shin-1さんの日記

○運のいい人と悪い人

 今年は冬の訪れが例年より遅く、わが家から見える本尊山の紅葉はまさに今が見ごろです。ハゼの赤に加え今になってクヌギの黄色が目立つようになり借景は見事な一服の絵のようです。もう3日で師走だというのに何か季節感が変わって、便りに書く季節の話題も一瞬考えてしまうことがあります。そういえば田植えは6月なのに今は5月の皐月と一緒ですし、西日本では師走と紅葉が一緒とは、松尾芭蕉や正岡子規が生きていたらどう俳句を詠むのでしょうか。

 今日鳥取の仲間が旅のついでに双海町の夕日を見に立ち寄りました。彼が双海町を訪れるのはもう3~4回目なのですが、未だ自慢するような夕日に巡り会っていません。故に夜来の雷雨から予知して今日も半分諦めてやって来ましたが、案の定夕方西の空が真っ黒になって見ることは適いませんでした。

 「折角来たのに残念です。でも又来る楽しみが出来たと思えばいいじゃあないですか」と、持ち前のジョークで反対に返されてしまい、かえってこちらが恐縮してしまいました。

 さしずめ彼は運の悪い人でしょうね。昨日みたいに運のよい人は素敵な夕日を見て帰るのですから、運が悪いとしか言いようがありません。かくいう私も宍道湖に落ちる小泉八雲の愛した美しい夕日は、何度訪ねてもまだ見れないのですからお互い様でしょうか。しかし私の場合は「日本一の夕日を見に宍道湖に行きました。しかし全然綺麗ではありませんでした。雨の日でしたから。双海の方が勝ったと思いました」なんて人を笑わせる知恵を身に付けています。

 ともあれ彼は仲間と後ろ髪を引かれる思いで暗闇の中を去って行きました。でもこれで人生が決まるわけではありませんからご心配なく。またお越しください。

  「宝くじ当れば運のいい人と誰もが言うが買わぬ当らず」

  「わが人生運が良いのか悪いのか分からぬままにやがて幕引き」

  「うどん食べいつも親父が言っていた運鈍根ありゃ必ず成功」

  「人生は食うて糞して寝て起きてこれ一休の教えと知りつつ」

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shin-1さんの日記

○えっ、「愛媛県若松進一」だけでハガキ届くの

 昨日私の元に一通のハガキが届きました。埼玉に住む知り人なのですが、裏の本文を読んでから表書きを見て驚きました。何と「愛媛県若松進一様」だけで正式な「愛媛県伊予市双海町上灘甲5391-2」などどこにも書いていないのです。「おっ、わしも有名人になったものじゃわい。愛媛県若松進一で来るんだから」と喜ぶのは早すぎます。今は郵便番号がはっきり書かれているとその住所まではすんなり届くのです。しかし私へのハガキには〒799-33と下2ケタさえ書いていないのですから、多分33の下灘郵便局へ送られ番号違いの烙印を押されて32まで転送されたのだろうと思いきや、そうした形跡はまったくありませんでした。役場に勤めていた頃ならいざ知らず、役場も辞めて一介の自由人になっているのに不思議でなりませんでした。まあこれが田舎のいいところと解釈し、嬉しいハガキに感謝しました。

 ハガキの効能を自他共に認め、はがきの実践を各地で吹聴している私には、何ともあやふやな宛名ではがきが時々届きます。特に高齢者大学などに行った後はそうしたうろ覚えの住所や名前で沢山の便りが届きます。まず住所ですが、双海町はよく二見町や双美町と間違われます。特に多いのはご存知三重県二見町に間違われることが多いようです。三重県二見町は夫婦岩に昇る朝日で有名ですが、ご当地愛媛県双海町は夕日の町なのです。

 氏名は若松を「若林」「岩松」「赤松」などと書く人がいます。「あなたは演題の横に書いた私の名前を覚えてないのか」といってやりたいものが数多くあります。でもイメージ的にはあっているのですから良しとしなければなりません。郵便番号にいたっては書いてなかったり様々、まさに私へのハガキは郵便局員泣かせといわざるを得ません。

