shin-1さんの日記

○池ができたよ

 この暑さの中でせっせと貰った鯉の稚魚のために掘っていた親父手づくりの小さな池が庭の隅に出来上がりました。畳半畳ほどの猫の額ほどしかない池ですが、さすが器用な親父だけあって見事なものです。池が漏るといけないので最後の仕上げはやはり親類の左官さんにお願いして上塗り仕上げをしましたし、水道工事も自分が排水工事はしたのですが給水工事は水道屋さんに傍の防火用水タンクに穴を開けてもらいカランをつけて、あっという間に全てが揃いました。あとは灰汁抜きをして水を溜めると早速鯉の稚魚のお引越しとなるのです。

 そもそもこの池を造る計画は鯉を飼育している馴染みの業者さんから稚魚を貰った一週間前から始まりました。鯉の稚魚を貰う。⇒鯉の稚魚を水槽で飼い始める。⇒餌と鯉の糞で水槽が汚れる。⇒鯉の稚魚を池に入れる。⇒池の鯉が稚魚の餌つつきで餌を食わなくなる。⇒稚魚を水槽に生簀を造って分離する。⇒その生簀の稚魚の行き先のため池を掘る。⇒土木作業をする。⇒仕上げは左官さんに依頼する。⇒給水は水道屋さんに依頼して防火水槽に穴を開ける。⇒完成。てな調子です。

 ご覧下さい。素人とは思えない出来栄えでしょう。もう昔池で使っていた浄化用ポンプまで用意する念の入れようです。多分2~3日後には灰汁も抜けて鯉の稚魚が涼しげに泳ぐことでしょう。

 親父には私にはない違ったおおよそ3つのネットワークがあって、その人たちが足繁くやって来ます。第一のネットワークは鯉仲間です。親父は自分の掘った池で8匹の自慢の鯉を飼っています。大きいのは10キロもあるような凄い鯉で、遠来のお客さんも「立派な鯉じゃねえ」と褒めてくれます。朝底水を抜いて餌をやるのが日課です。こんな小さな池なのに専門業者が持っているような浄化槽設備をつけて万全な飼い方をしているので鯉の見分け方、飼い方何でも一通りは薀蓄を語れるのです。

 第二のネットワークは骨董仲間です。家の横に海の資料館「海舟館」を設置している変わり者で、骨董品を収集したり磨いたりするのが得意で、余り値打ち物はありませんが値打ちがありそうに見せるところが親父の凄さでしょう。普通骨董品が好きなだけならばボロいものを所狭しと並べるのが普通ですが、親父は美的感覚があってそれなりに展示に耐えているのです。勿論自分の造った和船の模型などは玄人はだしで、30数隻の模型がこれまた美しく飾られています。

 第3のネットワークは野菜づくりでしょうか。近所のおばちゃんがやって来ては野菜づくりの話をお茶を飲みながら話しています。親父は若い頃ガンで顔の手術をしていますので人前に出ることは極力控えてきました。特に最近は手術の後遺症で多少よだれが出るため飲み食いの場所は、人に迷惑がかかるからと出ないのです。でもこれら3つのネットワークを持っているお陰で元気に過ごしています。

 親父が何かを始めると私たち家族はハラハラします。88歳になっのだからもう少し穏やかにと思うのですが、頑固でわがままな性格は死なないと直りそうにありません。私も妻も近頃は諦めて怪我をしないように見守るだけなのです。今回の池を掘る計画も孫がやって来て池にでも落ちたら大変と反対しましたが、一向に聞く耳を持ちません。まあいいかと私は思っているのですが妻は「あなたが強く言わないと」と圧力をかけてきます。でも長年一緒に暮らして知っている親父の性格ですから、私が妻と親父のクッションになっています。長男で61歳にもなった私が親父に一目置くこともまあ許せる範囲でしょう。

