○豊かさとは何か
私たちは日々の暮しの中で何か分らないけれど満足しきれない部分を感じながら生きています。お金ももっと欲しいし、もっと幸せになりたいし、自分の持ってる願望を成就させたいとも思っているでしょう。さらに不透明な時代なのでしょうか、将来への不安を隠しきれないでいるようです。「豊かになりたい」、誰もが思っている「豊かさ」とは一体何なんでしょう。
豊かさには大きく分けると①取得のゆとり、②時間のゆとり、③空間のゆとり、④余暇・学びのゆとり、⑤安心・安全のゆとりという5つの判断材料があるように思います。
①所得のゆとり
私たち庶民的な人間はお金持でない限り、お金持ちになりたいという願望を多かれ少なかれ持っています。毎日あくせく働くけれど、一向にお金が貯まったという実感はありませんし、新聞やテレビでセレブな暮しが紹介される度にあんなお金持に一度はなってみたいと思うのは無理からぬところなのです。しかし物のない時代を経験した私のような世代から比べると今の世の中はまるで天国のようなものの豊かな社会に暮らしているのです。要はその豊かな暮しを維持するために働いているに過ぎないと思った時、豊かさはどこか遠い存在になってしまうのです。所得は働きの代償です。贅沢な暮しにはお金の裏づけが必要です。もっとシンプルに生きて、所得と生活のバランスをしっかり考えれば貯蓄は自ずから増えてくるのです。「入るを知りて出るを考える」ことこそ経済的ゆとりを生む最大の法則かもしれません。北海道夕張市の経済破綻は街レベルの取得のゆとりがなくなった結果だと思うのです。私は田舎に住んでいますが所得が少ない分家庭菜園での野菜作りや魚の頂き物などによって所得の少なさをカバーできています。
②時間のゆとり
人には平等に一日24時間、一年365日×時間が与えられています。その三分の一は食うための働く時間です。三分の一は寝る時間です。残りの8時間が自分お自由になる時間なのですが、その中には食事の時間や家族のために費やす時間などの準束縛時間が含まれていますから、残された自由時間はそんなに多くはありません。でもその残された時間をどのように有意義に使うかによって人生の生き方が決まるのですから、あだや疎かにこの時間を使ってはならないと思います。田舎に暮らしていると通勤時間は都会に比べ少なくて済み、その分だけでも随分時間のゆとりが出来るはずです。
③空間的ゆとり
これはズバリどんな家に住みどんな自然が周りにあるかだと思います。私は貧乏ながら660坪の敷地内に建っている77坪の家に住んでいます。さらに家の横に煙会所という私設公民館や海の資料館まであるし、セカンドハウスと呼ぶことは出来ませんが、海の見える丘の上に人間牧場まで作っています。こんな贅沢な空間的ゆとりは都会では考えてもできることではありません。
④余暇・学びのゆとり
さて時間的なゆとりをどのように意義あるものに出来るか、それは考え方と行動力が生む結果なのです。時間的なゆとりがあってもパチンコやゴルフ三昧だけでは決して充実した余暇時間の過ごし方にはならないのです。その余暇が学びによって新しい何かが再生産されるような、まさに生き方なのです。週末には近くの温泉に出かけてリフレッシュしながら健康維持を図ったりすることもその一つかも知れません。我が家へは沢山の人がやってきます。人と出会い人によって人となる、また自分の住んでいる地域のためにボランティア活動をすることも価値ある生き方なのです。
⑤安心・安全のゆとり
水の美味しさ、空気の美味しさ、交通事故の危険性がないか、災害時の備えは出来ているか、年金での暮しや生命保険の加入はどうかなど、安心と安全は人間が生きていく上でとても貴重なテーマとなってきました。
結局「あなたにとって豊かさとは何か」と問われたら、これら全てのゆとりがバランスよく満足度が高いことだと思います。一度この5つのテーマごとにチェックリストを作ってバランスシートを作ってみては如何でしょうか。
「豊だね 俺の人生 五項目 バランス良くて 得点高い」
「金はない けれども心 豊かです ゆとり感じる 今の生き方」
「豆のつく 頭と豊 あやかって 丹波黒豆 おせちいただく」
「空間も 時間も間がつく 人間も 間にこそ心 あるのだろうか」