shin-1さんの日記

○一億円当ったら

 ある雑誌の取材で「一億円当ったら」という質問がありました。あなただったら何と答えるでしょう。私はその時「買わないので当らない」と答えてしまいました。そうです。私は生まれてこの方、宝くじなるものを買ったことがありません。「何で買わないの」かって尋ねられても困るんですが、ただ買わなかっただけです。だいたいあんなものは、汗をかかずに濡れ手に粟を目論んでいる人のやることだと、冷ややかな目で見ていたものですから、役所の同僚が「10万円当った」と大騒ぎしていても、別に羨ましいとも思いませんでした。

 ところが私の妻はこの宝くじが好きで、事あるごとに買うのです。そして買った宝くじは仏様の引き出しに祈りを込めてしまっています。「お父さん一億円当ったらどうしよう」。「バカたれ、そんなものお前になんか当るものか」といつも詰るのです。その度に妻は「一億円当ったらお父さんにはあげないから」と開き直るのです。でも、でも、でも「ひょっとして一億円当ったらどうしよう」と妻はまた瞑想の世界へ私を置いてけぼりですすむのです。

 「これまで宝くじを買ったお金は一体何処から出ているの」と妻に言ってやりたい心境です。結婚して35年間、塵も積れば山となるような宝くじを買ったあのお金の殆どは当然私の儲けたお金であるはずなのにと思いつつ、ひょっとして一億円当って、妻がこの金を自分のだと主張するなら、私は即座に島田伸介の「行列のできる法律相談所に申し立て、丸山弁護士の見解を聞きたいと思っています。

 「当りもしない宝くじに夢をかけるなんて」と妻に言うと、「だって当る人がいるのよ。○○では二千万円が二本出たんですって」と声を弾ませまた買う算段です。

 妻はこれまで一万円は何度か当ったようですが、300円の常連です。まあそれも人生、私のように本に金をつぎ込むのも人生と、今はあきらめています。多分これからも二人の買いパターンは永久に平行線でしょうが、お互い目くじらを立てず生きて行きましょう。仏様、一億円の夢にかける愚かな妻に、一緒に一度くらいは夢をかなえてやってください。お願いします。

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shin-1さんの日記

○あの頃私は若かった

 何をどう思ったのか、妻が写真の整理を始めました。多分先日行われた息子の結婚式のスナップ写真が、出席したあちらこちらの方々から送られてくるからでしょうが、写真の整理をしながら若かりし頃の写真を見ながら、一人ではしゃいでいるようです。特に自分の若い頃の写真や家族の写真は30数年の時の流れを感じるように、随分変わったことに気付くのです。

 「まあ、私も若いころがあったのねえ」とは結婚前の写真、「私の若さに比べあなたは昔から老けていたのねえ」と自分の若さを強調し、私をコケ下ろすものだから、私も宇和島水産高等学校の練習船愛媛丸での航海写真を見せて、「わしも若かったろうが」といってやりました。そうです。写真に写っているどの人も30歳以上若いのです。

 昨日次男の息子がテレビの「サザエさん」という番組を見ながら、「僕たちが子どもの頃とサザエさん一家は何故か一緒で、まったく歳をとらんなあ。いつの間にかかつお君やわかめちゃんより僕の方が年上になっとる」というのです。そういえばそうだと、息子の観察力に感心もしました。

 それにしても、妻と結婚して始まった二人だけの若松進一一家も、一時は子ども四人を真ん中に川の字ならぬ6本の川の字の如く、まるでたこ部屋のようになって寝ていましたが、結婚したり仕事の都合で今は次男と私たちだけの核家族になっています。時の流れは過ぎて短く迎えて長いようで感慨深いものがあります。

 それぞれの人生は写真のように一瞬を凝縮してそのままの姿で残るはずは無く、日々を積み重ねていくものです。デジタルカメラがあるのだから、写真さえも劣化しない時代になりましが、「あの頃は私たちも若かった」と、昨日撮った写真をまた20年後に妻と二人で見れるまで健康でいたいと思いました。