 私は常々メダカを飼いたいと思っています。親父が掘った池でやがてメダカを飼おうとトンビがアブラゲさらう計画です。「シー、これは内緒の話で言っては駄目ですよ」

  「池できた 灰汁が抜ければ お引越し 親父はまたまた やりたいことを」

  「真似できぬ 八十八歳 挑戦を いやあお見事 今度も一流」

  「親父さん 我流極めて 生きている 俺も見ておれ 今に一流」

  「妻曰く あんたも父も 同じよう だって親子だ 変わるはずなく」

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shin-1さんの日記

○縁日のお接待

 四国は遍路の国といわれるように四国八十八ヵ所があって、1500キロともいわれる遍路道をただひたすら歩く祈りや修行の場所でもあります。各地には遠出できない人々のためにお四国さんというミニの八十八ヶ所が今でも残っていて、地元の人が大切に守っていますが、その基本は「お接待」といわれるサービスです。富める人が貧しい人に与えるのではない、ささやかな心のサービスが祈りの旅にとってどれ程心温まるものかは、お接待を受けたものでないと分らない有難さなのです。

 私の家の入口にもお地蔵さんがあって、私の家では30数年にわたってこのお地蔵さんを大切に守ってきました。昔は道端にあったようですが、道路拡張工事の折道の上に祠を造り、そのお地蔵さんを祠の中に収めて毎月21日には手づくりの幟を立てて赤飯を炊き、パックに入れて10軒余りの親しい近所に配るのですが、最初は母がやっていましたが、母亡き後の今は妻がその役を引き継いでせっせと赤飯を炊いて配るのです。私はできた赤飯を配る程度しかできませんが、妻は民生委員をしているので自分手持ちの独居老人にも配ったところ、老人たちはたいそう喜んで、今に続いているのです。妻が忙しいときは独居老人への配達も私がやるのですが、そのことが独居老人への声かけともなって皆さんから感謝されているようです。

 お地蔵さんに通じる急な坂道は入口に大きな石が組まれその上を覆い隠すように枝垂れもみじが棚いっぱいに広がっていますし、手摺は親父が親類の鉄工所で加工してもらったステンレス製です。最近は姉や友人知人など近所の方のお参りも多く、線香やシキビの花も絶えたことがないほどの信心ぶりなのです。

 このお地蔵さんにハクビシンが住み着いたり、賽銭箱が盗まれたり、これまでにもお地蔵さんにまつわる様々話題がありましたが今はひっそりとして、毎月21日の縁日のみに幟が立つ程度になっています。

 最近の日本人は信心や宗教心が欠けているとよく言われます。オーム心理教などの新興宗教が世間を騒がすものですから、宗教に対する信頼が薄れそうなるのかも知れません。でも日本人の心の支えはやはり宗教心だと思うのです。先祖や人を敬う優しい心を持ったなら、親を殺したり兄弟や近隣が憎しみゆがみあうこともないのです。人は神仏に自分が幸せになるための願い事盛んにします。「どうか幸せになりますように、どうか受験に合格しますように、宝くじがあたりますように」と・・・・・。でも日々の暮しの中で今幸せに生きてることに感謝して神仏に祈るような人は中々少ないようです。幸せが日々の祈りや精進の積み重ねだと思うと、殆どの人の神仏への願いはまさに聞き届けられないことなのです。

 お接待はその代価を求めないところに大きな特徴や意味があります。お接待が何かの代価を求めたら台無しです。よく「私は毎日こんなことをしているのに神も仏もないものよ」という言葉を耳にします。そんな気持ちでボランティアをするのだったらしない方がましなのです。多分私の妻も親父もそんな代価を求めたり「これほど毎月しているのに」なんてことは思って尾接待はしていません。しかし結果的に幸せなのですからこれに越したことはないのです。

 「近頃は縁日の来るのが早くなった」と妻も親父も歳をとったからでしょうかよくいうようになりました。一年で21のつく日は僅か12回しかありません。今も昔もそのことは変わらず、一日24時間もまったく変わらないのです。でも短くも長くも感じるところに人間の喜びや悲しみが隠されているのです。来月の21日は早くも秋の入り口です。また心を込めてお接待したいものです。

  「入り口で じっと見守る お地蔵さん 今月縁日 知らせる幟」

  「接待に 炊いた赤飯 独居人 嬉と喜び 思わず手合わせ」

  「今月も 妻はせっせと お接待 額の汗を タオルでぬぐい」

  「願いなど せずとも地蔵 知っている 日々の精進 だから幸せ」




 

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