shin-1さんの日記

○旅から帰りました

 11日に出発した3泊4日の旅もやっと完結し、今日の昼ごろ我が家に帰って来ました。あれ程寒かった外の気温も上昇気味で、今日は私の帰りを待ちかねたように雨が降り出し、気温も一気に3月頃の陽気だそうで、何はともあれ大雪の心配はなくなったようです。でも一気の気温上昇は雪崩の心配があるそうで、雪国の義とにとって今年は春まで気を抜けない日々のようです。

 愛媛を出発し、滋賀県米原市で一仕事してから名古屋、塩尻経由で山梨県甲府市で二仕事目、明くる日山梨学院大学で三仕事目、その後東京に出て国会議員の先生に会って愛媛へ巡回回帰したのですが、やはり日本は広いですね。菜の花や水仙の咲く愛媛、雪に埋もれた滋賀県米原市付近、中部山岳地帯の岐阜県、湖が結氷していても360度の視界が開け、南アルプスが抜けるような青さの中で輝いていた山梨県甲府盆地、喧騒著しい東京と、同じ冬でも気候風土はまるで別世界のようでした。そしてそれぞれの地域でそれぞれの人間の暮らしが営まれていることも大きな驚きでした。

 今回の度は飛行機を使わずスローな旅にこだわってみました。松山から京都までバスだと7時間、徳島周りで鳴戸大橋、明石海峡大橋を渡って京阪神に入りました。京都から米原市までは新幹線を使わず在来線快速で1時間余り、その夜は駅前のビジネスで一泊、明くる日は新幹線で名古屋へ出て、名古屋から中央本線で塩尻まで行き、甲府へとたどり着きました。

 旅に出るときは切手を貼った一日三枚×日数分ののハガキと2冊程度読みたい本を用意して行くのですが、スローな旅は車窓に目が行って結局は本を読むでもなく、ハガキを書くでもなくのんびりと過ごしてしまいました。でもこれが本当の旅の楽しみ方かもしれませんね。前に乗ったおばちゃんともつれずれなるままにおしゃべりをしていい旅でした。

 米原のルッチ大学はもう5年間も続いている生涯学習講座です。私との縁でルッチ大学の一期・二期生はわざわざ双海町まで修学旅行にまでやって来てくれました。今回も80歳を過ぎてもかくしゃくしているおじいちゃん学生や大学生学生入り乱れた多異年齢のルッチ大学から多くのことを学ばさせていただきました。

 甲府では山梨県町村議長会の招きだったのですが、県知事さんや、副知事さん。、県議会副議長さん、各部長さんにも交流会でお会いし、観光課の皆さんとは楽しい宴席を張ることが出来ました。

 昨日は急遽、友人舩木上次さんのたっての依頼で山梨学院大学の教壇に立って280人の学生の前で特別講義をやりました。普段は私語の多いといわれる学生を90分わが話術に引き込んで、笑いの中でアドリブ講義は無事終了しました。

 高速道路を120キロで飛ばし参議院議員会館に乗りつけ、林芳正参議院議員と懇談して私の本を2冊差し上げ、留守でしたが団本幸男事務所で高橋秘書さんと談笑し、次の作戦が見えてきそうな予感がし始めています。

 出会いは幸運をもたらします。3泊4日は楽しい旅となりました。正月ボケしていて、2週間ぶりに締めた首のネクタイが少々きつく感じましたが、さあ忙しい2006年の幕開けです。

  「ネクタイを久方ぶりに締めて出る旅立ちりりし正月の月」

  「スロー旅長く乗るのに何故安いそんな疑問の深夜バス乗る」

  「富士山は何処から見ても日本一俺の自慢だ寿司そば食いねえ」

  「身の程もわきまえ知らず会いに行く国会議員に自著を差し出し」

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shin-1さんの日記

○旅に出ます

 明日から3日間旅に出ます。今回の旅目的は大きく分けて2つあります。一つは旧滋賀県山東町、今は合併して米原市になりましたが、そこのルッチ大学に招かれました。伊吹山の裾野に広がる山東町は水清く天然記念物になっている蛍を通して知りあい、生涯学習の組織であるルッチ大学の方々と親しく交流を続けています。顔見知りも多く、前回は素敵な町長さんとも出あわせていただきました。