 ちなみに、昨日撮ったデジタル写真は人間牧場へ昼飯を食べに来た4人の仲間と撮影したものです。

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shin-1さんの日記

○合併記念式典に思う

 新しい市の広報区長(旧町の区長)をしているので、先日新しい市の合併記念式典の案内をいただきました。あいにく父親の88歳米寿の祝いを計画していたものですから、欠席のおはがきを出しました。集会を計画する側からすれば、私のような欠席者は合併記念式典のような公的で重要な集会を欠席するとは何事かと、お叱りを受けそうですが早いうちから計画していたことであり、済まない気持ちでいっぱいでした。

 先日その集会に行かれた人から当日の様子をお聞きしましたが、3つの意見を述べておられました。一つ目は普通こうした式典は飲み会がつき物ですがなかったそうです。お金が無いという理由は分かるが、せめて会費制にでもして、会食交流できたらよかったと酒飲みの言い分を言っていました。酒がないと会ではないというこれまでの考えは改めた方がよいのではという私の意見も述べました。

 二つ目の意見は祝辞がやたらと多かったし、県知事も出席していないとぼやいていました。合併は県も強力に推進したのだから、日程調整して県知事さんにも出席して欲しかったとの事でした。知事さんも何かと忙しい人だから、何か重要な公務があったのでしょうと、知事さんの気さくな人柄を知っているだけに、余り勘ぐらずない方がよいと私の意見を言いました。

 三つ目の意見は新しい市になって、新しい市が何を目的にどう進もうとしているのか見えてこなかったというのです。愛媛県内では20の市町に再編され、村は残念ながらなくなりました。その20市町がこのところ合併記念式典という行事をしていることは、新聞紙上でよく見かけます。しかし中身は一律で新鮮味が無く、もう少し新しいまちの主張があるべきだというのです。この件に関しては私も同感です。合併記念というのであれば、出席した人たちに式辞や祝辞で合併の意義は伝わるでしょうが、一般市民には中々伝わってきません。ある人が地域事務所を訪ねて「今日は合併記念式典があるそうですね」と話したら、「えっ、そうなんですか」とまったく知らなかったようでした。

 合併後の新しいまちがどうなるのか、私たちも心配です。新しいまちを私たちはふるさととして語らなければなりません。その意味からも、あったことを広報で市民に伝えるだけでなく、あるべきことを市民に伝えたり、ともに考えるようなまちづくりを望みたいものです。

 新しい市に私は人間牧場を開きます。そして新しい市に多くの人を呼び寄せたいと思っています。私に出来ることをコツコツと・・・・・・。

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○私がお酒のラベルになった

 私は5年前に胆嚢の摘出手術をして以来、体に悪いという理由でお酒を断っています。「酒は飲まない」と心に誓っているものですから多分これからも一生、余程の事がない限り酒は飲まないでしょう。落語ではありませんが、先日仲間がそのことを尋ねたお返しに、「みんな禁酒や禁煙と言っているが、酒やタバコが止めれないというのはおかしい。わしはもう10回以上も止めた」というのです。笑い話にもならない彼は、数年前に胃を手術して殆ど取りました。最初は恐る恐るでしたが飲むほどに酔うほどに気持ちが大きくなって、手術後病院へ見舞いに行った時の神妙な顔つきや言動とは裏腹、「酒やタバコを止めるくらいなら死んだほうがましじゃあ」などと嘯いて、手術前の酒量が回復したと喜んで飲んでいます。

 私だって昔は飲んでいた訳ですから酒に未練がないというのは決してありません。彼からそのように詰られ勧められても飲まないのが私の決意でしょう。「あんたは偉い」と最後に握手しましたが、「長生きしたかったらもう少し酒は慎むように」諭しましたが焼け石に水でした。「あんた一人の体じゃあない」と家族のことを言うと、「分かった分かった」でまた幕でした。

 先日私の写真が一升瓶のラベルに張られた酒が島根県から送られてきました。青年会議所の主催するまちづくりシンポジウムの記念講演に招かれたときに約束していたものが、大きな当日のポスターとともに送られてきたのです。

 酒を飲まない私にとって酒は無用の長物、早速親父にプレゼントしましたが、親父はこの珍しい酒瓶を中身は飲んで、記念にと大切に保管してくれています。

 それにしても自分の姿がラベルになった姿はどう考えても面映いものです。例の木になるカバンを提げている姿は、絵になるといえばそうかも知れませんが、この酒を10本も作って関係者に配ったアイディアは素晴らしいと思いましたが、後9本飲まれた後の空瓶は、冷たい雨にさらされ何処かの路地で転がっているかもと思うと、これも苦笑いの種になりそうです。

