shin-1さんの日記

○変る写真事情

 昨日伊方町の塩崎さんから手紙が届き、中に7月7日人間牧場で合宿した時佐賀関の渡辺さんが撮影した写真が何枚も同封されていました。渡辺さんは写真が趣味でわが町の恋人岬に沈む夕日をわざに撮りに来るほどの腕前ですから、一枚一枚の写真のおくが深く、見ていても飽きないほどリア売るに表現されているのです。私もかつて教育委員会に在職中広報マンとしてカメラを仕事道具に10年間も地域の話題を追った経験があるので、話題やアングルなど一通りのことは習っているつもりですが、ペンタックスの一眼レフカメラの時代とデジタルカメラの現代ではその手法が全然違うものですから、渡辺さんのような時代を先取りした人に比べると大分時代遅れだと自負しているのです。

 カメラの変革が一応それなりの進化を遂げてきましたが、最近はプリンターの技術革新が目覚しく、居ながらにして自宅で写真が出来るのですから驚くほかありません。写真屋さんにフィルムの現像に出して1日、写真を焼き付けて1日とまる2日間もかかっていた行程は全てカットされ、撮影即プリントですから気に入らなければ再撮影するチャンスだってあるのです。更にその写真の画像がインターネットで送られるというのですから、私たちのような凡人の頭脳では何が何だか分らない時代なのです。

 私は今エプソンのプリンターを使っていますが、今度手に入れたプリンターは中々の優れもののようなのです。父の日のプレゼントとして届いたばかりで、まだ私自身の手で使い初めしていないので、その性能はまだ未知ですが、息子の話によると多分このプリンターだと、かなり性能が良いのでいい写真の仕上がりが期待出来そうなのです。

 手元に使わなくなった一眼レフのペンタックスカメラがあります。役場で工事用に買ったものなのですが故障して廃棄処分され備品台帳から抹殺されたカメラなのです。メーカーに送ったところ、故障部分は少しお金をかければ直るというので3年前自費で修理に出し、何ヵ月後に手元に帰って来ました。直ったので備品に復活するか問い合わせたところ、廃棄の復活はしないとの返事だったのでそれからデジタルカメラを手に入れるまでの1年間、様々な場面でこのカメラは活躍しました。

 ところが退職時に当時の仲間が当時としてはかなり性能のよかったフジフイルムのデジカメを退職の記念品として贈ってくれたため一眼レフは使われることなく使い方も忘れるほどの長い間机の隅で埃を被っていたのです。使い捨ての時代といいながら勿体ないので少し使ってみようと思い始めているこの頃です。荷物にはなりますが月末に上京予定のためこのカメラを持参しヨドバシカメラにでも立ち寄って電池の交換やフイルムの購入などしたいと思っています。

 デジカメ万能の時代となり、一眼レフなどは古い時代の物として捨て去られる運命にありますが、一眼レフだっていい写真はいっぱい取れるのです。むしろ一眼レフにはデジカメにはないオンリーワンのよさがあるのです。

 そういえばダンボールに入れられたままで未整理の写真の数々も気になっています。亡くなった友人がカメラ気違いといわれるほど多くの写真やフィルムを残してあの世へ旅立ちました。まちづくりの世界だと遺し伝えるはずの遺品なのでしょうが、遺族や価値が分らない人にとっては最早ゴミに近い存在なのです。私の写真も家族にとっては同じように最早ゴミです。ゴミにならないための方策は整理整頓してせめて7回忌くらいまで思い出のよすがにしてもらいたいものです。

 渡辺さんの写真を見ながら、はて渡辺さんはどんな整理整頓をしているのだろうと思いました。

  「わが家でも 写真が出来る 世の中に 変ったものです これから先も」

  「一眼を ごみの中から 拾いあげ 修理しつつも 使わず放置」

  「送られし 写真に友顔 思い出す 取った本人 何処にも見えず」

  「記憶とは 曖昧模糊な ものですね あった出来事 既に忘れて」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○墓参り

日ごろは不信心な私ですが、春と秋の彼岸、それにお盆や正月は地元の風習にしたがってお墓参りをしています。お墓まで家からだと直線距離にして500mほどしか離れていないため、行こうと思えば毎日でも行けるのでしょうが、ついつい忙しさにかまけて足が向かないのが実情です。親父は1週間に一度は必ずお墓掃除に出かけ、シキビの花を手向けて帰りますから、地元の人から見ると「若松さん所のお墓はいつも花があって綺麗」と感じるらしく、お褒めの言葉をいただくのですが私にとってはきまりの悪い言葉で、「親父がちゃんと墓守をしてくれていますので」と親父の顔を立てるのがやっとなのです。

