○平成の傘地蔵物語
昔々ある所におじいさんとばあさんが住んでいました。年の暮れも押し迫ったある日、おじいさんはまちまで傘を売りに出掛けました。しかしその日はどういう訳か7枚持って行った傘は一枚も売れませんでした。傘が売れれば正月用の餅を買おうと思ったのですがそれも適わず帰路につきました。帰りの峠道で雪が降り始めました。峠には8つのお地蔵さんが寒そうに立っていました。心の優しいおじいさんは持っていた7枚の傘を「お寒いでしょう」と被せ、足りない一枚は自分の被っている傘を取ってお地蔵さんに被せて家へ帰りました。おばあさんに訳を話すと「それはいいことをしました。傘はまた作ればいい」と喜んでくれました。
その夜二人が布団にくるまって寝ていると雪を踏みしめる足音がしますが二人とも昼間の疲れで寝入ってしまいました。あくる朝鶏の鳴き声で起き、外に出てみると沢山の足跡とともに戸口に沢山の餅とお金が置いてありました。
これは多少表現は違いますが久万地方に残る、ご存知傘地蔵物語の要約の一節です。
今日久万高原町立明神小学校で開かれた人権教育研究大会に招かれました。国道33号の急な坂道をどんどん登って三坂峠を越え明神小学校へ行きました。道の両側には白い雪がまだ残る寒い一日でしたが、私は凄いものを発見しました。明神小学校の玄関に二宮金次郎の銅像が寒そうに建っているのですが、その銅像の首に何とネッカチーフが巻かれているのです。普通であればこんな偉い人の銅像に布を巻くとはけしからんとお叱りを受けるのでしょうが、私はこれこそ平成の傘地蔵物語ではないかと思ったのです。校長先生にお聞きすると、金次郎さんが雪で寒いだろうと子どもが首にネッカチーフを巻いたのだそうです。私は嬉しくなりました。殺伐とした世の中にあって明神小学校の子どもたちの心根の何と優しいことか、時あたかも人権教育の大会だったものですから、そのことを参加者に話しました。そして帰り際運良く持参していたデジカメで一枚パチリ写しました。「明神小学校万歳」と叫びたい心境でした。
その夜の集会で明神小学校での金次郎の首巻についてあいさつ代わりに話しましたら、みんな感心して話を聞いてくれました。これぞ現場主義なのです。
私たちは人権について様々な知識を持っています。しかしいざ自分のことになると本音と建前の違いがもろに出て中々実行できません。学校で靴をきちんと並べられる子どもが家では何故並べられないのでしょう。まさに本音と建前の違いなのです。授業参観では人権や差別の現実を発達段階に応じて微細にすばらしい授業が行われていましたが、空想の世界を教材にするのも指導要領に沿っているからいいのかも知れませんが、金次郎さんという生きた教材を使うことも教員には必要な知恵かも知れません。
教えに行って教えられた今日の出来事は私の心に長く残り、他所で語ってあげたい美談でした。
「ふと見れば首に布巻く金次郎雪寒かろう子ども優しく」
「全国に金次郎さんは多かれど首巻きつけた見たの初めて」
「この子らにこんな優しい心根を持たせし親や導く学校」
「司馬遼も峠という本出している越えた向こうに理想のふるさと」