shin-1さんの日記

○卵ご飯がブームとか

 私が子どもの頃卵はご馳走でした。私の家も子どもの頃はヤギと鶏を飼っていました。ですからヤギの乳は青臭くて飲みにくいといいますが、ヤギの乳を搾った経験のあるある私は平気で飲めますし、ヤギの乳がよく出るようにタンポポやチチモモといわれる木の葉っぱをヤギが好んで食べることを、子供心に知っていましたから、この葉っぱがヤギの体内を通って乳になるんだと納得していました。

 卵も平地に放し飼いのような形で飼っていましたから、ヒヨコ草なんてハコベを沢山刻んで米ぬかと混ぜて食べさせましたし、鳥は日がな一日のんびりと大地をつついてミミズなども食べる様子を見ていましたから、「ああ鶏はあんなものを食べるから白身と黄身ができるのか」とこれまたヤギと同じように納得したものでした。

 しかし、ヤギと鶏が同居するそんな長閑な風景も一変するような大事件が時々起こりました。卵は大きな青大将という蛇に襲われ、鶏は一夜のうちにいたちに殺され、ヤギまでもが野犬に教われました。子供心に悲しい思いをしたものです。そんな大事件の後は卵もヤギの乳も私たちの食べ物や飲み物から姿を消していたのです。

 最近島根県雲南市から小さなブームが起こりました。卵かけごはんです。元々は卵かけの醤油が村おこし産品として登場したのが火付け役でしたが、インターネットや情報誌がブームにあやかろうと加熱気味の情報を流すものですから否応なしに広がり、挙句の果ては卵かけご飯全国シンポジウムまで開くという盛り上がり方でした。

 私が子どもの頃は高価だった卵は何故かずっと安値のままで、今はスーパーなどの客寄せや献血の記念品にまで使われるという有様で、卵生産者の苦悩が読み取れます。しかし中には有精卵やヨード卵のように一個300円の卵まであるのですから、食べ物の世界もセレブ化が進んでいるようです。

 卵を割ると安い卵は黄身がグジャッとするように潰れるのがありますが、有精卵で高級な卵はしっかりと盛り上がり、箸でつついても中々潰れない、それでいて黄身の色が赤味を帯びた黄色の、何とも奥深い色をして食べてみたい気持ちになるのです。

 炊き立ての熱々のご飯の真ん中にくぼみを付け、そこに卵を割って少しばかりの醤油をかけて混ぜながら食べる卵ご飯の醍醐味は、これぞ日本の朝食というに相応しいものです。最近は鳥インフルエンザが流行し、卵の値打ちが更に下がっていましたが、卵ご飯のブームは日本人が日本食を食べる当たり前の食生活に気付かせた久々のヒットだと思うのです。ついでに卵を使った玉子焼きや目玉焼き、オムレツなどの復権もいいかも知れませんね。

  「卵飯喰った思い出母の味今や卵は見向きもされず」

  「妻ねだり卵ご飯に味噌汁を食べて早立ち寒き日の朝」

  「孫何故か卵のことをエッグという卵は卵お前は日本人」

  「ゆで卵何故か黄身が黒くなるそれは鉄分釘と同じか」

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shin-1さんの日記

○確定申告終わる

 サラリーマンをしていた頃は自分の申告の殆どを職場の担当がしていてくれていたので、申告をさして深刻考えることもなく済ませていましたが、自由人になった今は深刻の一から十まで自分で全てしなければなりません。なーんて書きましたが、実は私には税に詳しい税理士にも似た仲間がいて、その殆どを手伝ってくれるのです。「確定申告の時期が来たのであれとこれを揃える様に」まず指示をしてくれます。妻はそんな一切合財を私用の袋に入れて保管してくれているので、それを順番に並べてパソコンで一覧表を作り、彼の事務所に持って行くのです。私はいつも思うのですがあんな難しい税のことをよくも簡単に片付けられるものだと感心していうと、「若松さん、あんたが人の前で苦もなく話すほうがよっぽど私から見ると感心しますよ」というのです。ああ人にはそれぞれ得意や不得意があるのかと納得したりもします。

 17年、つまり昨年の私は3月までの給料、退職時の退職金、6月からの基礎年金、それに何がしかの講演料が主な収入源でしたが、その都度所得税を引かれているので合算すると戻りが出るそうです。妻にその話をすると「まあうれしい」と喜んでくれました。

 今は妻も税金がかからない程度のパートで、私と二人合算の暮らしをしていますが、人間は不思議なもので、給料が入らなくなっても、昔のままの暮らしの仕方を維持しなければならないのです。定年退職したからといって付き合いをやめるわけにもいかず、また食生活も肉や魚は贅沢と思ってみてもそんなに惨めな暮らしはできません。でもいよいよ今年の10月に誕生日を迎えると年金暮らしが始まります。妻はそのために頭を悩ませて、どうしたら軟着陸ができるか考え、少しずつ暮らしの質を変えようと考えて、私にも理解を求めています。人のことだと思い、遠い先のことだと思っていた老後の生活がいよいよ始まります。私たち夫婦にとって未知の世界だけに不安もありますが、今年の確定申告をスタートと考えていい老後を健康で送りたいものです。

 確定申告を終えると何だか一仕事終えたような気分になります。書きあがった用紙に印を押し、封筒に入れてのり付けし140円の切手を貼って郵便ポストに投函しました。私は金融広報委員会の推進員をしている手前、しっかりとした経済観念がないと人生の生活設計は立てられないし、いい暮らしもできないと、生活設計に基づいた暮らしを実践してきました。人間牧場の建設もその延長線上での楽しみですから、妻も子どももみんなが協力してくれるのだと、いいわが人生に少しだけ満足した確定申告の日でした。