 今年は日程が立て込んでいて8月14日のお参りとなりました。前日人間牧場へシキビの花を取りに行き準備をしていたのでそのシキビを三つに分け、ひとつは家の入り口付近にあるお地蔵様用、ひとつは仏壇用、そしてもう一つはお墓用に束ねお墓用を持参して出かけました。朝8時前だというのにセミの声が賑やかで、「今日も暑いなあ」といいながら墓地へ到着、3日前に親父が掃除に来た時に供えたシキビですが夏の暑さでかなり傷んでいたので思い切って新しいのに取替え、たっぷり水を入れ、線香を手向けてご先祖様に敬虔な祈りを捧げました。やはりお盆でしょうか、あちこちのお墓には早朝の涼しい時間を選んでの墓参りの人たちも多く、馴染みの人たちに声を掛けながらお参りを済ませました。

 息子夫婦は昨日墓参りに来たようです。長男は誰に似たのか毎年春秋の彼岸や盆と正月は欠かさずお参りをします。妻に言わせれば「私の教育がいいからだ」と胸を張りますが、確かに妻の信心は偉大で、毎日の仏壇へのお茶とご飯のお供え、それに線香やお光は欠かすことなくやっている習慣なのです。そんな無形の妻の姿を子どもたちは見ながら育っているのですから、これはもう妻の最大の功績なのです。

 急な思いつきながら、昨日の夕方送り火をして先祖の霊を送った後、妻の実家八幡浜のお墓参りに出かけました。最近は道路事情もよくなって海岸国道378号を通れば八幡浜まで1時間弱で到着するのですが、保内の入口で八幡浜ヘ向かう道路が多少混雑し1時間強かかりましたが、それでも夕暮れの墓地にはやはり涼しい時間を狙ってのお参りなのか線香の煙が立ちこめ、見知らぬ人が何人か挨拶を交わしながら行き交いました。妻の実家の墓地はお寺に境内の中腹にあって登るほどに八幡浜湾の絶景が広がりいい眺めです。昨日は小雨がパラパラ落ちていましたが濡れるほどではなく程よい涼しさでした。

 お墓にも人間模様が見え隠れし、あちらこちらのお墓は既に墓守も途絶えたのか草に埋まって見る影もない寂しいものも幾つかありました。中には江戸時代の年号も記載された立派なお墓なのに荒れているものや、比較的新しいのに荒れているものまで様々です。自然の草木は偉いもので、地震等でびくともしない墓石でも、長年放置すると礎石が動いて墓が倒れているのです。昔は若死にする人も多かったようです。また沢山いた子どもたちはみんな田舎を捨てて都会を目指しました。都会で一旗あげることが家や郷土の誉れでもありました。しかしいくら成功して金があっても、先祖のお墓がこれではと思いました。近頃は日本人の先祖に対する敬愛の念が大きく揺らいでいると思いました。

 そんなお墓を横目に見ながら妻と二人で色々な事を話しました。私たちのこれからのこと、私たちの死後のことなど、先祖守りをしてくれるであろう長男夫婦のことなど、歩きながら人生とは何かまで話しこみました。母の7回忌も来月に近づき、今日の送り火の時親父が「来年はわしの迎え火を焚いてもらうかも知れん」と、つい弱気な話をしたことなどを考えると、生きている人間の住むこの世と、先祖が眠るあの世の垣根はいよいよ近くなりつつあるようです。

 妻が唐突に「お葬式の時死者が頭につける布の三角帽子はどうして付けるの」と聞きました。「あれは天冠といってな、死んだ人が極楽の閻魔を通る時冠をつけていないと失礼にあたるから着けているんだ」と、母が亡くなった折知人の葬儀社に聞いた話をしてやりました。「まあお父さんはもの知りじゃねえ」と褒めてくれました。そういえば四谷怪談にでてくる幽霊も必ず頭に三角帽子をつけているし、バラエティー番組でも幽霊イコール三角帽子の出で立ちのようで、あんなことを遊びにしたら今に閻魔大王の怒りに触れ、地獄へ落とされるのではないかと思いました。まあ彼らはかなりお金を儲けているので、「地獄の沙汰も金次第」で天国へ行くのかも知れませんね。

  「お参りの 人もいなくて 草ボウボウ せめてわが墓 息子よ頼む」

  「出世して お金できても これではね 先祖敬う 心なければ」

  「三角布 被りて閻魔 通りゃんせ やがて私も 例に習って」

  「お墓にて 夫婦が語る これからの 人生いかに 生きればよいか」



[ この記事をシェアする ]