 でも、律儀な青年会議所の皆さんの発想の豊かさと行動力に敬意を表します。生まれて始めて私の意匠が一升瓶のラベルとなったのですから・・・・・・。

 実は私の長年の夢である「アサヒビールがあって、何故夕日ビールが」ないのか」の質問と、「夕日ビールを造りたい」という私の夢を実現させてやろうと、本当に夕日ビールのラベルを作ってくれた人がいます。舩木上次さんという山梨県清里に住む観光カリスマの凄い人です。最近はすっかりお友達になって来年も愛媛県に呼ぶ予定です。また私のラベルを作ってワインをプレゼントしてくれた人もいます。こうした遊び心が人生を豊かにしてくれるのです。いい人いい出会いにウーロン茶で乾杯。

 「酒飲めぬ私にさけを送る人わざわざ私の写真ラベルに」

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shin-1さんの日記

○私の町は瀬戸内海に面した海沿いの町です。南国とは言いがたいのですが、寒いといっても年中雪が積ることは無く、一月には早くも菜の花が咲くのです。早春の花水仙だってもう間もなく蕾を持ち上げますから、やはり暖かいのでしょう。昨日散歩に出たら近くの特別養護老人ホーム夕凪荘の前の畑には菜の花がいっぱい咲いていました。

 今双海町の道沿いにはつわぶきの黄色い可憐な花が清楚な姿で咲いています。また野路菊もいっぱい咲いています。私が草刈機で草を刈った裏山のドハもいつの間にか黄色いつわぶきと野路菊が、、刈り忘れたかのように咲いています。

 菊の花やバラのように作られた花でない野の花は、見た目は豪華ではありませんが、そばに寄って腰をしゃがませて見てみると結構美しいものです。私たちの暮らしは人工の花に囲まれ、トイレなどは造花で飾られています。昨日ある道の駅に野の花を生ける姿が美しいと新聞に載っていましたが、小さな一輪挿しに挿してみるとまたまた趣きのある風情が楽しめるのです。花は何も買う必要はありませんが、野の花は野にあってこそ美しいのだと思うと花を摘む気にはなりません。それでも人を招く時などは裏山へちょいと出かけ、ちょいと摘んで活けるのですが、これがまた見る人が見たらお褒めの言葉をいただくのです。

 私の家の前の田んぼには彦生えといって、田んぼを刈った後に親株から出た青葉に稲が実る現象が見られます。時々田んぼの主にいって刈り取り正月用のお飾りしめ縄を作りますが、これが長さも短く丁度よいのです。私は古風な男で、しめ飾りは全て自分が作ります。親父の教育が良かったのでしょうが、彦生えまで目をやる人は余り見かけないと先日も近所の人に珍しがられました。

 秋が山から里へ下りてきました。向かいの山には赤いハゼ紅葉が目立つようになって来ました。年賀状も売り出され、そろそろ木枯らしが吹く季節を迎えます。

 冬の使者九州場所も間もなく開幕します。

 親父の着衣が少し分厚くなったと、今朝のサロンパス張りで感じました。何と親父が食卓のうえの一輪挿しに野菊を一輪活けていました。息子と考えがいみじくも一致しました。

 今年は好天に恵まれ柿もみかんも梨も全て美味いです。食欲の秋です。

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shin-1さんの日記

○私のブログ日記をプリントアウト

 先日知人が会合のとき、私がブログに書いた10月8日の「時計のリズム」をプリントアウトしたのを、他の人に紹介するのを見て驚きました。私にとってこの2ヶ月余りの暮らしは、早朝慣れないブログに記事を書くことから始まり、最近では寝る前にもう一本書くといったリズムが生まれてきています。しかし自分の書いた過去の文章は殆ど見てませんでした。多分デジタル社会が自分の暮らしに慣れてないせいもあるのでしょうが、これはまずいと思って、今日は2時間もかかって全てをプリントアウトしました。息子が「そんなことしなくても見たいときにブログを開ければよい」と呆れ顔でしたが、それでもせっせとやりました。途中プリンターのカラーインク切れの赤いランプが点灯し、インクカートリッジを交換したり、散々でしたが、やっと出来上がりました。プリントして驚くのですが、約2ヶ月間でよくもまあこんなに書いたものだとわが目を疑いました。特に知人が持ってた「時計のリズム」の記事はもう一度読み返しましたが、ウン中々といった感じでした。