 もう一つは山梨県長村議会議長会の招きで甲府市での講演です。東京フォーラムでの全国監査委員研修会が縁であちらことらからお座敷がかかり、こうして出かけるのです。

 四国愛媛県からの行程は大阪まで飛行機で飛ぶか特急しおかぜや新幹線を乗り継ぐかで滋賀県まで行けますが、私は松山発の高速バスで京都まで行き、そこから在来線で米原までの方法を考えました。何時も同じ行程では新しい旅の発見がないからとインターネットで探しました。山東町で仕事の後は泊めてもらって、あくる朝米原から新幹線で名古屋へ行き、そこから塩尻まで山の中を特急に乗り継ぎます。そして塩尻から甲府へ入る算段です。雪深い所を通る楽しみもあってこの行程を選びました。上手く乗り継げるか心配ですがとに角やってみます。その夜は山梨県知事さんも出席するレセプションに参加する予定ですので、今回は新しく作った人間牧場主と印刷された名刺を余分にポケットへ忍ばせました。

 甲府で一泊後帰りはのんびり東京へ出て、東京の空気を吸って帰ります。

 昔はこんな長旅をすると決まって起点となる駅や飛行場まで妻が送迎してくれていましたが、今は近くに駐車場の確保が出来て自分ひとりの出発です。松山インター口7時45分の出発なので遅くとも6時30分には家を出たいと思っています。

 旅に必要なものは体と「木になるカバン」、それに今回はデジカメと切手を貼ったハガキ数枚を持参します。本当はカメラなど持ったことがないのですが、今年から旅をカメラスケッチしてみようと思っています。旅の楽しみが増えるかも知れませんね。

 旅には目的がありますが、近頃の若者は無目的な旅もするそうです。私の場合は目的のある旅に無目的な行程を選んでいます。少しワクワクしてきました。

 明日から3日間ブログは「書き込み休刊日」です。

  「その昔松尾芭蕉は旅に出た俺は旅にて何をつかむか」

  「日本地図頭に浮かばせ旅を練る明日は車窓に雪の積もるを」

  「妻今宵旅立つ準備下着入れ寒さ予測のパッチ増やしぬ」

  「携帯の充電できたとランプ消え全て整う旅立ち前夜」

  「

 

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○わが家のサウナ

 私は毎朝、昨晩の残り湯を抜かずに取って置き風呂の中で髭を剃るのが行動パターンです。我が家の風呂は只今私たち夫婦と次男しか入らないので勿体無い気持ちもあってあくる朝再利用のつもりで使っているのです。その後は小さなポンプで脱衣場の洗濯機でこれまた再利用するのですから、3度も利用すことになります。温度の冷えたこの頃はぬるま湯のようなので時にはボイラーのスイッチを入れ足し湯をしますが、普通はぬるま湯でゆっくり15分くらい物思いにふけって髭をそるのです。妻はそんなことしないようにと再三に渡って注意しますが、当の本人はいたって真面目にステンレス製の風呂を使っています。

 そして私が時々やることは、何とこの残り湯を使って家庭用サウナをやるのです。「えっ、そんなこと出来るの?」と言われそうですが、何のことはありません。浴槽のお湯を少し抜いて身体を丸くして窮屈ですが顔だけ水面に出し、風呂の蓋を中から閉めるのです。そうすると中の蒸気が充満し家庭用サウナ風呂の出来上がりです。5分もすれば汗が噴出してきます。

 先日これをやっていて、息子が麻風呂に入ろうとしてふろの蓋を開けた瞬間「母さん、お父さんが風呂の中で死んどる」と大騒ぎになりました。私は真面目に家庭用サウナを楽しんでいるのに「死んどる」とは何事かと言いたかったのですが、「お父さんドッキリカメラじゃああるまいし」と息子に怒られ、妻からは「お父さん変なことはしないで下さい」と大目玉でした。