 でもハガキ一枚でも感謝の気持ちを書きたいと思う心は涙が出るほど嬉しいものです。ハガキを貰うと返事を書かなければならない苦痛もありますが、それこそ無上の喜びとするところにハガキの醍醐味があるのです。これからも一生懸命ハガキに挑戦します。

  「近頃は切手無くなるスピードが早いと妻の独り言聞く」

  「ハガキ書く人がいるからハガキ来るたった五十円これまた楽し」

  「赤松と間違い書かれたハガキ来るその人の顔想像しつつも」

  「辞めてみてはじめて分かる音信の嬉しき手書き今日も受け取る」

 

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shin-1さんの日記

○雲海を見に行く

 日本の各地には自慢できる様々な自然現象があります。私の町の夕日がそうであるように、隣の長浜町(現大洲市)ではこの頃(晩秋)「あらせ」と呼ぶ朝もやが出て市街地を濃い霧で包みます。また同じ大洲市柳沢ですが寒くなった晩秋から初冬にかけて雲海が発生します。いずれもそこに住む人にとっては厄介者とされてきましたが、見方を変えれば「ひょっとして、これも観光資源になるのでは」と思うのは無理からぬ発想といえるでしょう。だって隣の双海町では何処にでもある夕日でさえ地域資源として生かして、成果を上げているのですから・・・・・・。

 そこで彼らはこれら霧のデーター集めを始めました。去年は、一昨年はと遡って調べてみると、最もよく見える時期が段々特定されて行ったのです。そこで考えたのが初発生の日を当てるクイズです。賞金を用意すれば誰もが関心を持ってくれるだろうと新聞に広告を出しました。まあこのアイディアもそれなりの効果を上げたようです。

 次はいよいよその現象が見える場所の特定と場所の整備です。長浜町では一望できる山の上に行政が嵐公園を整備し、柳沢でも展望台を作りました。結果は?と聞かれるのですが、皆さんはどう思うでしょう。

 このあらせと雲海には大きな欠点が二つありました。一つは特定されたこの場所が道が狭く不便で中々一般の人には馴染めないという事実と、日本人特に車に乗って見に来るであろう若い人の生活リズムが、朝型から夜型になっているという点でした。長浜町も柳沢も残念ながら地元の期待以上の成果を上げることは出来なかったし、今もそのことが重荷になっています。特に長浜町は折角投資した嵐公園に人が来ず、厳しい批判を受けました。しかし雲海展望所は少し違った経緯を辿っているようです。

 雲海展望所を造ろうと考えた「木・林・森夢倶楽部」(ひふみ会ともいう)の皆さんは、その展望所を無謀にも自分たちの力で造ろうと思い立ちました。様々な情報を集め宝くじ助成金や地元の寄付金、自己負担金を捻出しながら、勤労奉仕を続け見事に完成させました。

 昨晩「前夜祭をやるからぜひ参加を」という連絡を受け眠い目をこすりながら出掛けて行きました。聞いてはいたけどここまでやれるかと思わせる立派な施設が整備されていました。雲海展望所名物のイノシシ鍋も準備着々でした。酒を酌み交わすこの指止まれの仲間集団を見て、これぞ地域づくりだと思いました。彼らにとって雲海が出る出ないは二の次、自然の贈り物だから仕方がないと自然の力に畏敬の念を抱いていました。要は雲海を通して地域が元気になったのです。

 会長の平谷さんは私のフロンティア塾の塾生として足繁く塾に通い、交流によって多くのことを学びながら自分のスキルを高めてきました。私は平谷さんのような自立する人間を育てるために塾を開いたのですから、これ以上の喜びはありません。平谷さんにフロンティア塾の優等賞を贈りたいと思うのです。

 風呂も造りたい、花も植えたいと夢を語る平谷さんたち夢倶楽部の人たちに心を暖められ、雲海を見ることもなく未明の山道を一人帰りました。雲海が見れるといいね。

  「雲海を肴に雲海(焼酎)飲む仲間造りし館明かり煌々」

  「狸猫猪までも道案内深夜の山道向こうに灯かりが」

  「想いとは凄いものですこの館みんなの力で花に実がなり」

  「結局は気兼ねせずとも飲める場所造りたかっただけじゃないのか」

 

 

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