 それにしても、私の書いた全ての原稿を全て覚えていて引き出せるというのですから、パソコンは知恵と魔法の小箱というほかありません。こんな小さなパソコンの中にどんな力が潜んでいるのか知る由も無い人間の知恵の深さにはただただ驚かされるばかりです。

 最初は訳も無く書いていたブログも、日が経つに連れて読みやすくなっており、成長の後が読み取れるのもやはりプリントしての評価でしょう。

 もう少し技術を習得してブログに書いた記事を元に一冊の本でもと、またいらぬ好奇心が頭を持ち上げているようです。

 最近になって人気の高いブログを時々読んでいますが、人の物まねをすると盗作にもなるし余り参考にはしたくありません。私は私のオリジナルが持ち味ですから・・・・・・。

 しかし相変わらず多い誤字脱字、変換ミスにはほとほと参りました。汗顔赤面の至りです。見出しのつけ方も勉強せねばなりません。が当分の間はこのスタイルで書いてみようとも思っています。一日2本の記事を書くと一年で約700本にもなる計算です。県外への出張時には書けませんが、あせらずじっくり自分の潜在能力を引き出してみます。

 プリントアウトした原稿をファイルするリーフレットは古い手持ちの物を使いました。パンチで穴を開け収めてみると少々くたびれた感じもしますが、退職間もない今の私にはぴったりかもしれません。

 今日は友人に手紙を書かなければならないので、プリントアウトした中からお気に入りの記事を2~3枚コピーして添えてやりました。多分近いうちに反応があることでしょう。

「デジタルをアナログに変え一安心やっぱり私は古き人です」

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○人間牧場そろそろオープンか

 普通、施設が出来ると落成式やオープンセレモニーをするのですが、人間牧場は第1期工事の水平線の家本体ができただけなのでオープンはまだまだだと思っていましたが、気の早い連中から早くオープンしろとしつこく言われるものですから、そろそろオープンせねばとと思っています。3日前は地域政策センターの職員二人が取材に、一昨日は親友沖さんの仲間が4人昼食にやって来ました。天気がよかったこともあって皆さん一応に眺望や私の人間牧場に対する取り組み構想について熱心に耳を傾けていました。

 今はオープンもしていないので、マンションでいえば見学会のようなものだと思って、請われるままに受け入れていますが、いずれオープンの区切りをつけねばと思っています。建築に携わった方々、地元の方々などを招待しなければなりませんので、それを寒くならないうちにと考えていますが、私の日程と原稿締め切りが今月は詰まっており、気を揉む日々が続いています。

 それから、宮本常一に焦点を当てたミニフォーラムも人間牧場で開く公約をしており、宮本常一の書いた本の読書もまだ進んでおりません。あせるなと自分に言い聞かせてもあせる今日この頃です。

 「人間牧場」のテーマで書き始めたブログ日記も、気が付いてみると思わぬ方向へ向かっていて、折々の想いを書くような方向に向かっています。まあこれはこれとして当分続けてみたいと思っています。メモのつもりで書き始めたブログ日記も読者が増えて、日記ランキングがアップ・ダウンを繰り返しながらうなぎ上りとなっています。知らず知らずのうちに読者を意識している自分を発見したりもしてますが、少し肩を張り背伸びをした自分を少しだけ修正します。でも読者がいるという現実は肝に命じなければなりません。

 3日前ブログで「人間牧場」の存在を知ったという岡山県の女性が2人、何の前触れもアポイントもなしにやって来ました。折悪しく日程が詰まっていましたが、請われるままに短時間「人間牧場」に案内しました。ブログの底力を知りました。

 今日は久しぶりの雨、晴耕雨読の雨読の日にしようと心に決め、外の雨音を聞きながらパソコンに向かっています。少し風が出てきたようです。早朝6時半、人間牧場の鍵をつけに息子は雨の中を人間牧場に上がりました。

