shin-1さんの日記

○自分の生き方を変える

 自分の生き方は変えようと思っても中々変わらないものです。過去に失敗を繰り返していれば、「変えたらまた失敗するかも知れない」といらぬ心配をし、過去のそれなりの成果を上げておれば、「今までの成果を捨てるのは勿体無い」とついつい現状に依存するのです。

 私のように退職してもう捨てるものも何も無いと思える人生でも、過去に執着し未来への不安を抱くのが普通の人間ですが、私は以外とさばさばしていて、昨年の3月で随分過去を処分しました。しかしその暮らしが一年間続いた最近、自分の身の回りが以外と変わっていない事に気がつきました。それは多分人間牧場建設という作業がそうさせたのかもしれません。ブログへの挑戦もそんな新しい発想からの変化でした。

 「新」という言葉は「立ち木」とも「辛い」という字にも読めます。「新」を始めるには立ち木」を使って斧で道具を作る辛い仕事であると考えます。木だの斧だのはもう人間の暮らしには必要の無い世の中になったように見えますが、昔は鍬や鎌といった道具は木を斧で削ってt作っていたのです。

 昨日急に自分の身の回りにある本を水平線の家へ移動しようとしたのもそのためでした。空っぽになった書斎の書棚を見てこれこそ私の目指す革新だと思ったのです。この10年、一度も日の目を見なかった書棚の本を見たときに、なんて私は馬鹿なんだろうと思ったものです。

 さあ、私の人生の再出発が始まりました。私の人生は考え方のある意味でゼロに戻ったのです。ゼロから出発しどういう方向に進むのかまだ定かではありませんが、少なくとも書斎の環境が一変したことは間違いありません。この一ヶ月、いや3月中に60年の人生で培ったものや思い切り染み付いた垢を落とすつもりです。やがて、「ああ若松さんは生き方が変わったなあ」と思われるようにリニュアールしたいと思っていますから、どうかご期待下さい。

 明日、私にえひめニューフロンティアグループの会長を押し付けた、ある意味で伝統や格式を重んじる変わらない人間の一人である大野哲治さんが人間牧場にやってきます。私の役目は彼を再生させる役目も負っているのです。私の変身振りにきっと驚くことでしょう。私は生まれ変わったのです。

  「何でなのそんなに変わって大丈夫妻の心配狂った思って」

  「新を書く立ち木に斧で出来上がり漢字作りし先人偉い」

  「俺だってまだまだこれから一勝負元気源妻の後押し」

  「春が来た俺の心も春が来たウグイスさえも春来たさえずる」

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shin-1さんの日記

○水平線の家の本立て棚に本が並びました

 私はこれまでいかほどの本を読み、いかほどの本から知識を得たのだろう。そう自問自答しながらわずか4畳の、まるで屋根裏部屋のような小さな部屋の書斎に備え付けられた二つの書棚から、幾重にも詰め込んだ本を水平線の家に運ぶつもりで取り出しました。出るわ出るわで、あっという間に部屋中が本だらけになってしまいました。妻曰く「お父さんこれ何」と驚いた様子でしたが、妻の驚きよりも私自身の方がもっと驚きました。こんな小さな書棚によくもまあこんなに本が入っていたもんだと感心せざるを得ませんでした。

 私はこの本を軽四輪の後ろに3回に分けて無造作に積んで山道を水平線の家に運びました。本は重いので車のタイヤもへこむほどでしたが、どうにか運んで水平線の家に運び入れ、本棚にこれまた無造作に並べました。するとそれまで殺風景だった家の中がまるで別の家に行ったみたいに輝いて見えるのです。しもうた、もっと早く本を移動をしていて、下灘中学の生徒が来た時に読書について話してやりたかったと思ったのですが後の祭りでした。

 昔は調べ物といえば本しかありませんでしたから、様々なジャンルの本を用意して自分の手元に置き、自分の疑問を解き明かしていました。今本を読むのは新しい知識を得るためであって調べるために本を開くということは殆どなくなりました。調べるにはインターネットで十分過ぎるほどの情報が手に入るのです。そういう意味では私の部屋の本はこの部屋に置くことの意味もなく、もう既にお役ご免となるのです。しかしこの本は私以外の人にとっては知識を得る本になる訳ですから、水平線の家での読書の意味が生まれてくるのです。

