shin-1さんの日記

○妻が風邪でダウン

 埼玉から二日ぶりに帰ってみると、妻は仕事に出掛けていました。娘の夜勤の都合で孫が我が家に来ていましたが、次男と久しぶりに帰省していた三男が孫の面倒を見てくれていました。

 妻が職場から昼過ぎになっても帰らないのでおかしいと思いつつ、青少年の合宿研修に顔を出し、帰ってみると妻は床に伏せっていました。病院で点滴を受けていたのだそうです。

 夕方になっても妻は起き上がることが出来ず、私は右往左往しました。幸い自炊経験のある三男がテキパキと食事の準備をしてくれました。私は大きな声ではいえませんがお湯を沸かしただけです。

 私は自慢ではありませんが、家事は家でまったくやったことがないのです。無人島キャンプなどの野外活動も、もっぱら食事の得意な仲間におんぶにだっこで、会の運営などに携わっていました。「お父さん私が病気になったらどうするの」といつも妻から小言を言われてきましたが、こんなに早く病気になろうとは夢にも思いませんでした。妻の枕元に行って、何をどうするのかいちいち聞きながら、結局はお湯を沸かすしか芸のない私は、つくづく自分のふがいなさが身にしみました。「病気になったらその時はその時」と鷹を食っていましたが、この際自立できるような自分になりたいと思いました。

 三男はご飯をちゃんと炊いて、仏様と神様棚にご飯を供える習慣までちゃんとやってくれるのですから、驚きでした。神様・仏様に妻の風邪が早く治りますようにお祈りしましたが、それは自分の食事を作ってくれる妻がいないと困るからといった、安易な考えの祈りであったことも、少しだけ反省しております。はい。

 それにしても三男の作った鍋物は美味しかったです。「鍋でもするかい」と思いつき、三男は急遽畑へ大根を抜きに走り、下ろし大根までする徹底ぶり、空いた口が塞がりませんでした。三男と久しぶりに向かい合って二人だけの食事をしました。いつもガミガミいう山ノ神(妻)は別室で寝ているのですが、台所はまるで火が消えたような静けさでした。いるものがいないだけでこんなにも暮らしの雰囲気が変わるものなのかと、改めて妻の偉大さに感心しました。

 嘔吐下痢症の妻は食事を枕元に運んでも食べることも出来ません。三男はポカリスエットを枕元に運んで母の病気を気遣っています。

 明日、私は早立ちで広島へ行かなければなりません。妻の病気は、明日が休みの次男にまかさなければなりません。寒くなった旅支度にとパッチ(ズボン下)を穿いて行くよう寝床から心配してくれています。有難う。母さん。

 「床伏せし妻に感謝の言葉かけ旅に出る朝後ろ髪引く」

 「黙々と鍋をつついて晩飯を息子と二人味気なきかな」

 「携帯の声でうつらぬ流行風邪妻は床臥し私ピンピン」

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shin-1さんの日記

○富士山に落ちる夕日に感激

 昨日は埼玉県町村正副議長さんの研修会に招かれ埼玉県へ行きました。講演が終わってから旧友である県公民館連合会坂本事務局長さんに県庁の屋上へ案内してもらい、埼玉副都心構想について話を聞きました。何でも世界一のタワー建設構想があるらしく、屋上からの眺めはまさに絶景でした。

 息子さんに送ってもらった武蔵浦和から、埼京線の電車に乗って新宿へ出る途中、4つ目の駅である浮間舟渡あたりで綺麗な夕日が富士山に落ちるのを見ました。感激して思わず駅のプラットホームへ降りて沈み行く大きな夕日を感慨深げに眺めていましたら、気がついてみるとお土産にいただいた埼玉茶を電車に置き忘れてしまい、がっくりしました。土産よりいい土産ができたと思えば気も済むのですが、貰った相手に悪い気持ちでいっぱいです。

 それにしても、都会に人は窓越しから、あるいは駅のプラットホームからあのような綺麗な夕日が見えているにも関わらず、無表情で携帯電話や雑誌に目をやりながら通り過ぎて行くのです。隣の席の人に「夕日が綺麗ですね」といっても「あはっー」と言うだけで何の関心も示してくれませんでした。昨日は天気がよく埼玉県からでも日本一の富士山見え、美しい夕日とのコラボレーションはまさに絵になる光景でした。写真に収めることができなかったのは返す返すも残念でなりません。

