shin-1さんの日記

○砂に絵を描く

 久しぶりに孫がわが家にやって来ました。昨晩から泊まりに来ていたのですが、私の帰宅が遅かったため孫はもう夢の世界でした。外が明るくなる7時前部屋がストーブで暖かくなったので起こしてやると、色々な話をしてくれました。3日前3歳の誕生日を迎えたのが余程嬉しかったのでしょう。先日までカニチョキチョキと二本の指で「2歳」と言っていましたが、早くも慣れない手つきで「3歳」「お兄ちゃんになったの」と得意顔で指サインをするのです。成長の過程でしょうか何故」「どうして」という質問も日増しに多くなってきました。

 深夜の仕事でお母さんが休眠中なので、孫を公園へ連れて行きました。今ではじゃこ天のおばちゃんや特産品センターの従業員ともすっかり顔見知りとなって、投げキッスをするサービスぶりで、公園は楽しい場所になっているようです。「おじいちゃん砂浜へ行こう」と私を海岸まで誘いました。丁度砂浜は干潮だったので綺麗な砂浜が一面に広がっていました。孫はそこら辺の波打ち際に打ち上がった棒切れを拾って、砂浜をキャンバスに絵を描くことをせがみました。勿論孫との合作です。飛行機、キリン、デンデンムシ、汽車、蛇などなど辺りかまわず濡れた砂キャンバスに絵を描きました。「じいちゃんじょうず」と褒めながら、孫も訳の分からぬ絵を描いているようでした。「これ何の絵」「これはカバ」「フウーン」。そういいながら書きましたが、子どもの想像は面白いと思いつつ約1時間遊びました。

 たこ焼きを買って食べ、「ほっぺたが落ちそう」などと大人顔負けの言葉を言い、小腹が太ったのでしょうか、「トイレへ行きたい」というので急いで連れて行きました。そうですもうオシッコもウンチもしっかりと自分で言えるようになりました。子どもは雨後のタケノコに似て日増しに成長します。私などはもう成長の限界に達し、登りきってもいないのに下り坂の心境です。それでも孫に負けないように少しだけでも成長をしたいと只今頑張っているところです。

 わが家に帰っておもちゃ箱からスコップと貝堀り道具を見つけ、「おじいちゃん砂浜へ行こう」とまたねだるのです。「海は寒い風がピューピュー吹いて風邪ひくからダメ」と、動かぬ身体は嘘をついてしまいました。ごめんなさい。

 「孫誘う濡れた砂浜キャンバスに色々絵を描くやがて波間に」

 「お姉さんそう言うたならいい物をあげると中年孫に強要」

 「何時の間にウンチオシッコ言い出したジジ馬鹿この子ひょっとしたら」

 「コマーシャル何処で覚えた孫言葉よーく考えようお金は大事・・・・」

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shin-1さんの日記

○みかんが安い

 昔わが家でみかんを作っていた頃は、収穫の季節を迎えると憂鬱な感じがしていました。当時わが家のみかん畑は車が入らず、重いみかんをそりに積んで道まで出していました。体力に物を言わせて20キロのキャリーを16箱も積んで引っ張ったことを思い出します。日曜や半ドンの土曜日になると母と一緒に山へ登って汗をかいたものでした。

 みかんを作らなくなってもう10年以上になります。今では近所の農家からおすそ分けのみかんが届き、美味しいところだけ味わい申し訳なく思っています。

 しかし今年は天気に恵まれ美味しいはずのみかんがどうしたことか安いようで、値崩れを立て直すため出荷調整するとのニュースが流れていました。出荷調整されたみかんは加工用に回され缶詰や真面目な愛媛のポンジュースに生まれ変わるのですが、加工用は値段が安く豊作貧乏とはこのことです。油や諸経費が上がるのに、成果物は下がるのではやりきれない思いでしょう。お百姓さんからは「もう百姓じゃあ飯が喰えん」という悲鳴が聞こえてきます。

