shin-1さんの日記

○加害者と被害者

 先日所用で東温市に行く途中追突事故に会いました。追突事故など起こしたことも起こされたこともない私にとっては青天の霹靂でしたが、不幸にも私の車にぶつけた方は女性だったため気が動転したのか、かなり取り乱した様子でした。この事故から始まった加害者の心理は被害者になったような心境が見て取れました。車の修理にかかる費用や相手の病院代、警察の事故処理の行方など、寝ても起きても事故のことが気になって仕方がなかったに違いありません。事故を起こしたら当然と思われがちな事故に伴うこうした煩雑な経済を伴う事後処理と相対する人間模様は、思わず逃げ出したい気持ちになるのは当然かも知れません。

 事故が起こった28日は予定された仕事が入っていて、あいにく土曜日のことなので明くる日も含めて病院がお休みで、以来首のムチ打ちを心配しながら結果的には積んだスケジュールの合間を縫って、昨日の午後の診察となってしまいました。その間事故を起こした方は何度となく私の教えた携帯電話に見舞いの電話をかけていただくし、110番の事故処理をしてもらった警察官からも再三お電話をいただくなどこちらが恐縮するほどの対応でした。

 昨日出張のついでに飛び込みで伊予市の整形外科に飛び込み看てもらいました。レントゲン写真を4枚撮って診察を受けましたが、骨に異常はなく肩に少々の張りがあるものの大したことはないとのお話でした。受付で交通事故の診断と申告していたので、全額受信費用を支払い領収証をいただきました。私は帰宅後早速相手の方に電話して何事もなかったと話しましたが、相手の方は今後のこともあるのでと今朝わが家を訪れました。

 病院での診察結果をお話しその上事故処理をした検察官に電話を入れ、車も治って修理屋さんから納品され修理費用も全額支払われたことや、怪我もない旨をお話し、示談による円満解決というということで、出来るだけ軽い処分にしていただくようお話しました。本人は安堵したのか涙ぐんでわが家を後にしました。

 任意保険には行っていなかったことや、離婚して間がないことなど私的な話を聞かされていたので、長引かせては可哀想と思い、これにて一件落着にしました。

 私を含め現代は車なしでは生活できないほど車のお世話になって暮らしています。何気なく乗っている車も突如として凶器に早代わりすることだってあるし、事故の危険性は誰しも身近にあるのです。今回は加害者でなく被害者になってしまいましたが、私にとっても貴重な体験でしたし、事故の怖さや加害者が被害者になることを学ばせてもらういい機会となりました。警察官をしている息子から散々いわれている「事故のないように気をつけて」という言葉をしっかりと肝に銘じなければならないと心に誓いました。

 それにしても追突は加害者100パーセント負担とは驚きました。

  「加害者が 被害者になる 事故処理で お互い疲れ これで幕引き」

  「110番 初めてしたと あの女性 今も忘れぬ 事故の日のこと」

  「前よりも 綺麗になって 里帰り 事故の痕跡 車のみ知る」

  「事故などは 人のことかと 思いしや 俺が会うのか これはたまらん」

 

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shin-1さんの日記

○台風がやって来る

 大型台風4号が大きな爪痕を残して去った日本列島に再び台風がやって来ました。今回の台風5号は前回の台風に比べるとやや小型ながら,日本に近づくまでは台風の目がはっきり確認できる強力なものでした。その台風は宮崎県日向市に上陸した後、大分県竹田市付近を通過して山口県宇部市付近に再上陸した後山口県萩市から日本海に抜けました。日向市に上陸したのは夕方でしたから夜の12時間に日本列島を縦断した事になります。台風銀座といわれる九州や四国には、今年も既に2つの台風が上陸したり掠めたりと散々な状況で、死者やけが人、床下浸水・床上浸水、土砂崩れなど大きな爪跡を残しています。

 かつて何度か裏山が崩れ、大きな被害を受けたわが家でも台風が来る度に、一喜一憂しながら眠れない夜を過ごすのです。妻は台風が来るだろうとと予測すると懐中電灯や雨具などを用意し、雨戸などを確認して台風の襲来に備えます。四国山脈を背にして瀬戸内海に面しているため、風も雨も太平洋に向いている高知県などと比べるとものの比ではありませんが、それでも地すべり地帯のため雨の災害が心配なのです。

 私にとって忘れられない台風は今から4年前の、2003年7月3日にやって来た台風でした。大雨が降り裏山が崩れ、その片づけをしていてチェンソーで右足を負傷し入院を余儀なくされたのです。救急車に乗って県立中央病院へ搬送される時間の長かったこと、チェンソーの切り傷のため手術が長時間に及び苦痛に顔がゆがんだこと、10日間の入院を余儀なくされたもののそのベットで「今やれる青春」という一冊の本を書き上げたことなど今思い出してドキドキするような思い出なのです。その闘病記録は日記風に一冊の手づくりミニ本にまとめていますが、記憶とはあいまいなもので、その痛々しい記憶すら文字に書いて残さないと忘れてしまうのです。

 今は日記風ブログで日々の暮しや思いを克明に記録していますが、凡人の私にとって記憶と記録の難しさは想像以上に難しいものです。記憶は年齢とともに退化するし記録も日々の努力を怠るとバトンリレーができないのです。それでも少ずつ無理をしないつもりで無理をして書き綴っているのです。昨日のことがもう思い出せないことだっていっぱいあるし、5年も前の出来事となるとこれは完全にメモか記録がないと思い出せないのです。

 その事を考えると、二日前に訪ねた周防大島で見た民俗学者宮本常一の文章の量たるや驚嘆に値する相当なもので、とても真似の出来るものではありません。電子文字のなかった時代ですから原稿用紙やノートに鉛筆や万年筆でどれ程の文字を書いてきたことでしょう。宮本常一の研究で知られる佐野眞一さんがいうように、宮本常一は歩き過ぎたし書き過ぎて市を早める結果となりましたが、それでも宮本常一さんの残したメッセージは「かつてこの国土に生まれたもの、そして今この国土に生きるもの、そして今からこの国土に生きるもの」を結ぶ赤い糸に違いありません。

 台風の記憶と記録だけでも意味のあることだと思いつつ、今朝去りし台風の記憶は遠ざかる台風と同じように記憶の彼方へ去ろうとしているのです。

  「眠られぬ 夜を過ごして 去って行く 記憶と台風 何処かのまちへ」

  「記憶とは はかなきものよ 昨日さえ 思い出し得ぬ 老化の一途」

  「覚えてる 足の古傷 見る度に 台風被害 懐中電灯」

  「台風は 偉いもんだね 水不足 一気に解消 水瓶満タン」

 

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