○やりたいこととやれることは違う
私たちは何時も、あれもしたいこれもしたいと夢を持って生きています。しかしその夢も、所詮かない夢で終わってしまうのも数多くあります。子供が子どもの頃に描いていた野球選手やサッカー選手には誰でもなれる訳ではないのですから、気がつけば普通の人間になって日々あくせく働いて、「こんなはずじゃあなかった」と失望したりするものです。中には描いた夢や望みを捨てきれず、身を持ち崩す人だっているのです。
今は教員になりたい人がいっぱいいます。ところが今は教員は狭き門でなりたくてもなれません。毎年のように大学の教育学部を卒業した人がどんどん狭き門に押しかけます。また一度ならず二度三度と浪人をした人がこれまた狭き門を目指し、死に物狂いで挑戦してきます。
教育の世界に少しだけ手を染めていましたので、そんな若者を随分見てきました。「頑張れよ」と励ましたこともあります。特に講師をお願いした教員の卵たちには期待を込めて励ましたつもりです。でも結果が出なくて去って行く若者を送る時は言葉のかけようがなく、寂しい思いを随分しました。
私のように定年年齢を迎え、今春で職場を去る人が周りにはいっぱいいます。「若松さん、あなたのような自由奔放な生き方が夢だし、あなたのようなセカンドハウスを私も持ちたいのです」と、ブログを読んだ数人から年賀状が届きました。その人たちも後3ヶ月で職場を去るのですが、去る頃に「さて俺はどう生きようか」なんて甘い考えではやりたいことは成就しません。現役の頃から常に目線を高くして自分の人生や将来を見つめたり、考えたりしないと「やりたいこととやれることは」違うのです。
「セカンドハウス」を持ちたい」というやりたいことはは分かります。セカンドハウスを持つには、自分自身の信念の強さとともに家族の理解や周囲の理解、資金などが不可欠なのです。私とていとも簡単に人間牧場を作っているように見えますが、信念と周りの葛藤は相当なものなのですから・・・・・・。
「やりたいこととやれることは違う」ことを考えながら退職してください。
「違うものやりたいことやれることやれる実力今から準備」
「本当は回り道した若者に教員なって生きる力を」
「セカンドやセミリタイアは何となく中途半端な気持ちせんでも」
「みんな言う俺の生き方オンリーワンそれをやらせる妻は偉いと」