 みかんはその土地の条件によって味が違いますが、先日友人から貰ったみかんはどれを食べてもほっぺたが落ちそうなくらい甘いものでした。丁度長野県から議員さんが視察に訪れていたので差し上げたところ、その議員さんも「こんなみかん食べたことない」と喜んでいただきました。こんな美味しいみかんが安いなんて信じ難い気がします。ビタミンCと持てはやされ、コタツに入って手が黄色くなるまで食べたのは、もう昔話となってしまいました。でもみかんはやっぱり食べ易い果物で美味しいです。今年も農家から分けてもらったみかんがわが家から、50箱くらいは国内のあちこちへ宅配便で届けられます。農家自慢のみかんをどうかご賞味ください。

 「このみかんひとつひとつを手で千切り手間暇かけてドッコイショ」

 「歌ったよみかんの花が咲いている思い出の道草に埋もれて」

 「聞きました双子みかんを食べたなら双子出来るとあれは迷信」

 「モズ突付くみかんは必ず上手いやつ鳥はどうして知っているやら」

 

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shin-1さんの日記

○わが町の風土と景観

 「風土100年景観1000年」という言葉があるように、風土や景観は長い長い年月をかけて形成されます。しかし1年一昔といわれる現代では風土も景観も100年、1000年といった長い年月どころか数年間で変わってしまう恐れがあるようです。風土はその地方の気候や地質・地形などの総合的な状態をいい、景観は景色、特に良い眺めと辞書には記されています。北国でさえ雪が積らなくなった温暖化や、私たちの町の漁師さんが見たこともないような魚が獲れると不思議がる異変も、まさに風土に何らかの変化が生じたからに他なりません。一年足らずで一山の緑が伐採されて裸山になったり、ブルドーザーが削り埋めて作ったニュータウンなど、地質・地形を無視した結果の災害は、まさに人間の身勝手が生んだ人災としか言いようがありません。変わらないといわれていた風土はこのように、日々刻々と人間の手によって変化しつつあるのです。そうした姿は当然景観にも現れ、遠望する瀬戸内海の島々にはまるでネズミがかじったような痛々しい土砂採取の跡が、無残な姿をさらしています。

 私が私の町の景観を意識するようになったのはそんなに昔のことではありません。20年ほど前夕日でまちづくりを始めた頃からでした。町が汚いことに気付いて花を植えたり掃除をしたり、蛍やメダカに熱中しソフトの部分で努力をしてきましたが、経済優先を旗印にハードな投資も随分考え公園などの人為的な施設を整備してきました。「何でそこまで」と良識ある人からは疑問の言葉をいただきました。確かにこの町は20年前と比べ見違えるように変身を遂げましたが、止むに止まれぬことだったとはいえ、昔の景観を無視したこうしたやり方に役場を退職した今、少なからず心を痛めています。

 まるで空襲警報だと悪評を外部の人から指摘されたサイレンの音は、穏やかな音楽サイレンに変わり、音景観は見えないものの見違えるようになりました。海岸国道の白く味気ないガードレールは16キロの殆どが、「自慢の美しい海が見えない」と難癖をつけてガードパイプに変えてもらいました。国道のあちこちに句碑を建てたり、松並木を造り修景にも気を配りました。またシーサイド公園の味気ないコンクリートの突堤は表面を石張りに変えました。これら全ては私の景観に対する意識の変化といえるでしょう。

 昨日全国街道交流会議が松山であり、私は分科会でこのことをパネラーとして発表しました。多分その分科会に集まった人の中には私の意見を確かめたくて、今日やって来るに違いありません。400メートルの一直線に造った人工砂浜が10年余りの時を経て、ものの見事にS字化している自然の力を私は驚きの目をもって見ています。私にしか見えない景観かも知れませんが、もっともっと景観という視点に磨きをかけて行きたいと思うこのごろです。

 「一の字がS字になつた砂浜を歩きしみじみ自然は凄い」

 「同じ海ガードレールの色だけで違って見える不思議発見」

 「わざわざと遠い町から夕日見に心染め去る仲間数人」

 「ハーモニカ小さいけれど束の間の音の風景心和ませ」

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