 しかし私が35年かけて集め読みした本の数は凄いもんだと思います。今まで小さな書棚に押し込んでいて見えなかったのですが、こうして一目瞭然に並べてみるとその凄さが分ります。勿論その本の全てが身についてはいませんが、折々に読んだ本からの知識は私の人生を蔭ながら支えてくれました。

 普通セカンドハウスと称するものは遊びの空間ですから、こんな難しい本など必要ないのですが、水平線の家は遊びの空間といえども立派な学びの館です。疲れた心と体を癒すのも結構だが、ここでの学びが新しい自分の発見になることを期待しています。私の持論は「学習とは自分の発見」です。

 早速私は、私専用の背もたれ椅子に寝そべって「安岡正篤の人間学」を読みました。人間牧場建設をこの地に思いついてから約1年、やっとここまでたどり着いた水平線の家での初読書となりました。今日は天気予報が外れ、曇りのち雨だったのに何故かうららかな春日和、その陽気に誘われてついつい眠気をもよおし、ついつい10分ほど昼寝とあいなりました。これも初昼寝でした。

  「俺の知恵並べた本から授かった読んだ昔を思い出しつつ」

  「探したが見つからなかったあの本がこんな所に眠っていたとは」

  「貧乏の最中内緒で買いました傍線手垢捲れば出てくる」

  「この本も今は無用となったけどあの頃みなで回し読みした」

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shin-1さんの日記

○一瞬女性専用車両に乗ってしまった私

 先日上京した折、私の旧友が集まって歓迎会を開いてくれました。酒も飲まない私ですが彼らの酔った姿にウーロン茶で酔って夜遅く私鉄に乗りました。電車のドアが開き無造作に中へ入りましたが乗ってびっくり、何と乗っている乗客は全て女性なのです。一瞬全ての女性の目が私に集まりました。不思議に思ったのは乗客女性よりむしろ私の方で、そう田舎者の私は間違って女性専用列車に乗ってしまったのです。気がついた私は直ぐにプラットホームへ降りて難を逃れましたが、もう少しで電車は発車するところでした。お陰でさっきまでのホンワカ気分は一辺で冷めて次の電車に乗り目的地へ着いたのです。

 私たちの田舎では女性専用車両はありません。都会のラッシュのようなギュウギュウ詰めなどは殆どありませんから痴漢などしようと思ってもできないのです。私は一瞬思いました。弱い立場の女性を保護する意味から設けられた女性専用車両なのでしょうが、これでは男性の私が差別されてると・・・・。いやいやそれは差別ではなく区別ですよとお叱りを受けそうですが、はいその通りです。

 女性専用車両は東京の京王電鉄が導入したのをきっかけに他の私鉄やJRが通勤電車に導入しています。最初の試みは酔っ払い客の多くなる深夜に下り限定だったのですが好評だったことから朝のラッシュ時にも設けられています。痴漢に間違われ大変な目にあった世の男性も多いのですが、痴漢にあった女性は数多く、時にはあんな職業の人がと疑いたくなるような人まで痴漢に手を染め、一生を棒に振った人もいるようです。

 ところでこの女性専用車両はつい最近の出来事と思っていましたが、何と明治時代にもあったそうです。その頃は婦人専用車といって女子学生の通学時間帯に限って運行されていました。そもそもの発端は日露戦争の英雄として名高い乃木希典が学習院院長だったころ、女学生の親からの陳情を受けて鉄道省に要請し実現したのだそうです。今は痴漢対策ですが昔は男女交際の厳しかった時代ですから、女子学生に虫がつかないようにという親の気持ちも分る様な気がします。

 それにしても私はとんだ恥をかき、もう少しのところで週刊誌のネタにされるところでした。「愛媛県の元教育長、痴漢目的に女性専用列車に乗車。車掌が見つけ次の駅で降ろし鉄道警察に引き渡す。本人は知らなかったとシラをきったが痴漢目的は明らか。何と彼は観光カリスマだった」なんて記事が出たかも知れないと思うとゾッとしました。

 「何で車内でタバコを吸うの」と男性がタバコを吸ってる女性に禁煙を促す禁煙車。えっこれ男女逆じゃないの?、と一瞬思った光景にも出くわしました。とかく都会は住みにくい。田舎者が田舎暮らしを誇りに思った一瞬でした。

  「来た電車乗った瞬間女性だけあのドキドキは今も忘れず」

  「俺差別それは区別と人は言う女性・男性どちらがどうなの」

  「痴漢する人に見えるか俺の顔はいその通り痴漢見えます」

  「田舎では予想もつかぬ出来事がとかく都会は住みにくいもの」

  

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