shin-1さんの日記

○当選と落選

 先日の夕方、「奥多摩の明るい未来を作る会」の発起人である鈴木賢一さんから電話が入りました。鈴木さんは今年の6月4日、議会の視察研修でわが町にやって来た奥多磨町議会議員のひとりです。熱心な視察研修姿勢だったため人間牧場まで案内したのでよく覚えているのです。その折、「もし都合が付けば奥多摩まで話に来て欲しい」と打診がありましたが、議会議員の選挙が近づいているため変に勘ぐられてもいけないと、私を招く講演会は選挙後というお話でした。先日かかってきた電話では「選挙にトップ当選した」との喜びの声と、「講演会を行うので来て欲しい」という依頼のお話でした。この講演会を催すにあたり鈴木さんからの依頼で、私の出版物などを送り準備を進めていますが、12月14日にお邪魔する事になったのです。それにしてもトップ当選とは中々やるものだと感心し、電話で祝福をさせてもらいました。

 今日外出先から帰って郵便受けを開けてみると見慣れた名前の封書が届いていました。長野県南佐久郡南牧村村長中島美人さんからでしたが、何故か村長のの肩書きの前に「前」と手書きで書き加えられているのです。悪い予感が一瞬体中を走りましたが、封を切って手紙を開けると予感どおり選挙の結果落選したという手紙でした。中島村長さんとは観光カリスマの一人である山梨県清里の舩木上次さんを介して知り合い、行ったり来たりの交流が続いていた数少ない知的友人なのです。手紙には2期8年の村長職としての実績を「夢幻の如く」と書いていました。「産業振興と住民福祉に立脚した自立する南牧村」を掲げた中島さんの手腕は誰しも認めるところでしたが、4年前と同じ現新一騎打ちの激しい選挙戦の結果、400票という大差で苦杯をなめたのです。

 「私はこれから別の人生を歩みます。たった一度の人生ですから、何か夢を探して旅をしたいと考えております」という文面には、ただただ心痛むばかりでした。

 私の友人や知人には、選挙に立候補して当選したり落選したりする人がいて、悲喜こもごもです。勝てば官軍負ければ賊軍、そして勝てば天国負ければ地獄といわれる人たちの結末を、これまで何度も見てきました。その度に人生のはかなさや悲哀を感じつつ、「私は政治には絶対手を出さない」と堅く心に誓って今日まで生きてきました。負けたり勝ったりは戦国時代から変わらぬ男のロマンです。でもその男のロマンの陰で泣く家族の事を考えればそんな勇気はありませんでした。「お父さん、選挙に出るんだったら離婚しよう」とまで三行半を突きつけられている甲斐性無しの私には、そこまで踏み込む勇気などなかったのです。

 先日大分県佐伯市の矢野大和さんに東京と島根で会いました。大分県宇目町の役場職員から身を起こした彼も民主党から参議院議員選挙に立候補して、悲しいかな政争の果てに落選してしまいました。明るく振舞う今までの彼の姿が印象としてあるだけに、その後の身の振り方が気になるところです。

 選挙は結果です。クリーンな選挙をしなければいけない時代だけに、また無党派層が多いだけにまるで手探るのような選挙を戦わなければなりません。勝った人、負けた人それぞれがまた新しい人生に向かってチャレンジしてゆくのでしょうが、矢野さんや中島さんの前途を案じながら、鈴木さんの健闘を祈っています。

  「出なければ 勝ち負けもなし 選挙戦 勝てば天国 負ければ地獄」

  「選挙戦 出れば離婚と 三行半 離婚怖いか 未だに出れぬ」

  「前と書く 村長肩書き 侘し過ぎ それも運命 再起を期待」

  「当選の 弾んだ声に 安堵する わが事の様 四年安泰」



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shin-1さんの日記

○叙勲祝賀会に参加して

 秋の叙勲がマスコミを通じて発表されました。私の知ってる人も何人か叙勲に浴され、インタビューされた喜びの声が新聞やテレビで紹介されていました。叙勲などにはまったく無縁の私にはその賞の重みや種類がどの程度あるのか知る由もありませんが、長年その道一筋に生きてきたことが認めれれての受賞だけは間違いありません。その事を素直に喜び受賞者に対して大きな拍手を贈るのは当然のことなのです。しかし同じような仕事をして、同じ若しくはそれ以上の功績を上げているにもかかわらず、一方は受賞し一方は受賞しないあいまいな受賞基準や、人に序列をつけるような制度に対し叙勲の度に問題になっていることも事実のようです。また教育文化や社会福祉といった崇高な功績ランクが下で、公務員や政治家などが上位ランクを占めるのもどこか可笑しい気がしないでもないようです。

 昨晩は双海町で医院を開業している梶原忠弘先生の叙勲祝賀会があり、ご案内をいただいたので出かけました。先生の今回の叙勲は学校医としての功績だそうですが、先生は長年文化協会の会長を務めるなどむしろ医療分野より地域文化の貢献の方が相応しいほど地域の文化活動に貢献をされていて、昨晩集まった方々もその方面の知人友人が多かったようです。八十歳を過ぎてもなお矍鑠として往診に回る姿を見ながら、見習いたい生き方だと頭が下がるのです。あれもこれも叙勲に値すると思いながら発起人や祝辞を述べる人の話を聞きました。先生はお礼のあいさつで自分の少年時代の思い出に触れ、大分県耶馬渓町に生まれ中津の中学校へ進学した頃の社会情勢を話されました。戦時中だったため多くの仲間は戦争に行き特攻隊などで命を落としたようですが、先生は体に自信がなかったため生き残り医者になったそうです。

 母親の思い出にも触れられ、自分が今日あるのは「三つ子の魂百まで」と言われるように母親の教えが大きく影響しているとも述べられました。

 人は一度は死ぬ宿命を持っていますが、死ぬまでの生きている間をどう生きるかは本人の努力次第でいかようにも変えられるものです。何かの望みを持ち、しかも世の中のために尽くすことは容易なことではありませんが、それでも少しでも世の中のお役に立って死ねたらいいと思います。残された余命を軸足を少しだけ「世のため人のため」に移して生きてみようと、殊勝にも思いながら満月の夜道を胸を張ってわが家まで歩いて帰りました。妻が待つわが家へ・・・・・。

  「叙勲者の 祝賀の宴の 帰り道 まん丸月に 精進誓う」

  「学校の 先生死んだら 叙勲する どこか可笑しい 言いつつ酒を」

  「勲章は 戦功あれば 貰うもの そんな話を 子ども心に」

  「瑞宝章 言われ聞いても どれ程の 値打ちなのかは チンプンカンプン」  

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