 でも快適とは行かないまでも、私の家庭用サウナを今朝も一人楽しみました。お陰ですっきりしました。あなたも是非一度お試しください。くれぐれも「死んどる」なんて言われないような防備を忘れずに・・・・・。

 先日雑誌を見ていたら、同じようなことをしている人のことが記事に載っていました。興味深く読んだのですが、世の中には面白い人がいますよね。はい私もその面白い人の一人なのです。

 「家庭用一人サウナ」愛用者の私がつい最近凝っているのは、温泉のサウナ風呂です。今年に入ってもう2回も温泉に行きましたが、その都度サウナに入ります。サウナから出た時のむ冷たい水風呂は何とも快適です。心臓に悪いからと人は言うのですが、これもやると病みつきになります。お試しあれ。

  「父死んだ叫ぶ息子に生きとると風呂の中から顔をニョッキリ」

  「サウナ風呂水風呂交互に繰り返し減った以上にビール飲む人」

  「変なことしないで妻に注意されそれでも止めぬ俺は変人」

  「風呂入れば俺より溢れる湯の多さここでも主役妻の容量」

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shin-1さんの日記

○荒れる成人式

 昨日行われた沖縄の成人式が今年も荒れたと、今朝のテレビで報じられていました。出演したコメンターからは「今時の成人者はけしからん」「成人式を主催した行政は何をやっているのか」などと、相変わらず傍観者的発言が目立ち、本質に触れるような発言が少なかったような気がしてなりません。

 テレビを見て思ったのですが、画面に登場する茶髪にピアス、羽織袴の姿は何とも奇妙な和洋折衷の光景でした。しかもあの羽織袴に沖縄の地酒泡盛を浴びるのですから、貸し衣装とはいえ洗濯代を加えると相当な出費に違いなく、酔いがさめた頃には「しもた」と自戒の念に駆られることでしょう。

 新成人の彼らが国際通りという沖縄を代表する目抜き通りで繰り広げたパフォーマンスを、「沖縄の恥」と見るか、「沖縄の戦争という悲劇が生んだ後遺症」と取るかは議論の分かれるところでしょう。でも私たち大人が新成人たる若者の行動を見て、「新成人の自覚も足らない」と罵声を浴びせて解決するようなそんな生易しい社会ではないことに、私たち大人は気付かなければならないのかも知れません。

 私たちは若者たちの置かれている立場を理解しなければなりません。知識万能な競争社会や落ちこぼれたた子どもを切り捨てる非人間社会の中で育った若者は、こんな行動しか親や社会に反抗出来ないのです。

 言葉の暴力だって日常茶飯事、親子の対話なんて「早く、頑張って、勉強」という親と、「金、飯、うるさい」の単語しか交わせないのです。これはもう対話ではありません。あの優しかった子どもが何故中学、高校、若者と成長するにつれて悪変身して行くのか、考えなければなりません。

 成人式のありようも問題です。集まった若者に、市長や議長といったお歴々が選挙運動の延長のような

説教を式典の大半を費やし、成人者代表も勉強の良く出来た子どもを選んで、歯の浮くようなこちらが仕組んだ誓いの言葉を言わせたところで、出来ない、出来なかった若者の反感反発を招くだけなのです。

 しかし、一方では真に新成人になったことを自覚する大半の若者がいるということも見逃してはいけません。結局はどうすればいいのと解決策は暗いトンネルに入ってしまいますが、要は若者たちの「何がしたいのという要求課題」と、成人の日を意義あるものにするために「何をさせたいという必要課題」の折り合いを求め続けていかなければならないようです。

 私が成人式の頃は、なんて述懐はもう古くなりました。社会は変化しています。成人式は変化の中の流行と不易を見極める時期なのでしょう。

  「あの子たち馬鹿じゃあないのいいながら今年も続く荒れた式典」

  「金かけた衣装に酒を浴びて飲むこれしか出来ぬ今の若者」

  「若者の出すシグナルは赤信号気付いていても誰も止めれず」

  「おめでとう日本中が日の丸を掲げて祝う祝日悲し」

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○満が悪い

 私たちの町は漁村です。したがって漁村でしか分からない言葉が沢山あります。「満が悪い」という言葉も何気なく使っているのですが、「えっ、それどういう意味ですか?」と先日も町外の人に訊ね帰されました。

