shin-1さんの日記

○今日はとても嬉しい日になりました

 12年も前のことでしょうか。ある日電話で友人から金の無心がありました。金の無心はその友人ではなく友人も私もよく知っている女性に無心をして欲しいとのことでした。聞くところによると親の反対した人と出会いの末身ごもり、子どもを産むための費用だそうです。勘当された親にも頼めず途方に暮れた末の切羽詰った話に同情し、何人かでお金を工面して遠い異郷の地で無事出産の知らせを友人から聞いた時はわがことの様に嬉しかったものです。その後様々な遍歴を経る度に手紙や葉書で近況連絡する律儀さは見上げたものだと思いつつ、貸した金のことなどすっかり忘れていました。

 今日外出から帰ってみると妻が「お父さん女性の方から現金書留が来とる」というのです。表書きの下には昔の名前が記されていました。封を切り中を開けてみると貸した現金がきちんと入っていて、手紙にはこれまでのいきさつや近況が詳しく記されていました。

 妻は女性ですからもてない私でも女性に金を貸ということは余程の理由だと、当時の事をちゃんと覚えていました。私は急ぐというので当時の収入役に嘘をついて2日後の給料日まで借用書を入れてお金を借りたのです。当然2日後の給料日には私の給料から天引きされました。薄っぺらい給料袋の時代ですから、手渡した妻は理由を聞きました。私は「お前にもいえない理由で金を貸した」とだけいいました。妻は何にもいわず納得したのかしないのか一応了解しました。

 あの日以来10数年の時が流れました。年に1、2度の年賀状や暑中見舞いも沢山の葉書に隠れてお金を貸したことなどすっかり忘れていたのです。相手には失礼な話ですが「訳ありのお金だから戻ってくるかどうかも分らないし、借用書など書かない信用貸ですから戻ってこなくてもいい」くらいに思っていました。

 処がどうでしょう。ちゃんと戻って来たのです。私は涙が出るほど嬉しくなりました。察するに彼女は元の鞘に納まって実家へ帰り働きの中からコツコツと貯えて今日の日を迎えたに違いありません。小学生の長女と次女をかかえて暮しも大変でしょうが、恩を恩として返したのです。勿論妻に彼女からの手紙を読んでやり、当時の給料袋の思い出を二人で振り返りました。妻も涙ぐんでいる様子で喜んでくれました。そしてそのお金は妻の家計簿に戻したのです。

 世の中色々なことがあります。余程裕福に見えるのか私の元にさえ金の無心に来る人もいます。中には貸したっきりで返さない人もいます。人には人に言えないことだっていっぱいあるし、特に金に困った時の難儀さは本人でないと分らないものです。わが家の先祖も貧乏、私も未だに貧乏ですが、親父が口癖のようによくいう「騙されても騙すな」はお金の世界でも通用するものだと思うのです。

 今日は妻が「お父さん、今日はいい日でしたね」と言ってくれました。そうです。今日はハッピーなのです。

  「十二年 ぶりに返った 貸した金 手紙読みつつ 目頭熱く」

  「一枚の 借用書もない 貸した金 さぞや心に 重き荷となり」

  「俺の妻 あの時何も 言わず首 横に振らずに よくぞ了解」

  「嬉しいね 今日はいい日だ 思い出す 昔のままの 彼女の笑顔」  

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shin-1さんの日記

○人間牧場付近が火事だ

 昨日の昼過ぎ、わが家に妹みゆきから一本の電話がかかってきました。仕事先から昼休みで帰ったばかりの妻が電話を取ったのですが、「お父さんみゆきちゃんから電話が入って人間牧場付近が火事だそうです。消防車が走り、何でも池ノ久保の梶野さん方の上付近が山火事らしい」というのです。私の胸はとっさに高鳴りを覚えました。梶野さんがよりにも寄って「火事のさん」と聞こえるのが何よりもその事を照明しているのです。梶野さんといえば人間牧場から直線で500メートルしか離れていないし、その上だったらまさに人間牧場辺りなのです。

