京雑踏 歩く旅 元気の基を 仕入れに行くか」

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shin-1さんの日記

○そわそわ

 今日は長男の嫁が孫を連れて検診にやって来ます。今は仕事の関係で結婚以来松山市に住んでいますが、やがてわが家へ帰って暮すため住所をこの町に置いてまるで二重生活のようなことをやっています。先日保健婦さんから乳児検診の通知があり、連れて来るのだそうです。そういえばこのところ忙しくて孫の顔も見に行ってないと思い、パソコンのフォトコーナーに設けているフォルダーを開けてみました。誕生して2ヶ月余りが経ちましたが、一週間前の10月30日、出かけた時に写した写真が出て来ました。

 子どもの成長は早いもので、誕生して2ヶ月が経ちましたが、こんなに大きくなりました。しかし5月に生まれた長女の子どもは同じ年に生まれた同級生なのにもう寝返りもどんどん出来て下端が2本も生えてきているのです。体重なんかまるで横綱とフンドシ担ぎくらいの差があるのですが、小学校へ入る頃には同じようになるのですから不思議な話です。

 長男は長男教育をしているため、わが家で暮らしたいようですが、嫁の考えも聞いて慎重に暮しを組み立てて行かなければなりません。異世代が同居することは中々大変だということは、嫁であるわが妻が一番良く知っているので、妻の判断に委ねたいと思っていますが、いま少し二人だけの暮らしも味わいたいと思っています。そうしないと親父の面倒を見て疲労気味の妻の気の休まることもないのです。

 長男家族がわが家に住むためには家を改造する計画から始めなければなりません。比較的新しいと言っても昔風の家の造りになっているわが家は、襖で仕切られ洋間が殆どないのです。現代人は畳より椅子やスリッパでの暮らしですから、若者向きに改造しなければなりません。幸い長男は建築関係の仕事をしているので、2階部分をリフォームさせていと考えていますが、それ相当の資金も必要です。老後の蓄えからの出費は生活設計に基づかないと、かえって息子夫婦の負担になってしまいますから、しっかりと相談して決めたいものです。

 孫や嫁と同居する嬉しいようなそわそわと、家族が仲良く同じ屋根の下で暮らしていけるウロウロが同居しそうな思案の日々が続きます。

  「孫帰る そんな準備の 気構えを 妻と二人で 秋の夜長に」

  「早いもの 孫の成長 日に見えて 笑う仕草が 頭に浮かぶ」

  「じいちゃんと 呼ばれるわが身 気がつけば 六十路迎えて 白髪ちらほら」

  「年金の 集い招かれ 話する 行く道なのか 妙に親近」

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