満とは運のようなもので満を運に置き換えるといいかも知れません。漁師さんがその日の漁が上手く行かず不漁の上網を破り機械まで故障した場合などは、「満糞が悪い」と満に糞までつける有様で少々下品な言葉になってしまいます。

 昨日人間牧場で作業をしていると顔見知りのおばちゃんに会いました。おばちゃんは88歳、私の親父と同い年です。「親父さんは元気ですか」と会話も弾みましたが、結局は「歳をとって体の衰えが目立ちつまらない」と嘆き節でした。また一人身の家が増えたことを嘆き「この集落は10年後空き家が目立つようになる」と将来の予測まで話してくれました。

 「ところで私の同級生のAさんは元気じゃろうか」と尋ねてみました。「元気なのは元気なのじゃが、あの人も満が悪いねえ」と言うのです。おばちゃんの話によるとAさんの奥さんは年末に腹がうずき病院に行ったところ膵臓が悪いと診断されどうも重い病気らしい」というのです。Aさんは農業高校を卒業後家業の農業を継いでいましたが、折からのみかん暴落のあおりを受けて農業を妻に任せてサラリーマンになりました。穏やかな物腰で地元の信望も厚く消防団や公民館活動にも協力的で消防団では幹部にまでなりました。Aさんには障害を持った妹がいます。お母さんも今は寝たきりだそうです。私より早めの55歳で退職し、農業をやっていますが、奥さんが病気となるとこれまた大変です。おばちゃんの「満が悪い」という言葉があったので人間牧場からの帰り道、少し遠回りをしてAさんの家へ立ち寄ってみました。あいにく留守で逢うことが出来なかったのですが、早く奥さんの病気が快方に向かい元気で暮らして欲しいと願っています。

 60の坂を越えると何があっても不思議ではありません。親父も一応元気、妻も元気、子供たちもそれぞれの道を進んでいます。何気ない暮らしの中に「満の良さ」を感じなければバチが当ります。「満は運」といいましたが、「満」も「運」も努力なしでは勝ち得ません。でも努力しても「満」や「運」に見放されることだってあるのです。そんな場合は襲い来る「満」や「運」を嵐だと思ってじっと嵐の過ぎるのを待つしか方法はないのです。でもあらかじめ嵐に備えることも大事でしょう。今全国では何時来るか分からぬ南海地震への対応が話題になっています。少しだけでも備えの心を持ち、少しだけ備えの行動をしたいものです。

  「満悪いそう思ってたわが人生実は努力が足りないだけだ」

  「一十百千満全て悪くないせめて一つに望み託して」

  「満求め海にお神酒を捧げたる鉢巻漁師祈りの朝に」

  「満を持し建国二百のアメリカへ旅立つあの日懐かしからん」

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shin-1さんの日記

○鳥(酉年)に負けた猿(申年)

 これは動物同士の喧嘩ではありません。わが家の出来事です。どの家にもテレビの2台くらいはあると思うのですが、家族の少なくなったわが家にも居間用、次男息子用、それに空き部屋となって時たま帰ってくる長男と三男用の4台もあるのです。普通は居間で暗黙の了解のようなものがあって、朝はNHKニュース、昼はおもいきりテレビなどを見ながら食事をするのですが、昨晩夫婦間でちょっとしたもめごとがありました。朝新聞を開けてテレビの番組表を見ると北大路欣也の風林火山があるので、今晩は2時間ゆっくり見ようと心に決めていました。さあ見ようとタイトルが出た矢先に妻が外出先から帰って来ました。居間に入るなりテレビのチャンネルをウルルン滞在記という番組に私に相談もなく変えてしまったのです。