「お父さん行ってみないと」「気をつけてね」「向こうへ着いたら電話をしてね」「そういえば水平線の家は火災保険にはまだ入っていない」などと矢継ぎ早の話しに諭され、取るものもとりあえず乗用車で出発しました。

 海岸国道378号に出ると人間牧場付近が山の端に見え隠れするのですが、高速道路並みに走るお盆帰省客の車に注意しながら、車の列が途切れる度に目を凝らして人間牧場を見ながら走りました。途中妹みゆきの経営するくじらという小さな店に立ち寄りその真意を確かめました。先程の電話と余り進展のない話でしたが、近所の人に電話で様子を聞いたところ「鎮火した」とのことでそれ以上の情報は入っていませんでした。

 いつも通る近道を走ろうとその道に差し掛かると、前を消防署の赤い指令車が現場に向かって走っていました。急な山道は慣れていないのかノロノロ運転でじれったい気持ちになりました。さらに現場に近づくと二本の分かれ道に出ます。その分かれ道でも不案内な指令車は一旦車を止めて後続の私にどちらの道か聞く有様です。

(真ん中の広場が焼けた場所です)

やがて梶野さんの家付近に来ると少し広くなった道沿いに何台かの車が駐車し、消防車も2~3台いました。みかんハウスのその向こうに土木業者が残土処理した空き地があり、その付近の枯れ草が焼けて当たり一面からまだくすぶりの煙が立ちこめていました。どうやら「梶野さん方の上」は「梶野さん方の下」だったようで、何はともあれ火事になった方には悪いのですが人間牧場ではなくホッとしました。見たところ広場の枯れ草程度で被害はまったくないようで、枯れ草でも焼いていて延焼したのか火元と見られる人と消防署の人が現場検証しているようでしたし、地元の消防団も引き上げていましたので、野次馬になってはいけないと横目に見ながら通り過ぎ、とりあえず人間牧場に到着し、鍵を開けて中に入り点検しましたが何の変りもなく猛暑の静寂の中でセミの声だけが賑やかに聞こえていました。ふと妻が出かけに漏らした「火災保険に入っていない」ことが気にかかり、状況を知らすべく家に電話を入れました。わが家にはこの二日間夏風で仕事を休んでいる次男がいましたので、「人間牧場が火事ではなかった」旨を告げ、続いて妻の職場に電話を入れました。「お父さんよかったね。ホッとした」と妻も喜び「人間牧場は火を使うし無人になることもあるので火災保険に入ろう」と勧めてくれました。

 そうこうしていると3時過ぎとなって、この日は国立大洲青少年交流の家で開かれる「大人を考えるフォーラム実行委員会」がある事に気がつき、着替えもせずにカジュアルな服装で別のルートの山道を下って国道に出て興奮冷めやらぬまま大洲へ向かいました。

 一瞬にして全てを失う火事の怖さは、火事を起こした張本人でないと中々分りません。わが家でも無人島キャンプから帰ってきた私たち親子を迎えに出た妻の一瞬のスキに天ぷら油に引火して窓を焦がしたボヤ騒ぎがあり肝を潰した経験があります。幸い大事には至りませんでしたがあの時以来火の始末はしっかりしています。息子は建築士らしく完成した水平線の家に何本かの消火器を置いてくれていますが、蚊取り線香や囲炉裏、それに雑草の野焼きも行う人間牧場の火に対する備えをもう一度しっかりしたいと思ったお盆16日の昼下がりでした。

  「牧場が 火事かも電話 受けた妻 火災保険が とっさに頭」

  「胸を撫で 無事を喜ぶ 牧場の 夏の静寂 セミは賑やか」

  「有り難や 火事を心配 電話する 妹存在 改め思う」

  「降って湧く お盆休みの 昼下がり 心動揺 ハタハタ鳴りて」


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