  「申告を深刻思う訳でなく仲間助けでやっと終わりぬ」

  「退職後不安な一年過ぎました何とかなるものこの世の中は」

  「この一年数字を見てはおどろぬ妻の家計簿やりくり上手さ」

  「まだ一人学生抱えて四苦八苦来年来るを鶴のごときに」

 

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shin-1さんの日記

○私を覚えていますか

 ある日突然メールが入り、「私を覚えていますか」と書き込まれていました。Mさんと名前を書いているのですが、あのMさんかな?、いやあのMさんかも?、いやいや先日会ったあの人かもと名前と顔を想像するのですが、賞味期限の切れた私の頭ではついに思い出せませんでした。仕方がないので知っているようなかぶりをしてメールを送り「またお会いしましょう」とメールを送り返しました。ところが昨日その方から写真入のメールに添えて私の話を3度も聞いたと、私の話の内容の一部を書き込んでくれていました。嬉しいですね。このメールのお陰で「あああの人」と思い出し、思い出せなかった侘びと真情を吐露しながら再びメールを送りました。このように人を覚えることは容易ではありません。特に私のように毎日毎日不特定多数の方とお会いしていると、失礼ながらその人の顔と名前が一致して思い出せないのです。それでも町を歩いていたりデパートへ行った時などに唐突に声を掛けられたり会釈したりされると、同伴の妻が「お父さん、あの人何処の誰」と聞きますから、「何処の誰さん」と答えると、「お父さんは感心じゃねえ。よく人の名前を覚えてる」と褒めてくれるのです。

 人の名前を覚えるのにはコツがあります。その人の身体的特徴もさることながら、名前と顔を合体させ自分流の暗号のようなもので覚えます。例えば「若松さん」は「目出度目出度の若松様」とか、「高知さん」だと南国土佐の高知さん」などと意味不明の自己流で暗示し、20回以上その人の名前を口に出して復唱し覚えます。

 メールの相手Mさんのように、3回会っても覚えていないのは相手にも責任があります。みんなと同じ集団行動をしていると余程の特徴がないと相手にPRできません。ですから自分の売り込みをしなければなりません。「そこまでして覚えてもらわなくても」と思われるかも知れませんが、覚えてもらうといいことがいっぱいあります。Mさん、期待してください。

 私の前には毎日毎日多くの人が現われ多くの人が現われ消えて行きます。私の机の上には頂いた名刺も山のように積まれています。こうして留めもなく人の交流は続くのですが、一回会っても100回会ったような顔の人もいれば、100回会っても一回しか会ったような顔のできない人もいます。これが縁の不思議なのです。「若松進一に覚えてもらったところで何になる」と開き直られる人は、私に名刺を渡したり私に声を掛けないで下さい(笑い)なーんて開き直っています。

  「覚えてる唐突メールに戸惑ってお茶を濁すが直ぐにバレバレ」

  「重要度ハガキメールを使い分け縁糸たぐる憎い付き合い」

  「流行ったな私はだーれここは何処自分忘れて人の名覚え」

  「人間は忘れる動物そう思や俺の記憶も人並みくらい」

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shin-1さんの日記

○私のプロモーションビデオ

 まちづくりや地域づくりにいささかなりの関わりを持っている私は、これまでに沢山のテレビやラジオに登場していますが、顔に自信の持てない私としては特に映像に出ると何とも面映い感じがします。しかしながらこれも自分の顔だからと呆れて見ているのですが、その殆どはビデオにダビングしているものを自分で再生し、自分や家族で見る程度なのです。だから少々恥ずかしい場面でも笑って済ませるのです。

 ところがところがつい先日松山市で開かれた「地域の自立を考える」シンポジウムでは、こともあろうか本人がいるのに300人もの聴衆を前に私のプロモーションビデオが大写しに上映されてしまったのです。このプロモーションビデオは、えひめ地域政策研究センターの清水さんと脇田さんがこの日のために密かに作った本邦初公開の映像ですから、出演者の私も始めて見る代物です。

 ビデオの内容はまずフーテンの寅さんシリーズ19作目の映像が出てきます。下灘駅のベンチに寝そべっている寅さんを駅員さんが起こす場面で私に早代わりするというずっこけで、会場は笑いに包まれました。その後はシーサイド公園砂浜で清掃する姿や、人間牧場で草刈やハーモニカを吹く姿が夕日とともに印象的に作られていました。清水さんが監督を、脇田さんが撮影と製作を担当したそうですが、ご存知戒田節子さんのナレーションも抜群で、その技術たるや玄人はだしで恐れ入りました。

 昨日の夜そのプロモーションビデオを妻と二人で見たのですが、妻は大受けで笑って見ていました。

 それにしてもフーテンの寅さんの映像に出てくる下灘駅界隈は30年も前のことですが相当の変化です。何せ日本一海に近い駅だった頃の映像ですから、その後海岸国道バイパスができ下灘駅も無人化して駅構内の複線が単線化しました。また駅周辺には桜の老木が沢山ありましたが枯死し、官舎跡には夕焼け団地の建物が立っています。こうしてみると映像はやはり生き証人なのでしょう。

 このDVDはこれからも大切に残しておきたいものです。

  「三十年前に映りし映画見て時の流れの速さ感じる」

  「この駅が私の始発駅だった終着駅は何処になるのか」

  「妻乗せた鈍行列車で松山へ顔も忘れて大恥汗顔」

  「俺主役短い映画上映し腹を抱える妻と二人で」

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