 さあ大変、それから少しばかりの口論となりました。「何故変える」「この番組見たかったの」「俺も見たかった」「あなたには先日も譲ったのだから今日ぐらいは」「お前は昨日もそういってチャンネルを奪った」とまあ他愛もない口喧嘩となったのです。昔なら茶碗やコップを投げて自分を主張したでしょうが、結局は私が負けて渋々息子の部屋へ退散と相成りました。わが家のチャンネル権争奪戦に負けた腹立たしさからすっかり興味もさめて、何と妻と同じ番組を別々の部屋で見てしまったのです。

 妻は酉年です。酉は早く寝るそうらしいのですが、酉年の妻は夜が強く朝が弱いタイプなので、夜はっビデオを見たりしながら遅くまで起きています。私は申年です。申なのに夜が弱く朝早い生活リズムなのです。こうして違う生活習慣を持ちながら30数年間もよく夫婦が務まったものだと関心しきりです。

 最近はことテレビのチャンネル権争いは妻に分があり負けてばかりです。でもテレビのチャンネル権くらいは妻にも譲った方がいいかもと、寝ながら反省しました。妻が言うように「テレビはわが家に4台もある。見たかったらそこへ行けばいい」し、「あなたにはちゃんとした書斎があるが私にはない。居間ぐらい私の自由を下さい」にも一利あるようです。

 チャンネル権争奪戦に敗れた猿は去るのみです。ああ寂しいかな濡れ落ち葉。私の行く手はいったいどうなるのでしょう。鳥(酉)に負けた猿(申)物語」一巻の終わりです。お終い。

  「テレビさえ妻に奪われ濡れ落ち葉寂しくテレビ別室で見る」

  「何につけ性格違う二人だが違うからこそオシドリ夫婦」

  「俺見たい私も見たいこのテレビいつも喧嘩はテレビ囲んで」

  「今頃は二つが見えるテレビあり同じ部屋にて夫婦別々」

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shin-1さんの日記

○あなたの未来は何色?

 私たちが子どもの頃、写真といえば白黒でした。親父が持っている古い写真帳はその白黒写真の殆どがセピア色に変色して、歴史の重みを感じさせてくれますが、その写真も元はといえば全て白黒です。でも白と黒だけであのような写真が表現できるのですから面白いものです。 

 私が町の「広報ふたみ」を担当したのは昭和49年4月15日付け299号からでした。月に2回の発行で実に10年間240号もの広報を世に送り出したのですが、その殆どの写真は正月号を除けば白黒だったのです。でもカラーの写真に比べ白黒の写真はシンプルがゆえに中々上手く撮れませんでした。

 あれから何年経ったでしょうか。今は「えっ、白黒写真ってあるの?」と言われるほど、余程カメラに凝った人でないと白黒写真はお目にかかれないのです。簡易カメラだってデジタルカメラだって全てカラーの世の中なのです。

 さて「あなたの未来は何色?」と問われたらあなたはどんな色を連想するでしょう。自分の未来に失望した人は黒なんて色を創造するかもしれません。高齢者のことをシルバーなんて表現するから、将来はシルバーなんていう人もいるでしょう。色は正直なもので着ている服の色を見て、地味な年齢の人が赤い服を着ると「少し派手じゃない?」なんて言われることもあるかも知れません。

 昔高倉健と倍賞千恵子が主演した「黄色いハンカチ」という映画がありましたが、「黄色いハンカチ」という色だけで何かハッピーエンドを連想することが出来ます。

 「私の未来は」いい予感の「伊予柑」色か、「真赤なリンゴ」色か、「若緑のキャベツ」色か、それともそれらの「色を配合したまったく新しい」色か、迷ってしまいます。

 でも色を想像すると具体的な物を連想してしまいます。人間牧場の「水平線の家」の外観は周囲に配慮して淡い山吹色を選んで自らが塗りました。ウーン山吹色も捨てがたい。私のハーフコートはベージュ系の白だからこれも清潔感があっていい。

 結局只今のところ「私の未来の色」は決まりませんでした。でも少し色について意識の中に色の存在をインプット出来ただけでも良かったと思います。

  「白黒に何時の間にやら色がつきそのことさえも分からぬ暮らしに」

  「ある人にあなたの未来何色か問われたものの答えも出せず」

  「赤い服着た妻幾分若返り少し見直す正月の朝」

  「気がつけば好みの色しかない私似合っているのか似合わずなのか」

 