 

 

 

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shin-1さんの日記

○不足の不足

 今の世の中は物があり余るほど豊富にあって、人々の暮らしも豊かになりました。私たちのように戦後の物のない時代を経験した世代にとっては、何とも幸せな時代です。でも人間は満ち足り過ぎるとかえって幸せの実感がわきにくいものです。日ごろは麦飯に沢庵でも盆や正月にご馳走を食べた嬉しさは記憶に残っていても、肉も魚も毎日食べてる日々の暮らしでは、何を食べたのかはっきり覚えていません。

 現代は「不足が不足する時代」だと思います。現在は世界的な原油高騰で油の値段が多少高くなっていますが、それでもお金を出せば油が手に入らないということは余程の事がない限りありません。ひと頃トイレットペーパーやお米が不足したことがありますが、それでも明日の暮らしに困るということはありませんでした。日本人は栄養が行き届き、肥満が元で糖尿病などの成人病が問題になっています。まさに不足が不足していると思うのです。

 不足が不足といえば、お金に関してみんな不足だと思っています。もっとお金持ちになりたいし、歳をとると年金も不足だと嘆いています。でも本当に不足なのかというと、それなりの貯蓄もあるし決して不足ではないはずですが、大金持ちの誰かと比較して不足だといっているのであって、慎ましやかな暮らしをするのにはそんなに困ることはないはずです。また自分の能力についてもみんな不足だと思っていますが、五体満足な体を持ちながらなんで不足といえるでしょう。体にハンディを持つ人たちが明るくも逞しく必死に生きてる姿を見るにつけ、私たちは不足が不足していると思うのです。

 恵まれ過ぎた人間の不足は不満だと思います。不が付く言葉でも足と満では意味が大分違うのです。本当に足らない人は手の届きうる身近な目標を手に入れようとします。ところが足りた人の思い上がりの不足は、夢のような目標を手に入れようとします。そこが違うのです。

 恵まれない国には学校が不足しています。戦争や飢餓に苦しむこれらの国では学校へ行きたくても学校に行けません。遠い国の話だけではなく、私の父親が小さかった頃の日本は貧しくて学校へも行けませんでした。今の日本はどうでしょう。学校がいっぱいあるのに学校へ行きたくない子どもがいっぱいいて、大きな社会問題となっています。何かが足らないのではなく何かが過ぎるのです。

 言葉上は不足の不足なんて無いのかもしれませんが、私が常日頃から思っている「不足の不足」という意味を、一度ゆっくり考えてみては如何でしょう。

 私も実は不足が不足しているようです。

 

 

 

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shin-1さんの日記

○エッチなコメントにドキドキ・・・・・

 「あなたの記事にコメントがつきました」と運営局からメールが入ったものですから、ついつい嬉しくなって開けて見ると、何と何と、エッチな写真が沢山出てくるではありませんか。知らない私はドキドキしながらそれを見てしまいました。そう61歳の私がドキドキしたのですから、若い人や少年たちにとっては刺激が多過ぎると思いました。だってブログはまともな日記だとばかし思っていたものですから当然でしょう。このことを息子に話したら「ああ、別に珍しいことではないよ」といとも簡単に片付けられました。ということは、息子もこういうメールをしょっちゅう見ているのかと勘ぐりたくなります。

 実は種を明かせば、私にブログを紹介した息子は私のブログを申し込み、トップ画面を作ってくれました。だから私のブログに刻々と入るショートコメントの良し悪しを判断し、エッチなコメントなどは取り除いてくれていたのです。たまたま2~3日東京へ出張していて、その間に私がコメントを見てしまったという分けです。私も軽はずみでした。コメントには表題がつけられているのですから、開ける前に見ればよかったのです。これからはそうしたいと思っていますが、私も男ですから覗いて見たくなるような好奇心を持っていることも事実です。

 思うに、こんなエッチな写真を見せられた青少年は一体どんなことを考えるのでしょう。息子いわく「どおってことないよ」と言うのです。

 私たちの時代には、こんな刺激が少ない時代に育ちました。ところが今の青少年はこんな刺激が氾濫する社会に住んでいます。ちょっとやそっとでは驚かないようになっているのかも知れません。