 綺麗な夕日を見て感激する私はおかしいのでしょうか。私と同じような綺麗な夕日を見ても無表情、無感動な都会の人が正常なのでしょうか。私には残念ながら分かりません。でも私の方が正常だと言い聞かせて、一便遅れの電車に乗り込み新宿駅で忘れ物の係を訪れましたが、まだ届いてないと冷たい返事でした。

 でも都会も捨てたものじゃあありません。バスに乗り込むため新宿西口のバスセンターへ行き、バスを待っていると、私の顔をジロジロ見る中年の女性がいます。そして「若松さんじゃありませんか?」と唐突に聞くのです。「そうですが何か」と聞くと「私はあなたの話を東京で聞いた長野県に住んでいる者です」と言うのです。先を急いでいるらしく「お元気で」の捨て台詞、中年の美人女性だっただけに、対応が出来なかったことが悔やまれてなりません。見ず知らずの東京で声をかけていただいたあの人は、果たして何処に住んでいるやらと思い巡らすのもまた旅のよき思い出でしょう。

 「東京を泊まりもせずにバスの中二泊三日の旅ぞ楽しき」

 「若松さん唐突言われ驚くが見返り美人闇に消え行く」

 「わあ綺麗富士と夕日のドッキング思わず降りた駅の人ごみ」

 「忘れ物人のことかと思いしに自分忘れるああわしゃぼけた」

 最高の生き方は田舎に住んで美味い空気、美味しい水、美味しい食べ物をいただいて、たまに都会へ遊びに行くことだと思っています。私は最高の生き方をしています。

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shin-1さんの日記

○笑売啖呵

 「笑売啖呵」。はい、この言葉は私が作った造語で「しょうばいたんか」と呼びます。まあ俳句をワサビの効いた川柳にしたようなイメージと考えてください。笑売は商売とかけ笑いを売ります。啖呵は短歌とかけて5・7・5・7・7の世界です。昔私の知人に俳句つくりの面白い人がいました。ヒッチハイクとかけてヒッチ俳句なるものを考えた人です。彼の名作に「風邪ひいて肱川の水でうがいかな」というのですが、ご存知肱川は愛媛県大洲を流れる川です。夏になると鵜飼が行われます。鵜飼と喉をうがいすることを掛け合わせています。私の編み出した(偉そうに)笑売啖呵も究極はその辺まで高めたい思いを持っています。

 私の秀作をひとつご紹介しましょう。「5・7・5・7・7」あっ失礼、これは作った後で妻の人権を侵害していると、妻から公表を控える様に釘を刺されていますので、今回は創造の世界でご勘弁を願います。

 ブログを書くに当って文章の巻末にちょっとした笑売啖呵を載せています。本文よりこの方が面白いという人もいて、多少がっくりやら、ニコニコやらの心境です。

 高杉晋作は「おもしろきこともなき世をおもしろくすみなすものはこころなりけり」と時世の句を残しています。考えれば今の社会は面白くないことがあまりにも多いように思えます。でもそんな社会だからこそ面白く生きていく意味があるのです。「すみなすものはこころなりけり」ですから、せめて気持ちだけでも笑いを絶やさないように生きたいものです。

 寅さんシーリーズで双海町は下灘駅が舞台となりました。当時私は町の広報マンをしていてその場面を取材する幸運に恵まれました。山田洋次監督に頼んで寅さんの写真を撮らせてもらいましたが、寅さんに「写真を撮らせて下さい」と頼んだら、「やあ」といってプラットホームを歩いてくれました。ベンチに寝そべった寅さんと歩く姿しか撮らなかったのですが、いい思い出です。寅さんは行く先々で啖呵倍なる名調子のセリフを残しています。「ものの始まりが一ならば大和の国は富士の山・・・・」などと面白セリフがいっぱいでした。私の啖呵はそんな浅はかな場所が出典です。これからも折に触れ笑売啖呵を作りますのでご相伴下さい。