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shin-1さんの日記

○体重計に一喜一憂

 現代人は体重計がやたらと気になるようです。それもそのはず現代人の食生活は「水を飲んでも体重が増える」と嘆くぐらい肥満な人が多いのです。自分の周りの人を見渡し頭に浮かぶ特に中年の女性は、どちらかというと釣鐘型の寸胴で、失礼な話ですがくびれが少ないのが実情です。勿論この傾向は男性だって同じで、温泉族といわれる温泉愛好家の目的は減量と美味しいビールを飲むことにあるのですから・・・・。

 妻に言わせると「体重を減らすのは余程覚悟がないと難しい」のだそうです。妻の場合勤めている近所の歯医者さんまでは僅か500mくらいなのですが、減量のため万歩計をつけて歩いて出勤です。健康な人の一日の歩く歩数は1万歩が目安だそうですが、妻はその努力の甲斐もなく毎日1万歩には届いてないようで、時には1万歩を稼ぐために遠回りをしたりして帰ってきます。夕方帰るなり「やったあ、今日は1万歩超えた」などと自画自賛です。でも万歩計なるものくらい当てにならないものもありません。仕事で身体をゆすってもカタカタと歩数を加えるのですから、正式歩数1万歩を確保するためには2千歩は余分に歩かないと1万歩に届かない計算になるのです。私の場合は携帯電話に歩数計がセットされているのでだいたいの目安が分かりますが、これも目安なのだと過信しないようにしてます。

 歩くことも大事な運動量なのですが、食べるものにも気をつけなければなりません。現代の食生活は高脂肪・高カロリーな食べ物が多いようです。肉類を減らし食事にせっかく気をつけていながら、お菓子や清涼飲料水、それに果物などを知らず知らず口にすると、体重計は正直な目盛りを指すのです。

 お正月は「食うては寝る」まるで豚のような生活をするといわれますが、その運動しない高脂肪な豚を食べれば豚と同じように太るのです。低カロリーな鶏の肉だってブロイラー肉はやわらかいとよく食べますが、鶏も雛から出荷まで僅か3ヶ月だそうで、運動させないで大きく育った鶏肉も高脂肪な食べ物なのです。

 少し運動に気をつけ、食事に気をつければ体重計は下がります。「女性の天敵は運動不足と食生活なのですから」と言う口の下、妻は相変わらず菓子と果物を口に放り込んでいます。

 私も正月に1キロ増えました。私の場合は正月に高脂肪なハマチの刺身を毎日食べた結果かもしれないと、食生活の見直しよりも、むしろ運動を増やそうと人間牧場の開墾に汗を流しています。さて1週間後の体重変化が楽しみです。

 日々の暮らしの中で毎日計る体重はまさに長生きと深い関係を持っています。体重計が憎らしく思えないよう毎日の暮らしに注意したいものです。

  「えっこんなはずじゃあないと思うけど針は正直ピンと跳ね」

  「一万歩歩いた安堵は菓子でふい増えるはずだよよく見ていると」

  「豚食って豚が寝るよな過ごし方そのうち豚に豚も驚く」

  「冬だから体動かす意味がある親父せっせと室内散歩」

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shin-1さんの日記

○土の香り

 今年の冬は寒波が度々やって来て、新潟県津南町では3メートルを超える積雪だと報じられています。綿のようにふわふわした雪も積もって水分を含むととんでもないような重さになって屋根を押しつぶし、尊い人命が50人を超えて奪われたといいますからただ事ではありません。特に独居高齢者の家では雪かきもままならず、苦悩の色がありありで正月早々暗い影を投げかけています。

 今日は人間牧場の畑を耕しに出かけました。南国四国だというのに日の当らない畑の影には白い雪が申し訳なさそうに残っていましたが、春の植え付けの準備のために土を地掘り鍬で掘り返し、根や雑草を取るのです。勢いを込めて土に挑むのですがいかんせん体力の落ちたこの腕ではカズラの根などそう簡単には掘り起せないのです。それでも急斜面の畑を少しずつ少しずつ焦らず掘り進んで行きました。