 2年前、私の町の入り口にポルノ雑誌の自動販売機が出来て町中が大騒ぎしたことがあります。教育に携わる私は、町民からの通報に一喜一憂し、青少年育成関係者の総意として撤去運動が起こり、町民の数に匹敵する署名簿を県と業者と地権者に手渡しました。結局条例違反ではないということで撤去されませんでした。その時私たちの運動を見て冷ややかな意見を述べる人もいました。「この世の中から社会悪を全て取り除き、無菌の中で子どもを育てることは不可能だから、ポルノ雑誌を買わなかったりそれを見ても何ともないような逞しい少年を育てたほうがいい」と言うのです。一理あるご意見でした。

 その後2年間、そんなに問題もなく販売機は営業を続けていましたが、先日突然撤去されたのです。多分国道沿いの暗がりとはいえ、こんな田舎では珍しい間だけ売れて、今は売れず土地代や電気代などを差し引いて、採算が合わず撤去の羽目になったのだと思うのです。でも運動を起こした結城ある行動をした人たち(私を含めて)は運動の成果だと、電話をかけあい喜びました。一件落着です。

 今は進んだ時代、私のように世の中には知らないことがいっぱいあります。パソコンという極めて便利な道具も、使い方を誤ると大変な悪具になることは事実です。要は無知によって生ずる不幸は知ることによって避けられるのですから、もっともっと勉強しなければなりません。

 少しだけパソコンが怖くなりました。でも少しだけ私のコンテンツが広がり高まりました。

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shin-1さんの日記

○あんた「ガンじゃとなあー」

 2年前、早朝の浜辺で掃除をしていると、ある顔見知りの人が唐突に「あんたガンじゃとなー」と私に言うのです。驚いた私は「えっ」とわが耳を疑いました。その頃の私は健康診断の結果胆嚢にポリープが見つかり摘出手術の結果、1減りも減ったり13キロも体重が減っていたので、自分でも「ひょっとしたら」と思っていた矢先のことだったので驚きました。『私がガンだと誰から聞いたの」と問い返すと『集落ではもっぱらの噂」だというのです。その人の話によると「若松の進ちゃんは堪能の手術をして痩せてしまった。あれは多分ガンに違いないし、長くはないかも知れない。よく働いた人だし、若いのに奥さんも可愛そうに」なんて噂話が、私の知らないところでひそひそと話されていたのを聞いたその人は、うっかり本人に口を滑らせてしまったのです。でもうっかりとも思えないほど次の言葉は私を傷つけました。「ところで進ちゃん、どこのガンぞな」と言われたから頭にきて、「ええ近眼(キンガン)です」と答えてしまいました。しかし本人を前にこの言葉はいただけない。私のように少々ではへこたれない性格だからよいのですが、気の弱い人なら気にして飯も喉に通らなくなるかも知れません。

 私の家は親父が鼻ガン、叔父が胃ガンなどガン家系なので、ガン検診の問診の度に、「あなたの身近な人でガンになった人はいますか」の質問に何時も暗い気持ちになります。これまでは何とかクリアできたものの検診は「もしや」の気もめが何時も頭を悩ませるのです。

 61歳になると健康は特に気にかかるし、健康を手に入れるための努力も快食・快眠・快便と惜しまずしていますが、ガンという目に見えない病気だけは早期発見・早期治療以外どうすることも出来ないのです。

 姉の旦那も前立腺に異常が見つかり、今月中旬に入院手術が決まりました。姉の落胆も気になるし、義理の兄の一日も早い回復を祈っていますが、孫との同居で先日まで蜂の巣をつついたように賑やかだった姉の家も、少々ふさぎこんでいるように見えます。「健康以外金も名誉もい要らない」とは姉の言葉です。私もそう思って同情します。

 いよいよ人生の曲がり角、今まではやれ仕事だ、やれ地域の活性化だとグローバルなことに何のためらいもなく励んでいましたが、これまで気にならなかったローカルで身近な問題が問題となってきた分、それだけ歳を取ったということかも知れません。

 「アー嫌だ、嫌だ」もっと前向きに生きて行こう。

 「ガンガンと働くうちは人のことわがガン気になる歳を重ねて」

 

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