shin-1さんの日記

○私は大阪かな?

 先週は日本の三大都市といわれる大阪・名古屋・東京を相次いで無造作に訪ねました。どの街も日本を代表するとじふするだけあって個性があり、中々素晴らしいと思いました。あなたならどの街が好きですか。多分この大都市以外に住む日本人の殆どは東京を選ぶのでしょうが、私はやはり関西人でしょうか、新幹線に乗っても大阪が近づくにつれて屋並みに何か郷愁間を覚えるのです。

 駅に降り立ち耳に入ってくる言葉のイントネーションも何となく日ごろ聞いている耳障りで優しく聞こえるのです。「おはよう」「は「おはようさん」などと標準語とは違っていますが温か味を覚えます。多分日本全国が標準語を話すようになって、東京の言葉が当たり前になったからかも知れませんね。日々の暮らしに生き続けているコミュニケーションの源である言葉は断然大阪だと思います。

 東京でうどんを食べるとまずおつゆの黒いのに面食らいます。麺を食べて面食らうとは落語の洒落のようですが、関西風の澄んだスープに慣れているとどす黒い辛目のスープは何とも気になるし、第一食事後に喉が渇くのを覚えます。濃いのは色だけでなく塩分の濃度も多少高めなのでしょう。特に味噌汁は赤だし余り好きではありません。最初飲んだ時は「これ食べれるの」と思った程でした。

 道頓堀界隈を案内されるままに歩きましたが、列車に乗り込む前に弁当を買い求めましたが大阪は東京に比べ格段に安くて美味いと思いました。弁当を野球に例えるなら阪神タイガースと読売巨人軍くらいの違いです。しかし野球だけはつい最近まで大の巨人フアンでしたが、巨人がふがいないので巨人に不安をいだき、「巨人不安」となってしまいました。

 大阪にもいい所がいっぱいあります。大阪城公園などはもう梅の開花が始まっているのでしょうが、都会のど真ん中にあれほどの梅の花を観賞できる所があるのですから凄いです。先日訪れた古本通りも大阪らしい雰囲気で・・・・・と書いてくると、自分の浅はかな先入観が見えてくるようです。名古屋にも東京にもそれぞれの良さがあるのです。でも没個性、リトル東京、画一化の中で、個性を主張している地域はやはり好きです。私はアンチ東京なのでしょうか。

  「昨日夜大阪弁で電話入る思わずこちらも儲かりまっか」

  「赤出汁と言われて飲んだお味噌汁塩分濃度気になりま舌」

  「大阪の梅を見たさに城訪ねこち吹く風にこの身ゆだねる」

  「大阪を好きというのは身近人おじおばいるからえこひいき」

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shin-1さんの日記

○商店街がなくなる日

 私たちの町もそうですが、全国のどのまちの商店街も「シャッター通り」といわれるように、斜陽化の道をつき進んでいます。私たちの町の商店はシャッターなどのような気の効いたものはありませんから、さじずめ板戸かガラス戸といった所でしょう。それにしても車社会に乗り遅れた結末は哀れなものです。商店は便利さや安さを求めてやって来るお客を見越してどんどん郊外に移転し、そこに新たな商業施設やショッピングセンター、大型点が出店するものですから、まるで砂漠の中にあるラスベガスのような雰囲気です。

 どの街の商店街も何とかしようと知恵と汗を搾り果敢にかつての賑わいを取り戻そうと頑張っては見るのですが、残念ながら僅かの事例を除いて再生不能になっているようです。

 私の町の事例もそうです。町内には小さいながら2つの商店街があって、昭和時代は商工会内部に商店連盟などを持ってスタンプ事業などを行っていました。しかし商店主の高齢化と前述の社会の荒波になすすべもなく、今は町内での買い物とてままならないのです。

 そこで登場したのが「動く商店」ともいうべき車での販売です。町内の人ではないのですが、これをビジネスチャンスだと思ったのでしょうか、ワゴン車にありとあらゆる雑貨や食料品を山ほど積んで、集落を定期的に回っているのです。車に乗れない高齢者の多い山里では、このワゴン車が大もてで次に来る日には前回注文したものまで運ぶサービスぶりで、今やみんなの重要な生活物資供給源となっているのです。

 出張販売はこれだけではありません。お酒も安売りのリカーショップが町外からやって来て注文を受けたり、その配達をしてくれるものですから、安い便利が定着して「余分なアルコールを飲んでしまうと苦笑いしているのです。

 困ったのは地元の酒屋さんです。ビール1箱に千円も違う格差ではどうあがいても勝負は見えていて、酒が売れないとぼやいています。

 こおように、日本の商店街はあと10年、いやあと5年もすれば確実に潰れてしまう危険性をはらんでいるようです。日本の何かが狂いつつあるようで寂しい限りです。そんな中今年は灯油が高いので、自衛策として隣の町へ行ったついでに灯油を買って帰る人が増えたとガソリンスタンドは嘆いています。灯油は自宅まで配達してくれる便利さはあるのですが、価格の面では隣の町の灯油には価格の面で適わず、4缶と5缶が一緒の値段だと当然そちらを撰ぶでしょう。車に乗る人の自衛策も始まってここにも価格破壊の波が押し寄せてきています。

  「わが息子ポリ缶積んで帰り来る差額ちゃっかり懐温め」

  「酒止めて酒代いらなくなったけど酒の金額気になりビックリ」

  「今日休み思うくらいにしんとして人も通らぬ商店さびし」

  「結局は売れぬ買わぬ揃わぬで便利安いに人は流れる」

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