 北国は地面など見えぬほど雪が積もっているのに私の畑は黒々とした土がどんどん出てきます。山百合の球根などはもう春の芽吹きの準備なのでしょうか少し赤くなった芽が出ていました。

 土の匂いは何ともいいものです。鍬で掘り起こす度にプーンと匂ってくるのです。「どんな匂い?」って言われても土の匂いは表現が難しく、結局は「土の匂い」としか表現できないようです。

 時折粉雪舞うあいにくの天気で、地下足袋からは冷たさが体に伝わり、途中で止めようと思いましたが、身体はポカポカとして汗ばむほどでした。寒い冬はコタツやストーブの番をするより、やはい戸外で身体を動かす方が気持ちがいいものです。軽い昼食をはさんで4時まで作業をしたお陰で、狭い段々畑2枚が綺麗になりました。この分だと春の作付けまでには何とか間に合いそうです。

 畑を耕しながらふと沖合いに浮かぶ周防大島辺りに目をやりました。今日の大島は海を渡る雪雲にさえぎられてかすんで見えましたが、あの大島で民俗学者宮本常一はどんな気持ちで畑を耕したのだろうと思いました。農作業の基本である土を耕しながら何かを感じたに違いありません。日本のこと、島のこと、自分のこと、将来のことなど、色々なことが頭をよぎりました。

  「鍬打ちて荒れた畑を耕しぬあれこれこれ思いつひいふうみいよ」

  「冬眠の蛙ミミズが迷惑と言わんばかりに土の中から」

  「修養と思えば鍬も軽々と二枚の畑新地のように」

  「冷たさが履いた地下足袋襲い来る小雪舞い散る段々畑で」

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shin-1さんの日記

○一秒一分1時間一日

 電卓を叩くと実に面白いものです。たかが1万円弱のお金で買った使い古しのソーラー型電卓ですが、もう20年以上も使っているというのに壊れもせず、外の光はおろか蛍光灯の光にも反応して、何の電源も持たずせっせと働いてくれるのです。新しい年が始まって今日で一週間が経ちました。今は7日の7時ですから2006年は8760時間の内の151時間も消化したことになります。543600秒・9060分・151時間と電卓は正確に時の流れを数値化してくれるのですが、その間私はおおむね一日5時間寝るとして30時間寝て、毎食事を3時間とすれば18時間食事をしてきました。結果的には103時間を時にはパソコンに向かい、時には人と出会ったり、雑事に追われて暮らしてきたのです。

 私は大まかな生活の目安としてここ数年間、シーサイド公園の清掃を毎朝3時間やろうと心に決めて早起きに心がけました。また2000年からは、朝1時間余りは決まってパソコンの前に座って思いつくまま日記風のエッセイを書いてきました。特にこの4ヶ月間はブログと出会い書き綴ってきました。これも数値化すると4ヶ月で120時間以上の成果となりました。時は金なりといいますが、私にとって刻み続ける今日一日の24時間、1440分の使い方は自分の人生を決める、いわば一秒一分の積み重ねが一日であると、電卓は私にメッセージを送ってくれるのです。

 私は凡人ですから賢人のような日々は残念ながら暮らせません。ゆえに毎日「あーしもた。こんなことするんじゃあなかった」といつも後から後悔します。「今度は絶対失敗しないぞ」と思って望んでも、また同じような失敗を繰り返してしまうことだってあります。でもその日のうちに反省し、その日のうちに自分に言い聞かせ、出来るだけその日のうちに対策を講じると、失敗の数が段々減って行きます。その結果塵も積もれば山となって成果が上がります。

 居間の日めぐりも6枚が破られ、7の数字が顔を出しました。明日からまた新しい一週間が始まるのです。

  「一生は一分一秒の積み重ね一日大事おろそかせずに」

  「時は金金は失せても返せるが時はもどらぬ肝に銘じろ

  「過ぎし今近づく今と今はある今の連続俺の人生」

  「昨日悔い明日を憂える人がいるそんな暇ありゃ今を楽しく」 

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