shin-1さんの日記

○やりたいこととやれることは違う

 私たちは何時も、あれもしたいこれもしたいと夢を持って生きています。しかしその夢も、所詮かない夢で終わってしまうのも数多くあります。子供が子どもの頃に描いていた野球選手やサッカー選手には誰でもなれる訳ではないのですから、気がつけば普通の人間になって日々あくせく働いて、「こんなはずじゃあなかった」と失望したりするものです。中には描いた夢や望みを捨てきれず、身を持ち崩す人だっているのです。

 今は教員になりたい人がいっぱいいます。ところが今は教員は狭き門でなりたくてもなれません。毎年のように大学の教育学部を卒業した人がどんどん狭き門に押しかけます。また一度ならず二度三度と浪人をした人がこれまた狭き門を目指し、死に物狂いで挑戦してきます。

 教育の世界に少しだけ手を染めていましたので、そんな若者を随分見てきました。「頑張れよ」と励ましたこともあります。特に講師をお願いした教員の卵たちには期待を込めて励ましたつもりです。でも結果が出なくて去って行く若者を送る時は言葉のかけようがなく、寂しい思いを随分しました。

 私のように定年年齢を迎え、今春で職場を去る人が周りにはいっぱいいます。「若松さん、あなたのような自由奔放な生き方が夢だし、あなたのようなセカンドハウスを私も持ちたいのです」と、ブログを読んだ数人から年賀状が届きました。その人たちも後3ヶ月で職場を去るのですが、去る頃に「さて俺はどう生きようか」なんて甘い考えではやりたいことは成就しません。現役の頃から常に目線を高くして自分の人生や将来を見つめたり、考えたりしないと「やりたいこととやれることは」違うのです。

 「セカンドハウス」を持ちたい」というやりたいことはは分かります。セカンドハウスを持つには、自分自身の信念の強さとともに家族の理解や周囲の理解、資金などが不可欠なのです。私とていとも簡単に人間牧場を作っているように見えますが、信念と周りの葛藤は相当なものなのですから・・・・・・。

 「やりたいこととやれることは違う」ことを考えながら退職してください。

  「違うものやりたいことやれることやれる実力今から準備」

  「本当は回り道した若者に教員なって生きる力を」

  「セカンドやセミリタイアは何となく中途半端な気持ちせんでも」

  「みんな言う俺の生き方オンリーワンそれをやらせる妻は偉いと」

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shin-1さんの日記

○福袋

 「ねえねえ、見て見て」外出先から帰った妻が大きな福袋を提げて帰ってくるなり私を居間へ呼ぶのです。何事かと思ったら何と福袋を開けていました。「この金額でこれだけ入ってるのだから安いよねえ」と私に相槌を打たせながら「あなたのために買ったのよ」と、私は頼んだ覚えもないのに押し付けがましく言うのです。

 この状態は毎年正月の出来事として妻の行動を見続けてきましたが、「アーまた今年もか」と半分諦めています。女性は、いや妻はどうしてこうも福袋に憧れるのでしょう。毎年のことながら少し期間が経つと「やっぱり福袋は余り使えるものがない」などといちゃもんをつけて正月気分が抜けるのです。

 それにしても最近の福袋は、金額からするとかなり高価なものが入っているようです。おまけに金額3千円以上買った人は福引が引けるそうで、妻は何と3千円の商品券を引き当てて「こいつは春から縁起がよい」とホクホク顔でした。結局はその商品券も買い物に同行した息子嫁にプレゼントしたのですから、計算の合わない高い買い物をしたとしか言いようがありません。

 まあ福袋一つで目くじらをを立てることもないのですが、私はこの正月は金を全然使わない目標を立てていますので、妻の無駄遣いが何となくしゃくにさわって仕方がないのです。

 正月のテレビ番組は何故かバラエティ番組ばかりで、飽きちゃいました。正月のおせち料理もまだ二日目なのにもう飽きちゃいました。妻の行動には飽きちゃうばかりか諦めました。

 「正月は冥途の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし」という句がありますが、今年の10月にはまた歳をとることになり、この句の意味が分かるようになりました。

 年賀状は相変わらず多く、500枚出して約千枚来たのですから失礼をした人が多く、新春早々悩みがまた増えました。これも過渡期だと諦めています。年賀状を下さった全国の皆さん「ハッピーニューイヤー、若松進一は今年も元気」です。

 今年の正月はゆっくり休みたいと、成人式の講演を依頼されても「あいにく予定があって・・・・」と断ってしまいました。9日までは人間牧場の山ごもりのつもりですが、仕上げないといけない原稿もあって休めそうにもありません。でもこんなにわがままな自分でいいのか、初めて味わう正月長休暇です。

  「正月は何時まで休みと問われたら何時も休みと少し胸張り」

  「口開けてお笑い番組見て過ごすこれで良いのか総アホ日本」

  「福袋並んで買って持ち帰る束の間ワクワク変えればガッカリ」

  「初夢は何を見たのか早忘れ俺もいよいよ認知されそう」

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shin-1さんの日記

○久しぶりの金毘羅さん初詣

 私たちの町は漁村です。「縁起を担ぐ」という言葉がありますが、縁起を担ぐ漁民にとって金毘羅さんは大きな信仰対象の神様です。その昔交通が不便な頃は金毘羅さんに滅多に行くことも出来ないから、それぞれの地域に金毘羅さんの遥拝所が設置されていました。今はそのことを知っている人もお参りする人も少なく廃れようとしていますが、潮風ふれあい公園には立派な金毘羅さん遥拝所が残っています。

 私たちが子どもの頃は、夏になると新造船が船降ろしをすると船に乗って金毘羅さんへお参りする風習がありました。滅多に県外へ出ない子どもの頃のことなので、胸をときめかせて乗りました。多度津か丸亀の港に着いたら琴参鉄道に乗り金毘羅さんで下車後長い石段を、お土産屋さんを眺めながら上がったものでした。

 双海町を午後8時に出発し高速道路を使うと約2時間で金毘羅さんに着きます。息子夫婦と私たち夫婦、それに次男の5人が行きましたが、次男はあいにく車に弱く酔って車の中で休憩と相成りましたが、夜の金毘羅さんの石段を汗をかきかき登って行きました。妻はフーフーいいながら遅れ気味、私も朝から鍬を持っての農作業の後なので多少きつく感じましたがそれでも30分余りで本殿に到着しました。

 さすが森の石松さんも代参に来ただけある天下の金毘羅さんだけあって、夜だというのに引きも切らずの参詣の人たちに出会いました。でも殆どのお店は初詣の喧騒が去った後で、早い店じまいをしていました。

 何年ぶりかの参拝は新婚夫婦と一緒でしたので、少し歳をとった感じがしましたが、一年の始まりをこうして元気にお参り出来た幸せを感じています。

 しかし宗教信仰は大したもので、参道の両側には御影石に一金壱百万円と深く刻まれた寄進標柱が山頂まで立っており、それを見ながら「ある所にはあるものよ」「私たち庶民には」などと話しながら登るのです。御影石の石灯篭寄進も数多く、「○○社長××」などと明らかにPR用の寄進と分かる物も数多くありました。「あの会社の隆盛はさぞかし」と思うやっかみも少しありました。

  「石松も登った階段一つずつ数えてみたが数えきれずに」

  「俺の名も先祖の名前も刻まれぬ標柱読みつため息吐息」

  「手を組んで歩こう妻の大胆さ人が見てると振りほどき前」

  「讃岐路はうどん看板これでもかブームはいつか去るというのに」

 

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