 「愛・恋と色々あるが文字を見りゃ愛は真ん中恋下心」

 「昨晩も夫婦二人で風呂に入り思わず笑う妻の湯溢れ」

 「長生きをしてもつまらぬ言う親父今朝も飲んでる栄養剤を」

 「鶏肉を今日は食べない親父さん鳥インフルの話題テレビで」

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shin-1さんの日記

○仮想社会人間との対話

 役所の仕事を辞め、自宅の書斎机にパソコンを置き、インターネットを始めて7ヶ月が経ちました。おっかなびっくり、時には息子の助けを求めながら独学で始めたのですが、息子の「お父さんパソコンは触って失敗しないと覚えない」という言葉に励まされ、まだまだ未熟ですがメールのやり取りとブログ発信までこぎつけました。私のようにセミ・リタイアした人間にとってインターネットは、仕事の打ち合わせとでもいうべき営業活動にも利用するので、今や必需品となりました。最初は「Eメールで資料を送ります。アドレスを教えてください」と電話で言われ、FAXや住所と間違ったり、今考えると笑い話のようなハプニングを経験しました。

 しかしふと気がつくと、私とメールをやり取りする人の顔を、知っている人が少ないことに気づくのです。ましてや画面で見る電子文字でのやり取りですから、電話のような声さえも聞けず、まさに仮想社会の人間と言わざるを得ません。「この人はどんな顔をしているのだろう」などと思い巡らせるのも楽しい反面、顔の見えない怖さも感じるのです。顔が見える安心感と顔の見えない恐怖感を比べて、心に自制心を働かせる間は良いのですが、人間は何故か人が見ていないと、とんでもないことをやらかします。陰徳を積まない愚か者にインターネットという道具を持たせることは、百害あって一利なしかも知れないと思ったりもします。

 しかし世の中は変わりました。重さも大きさもないこれらの電子情報が金になり、情報産業で巨万の富を築いた人たちが、その富を武器に「金で解決できないものはない」といって、政界、経済界、スポーツ界まで進出し、社会のルールを無視して暴れまくっているのです。勿論閉鎖社会の弊害を打破する大きな力になっていることは誰しも認めるのですが、毎日の報道を見ていると少しやり過ぎの感は否めません。

 顔の見えない人からメールで講師依頼があります。日程の空きを確認し受諾すると「あなたのプロフィールを送ってください」といわれるままに添付します。やがて講演に行く二ヶ月余りの空白期間に何度かメールが届き演題、用意するもの、レジメ原稿、交通アクセスなどを打ち合わせますが、心温まる人は私の人間性にふれようと、楽しいメールを届けてくれます。バーチャル世界は自分の都合のよい人物像を描きますから、現地へ行ってその落差に落胆するのはお互い様かも知れません。

 仮想人間は私につかの間のワクワク・ドキドキ・ハラハラという夢を見させてくれます。昔火星に生き物がいるかも知れないことを漫画で読みました。空想しました。火星社会ならぬ仮想社会の、火星人ならぬ仮想人を今私は空想しながらキーボードを叩いています。

 「このメール読む人小百合に似てる人思い巡らせ風の便りを」

 「あっしもた恋という字が変になり変換ミスで興ざめの恋」

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shin-1さんの日記

○女性の起業家

 一昨日NHKのテレビに出ました。皆さんによく言われるのですが、「あなたはラジオ向きの顔をして何でテレビによく出るのか」と(笑)。そんな人には「ほっといてくれ」(笑)と無視します。この番組は私のレギュラー番組みたいなもので、話題が欲しいときに電話がかかり、その都度ディレクターと相談して内容を決めますが、前回は「定年後の生活設計」、今回のテーマは「女性の起業家」でした。

 「きぎょう」には「起」(おこす)と「企」(くわだてる)の2種類がありますが、今回は起こすで考えました。つい最近の職場への女性進出は目覚しく、子育てを終えたり家事専念だけのストレスから解消されたい一心で起業する人が増えています。その中には成功を収めている人もいれば、借金を作って会社や家庭を破綻に追い込んだ哀れな人もいます。女性が起業するには男性中心といわれる社会では中々厳しいものがありますが、女性だからと考えないで、むしろ女性の感性を生かせば新しいビジネスチャンスはいっぱいあると思われます。

 起業しるためには一人でやるか複数の人と共同でやる場合があります。双海町の漁協女性部の皆さんが10数年前に起業したじゃこ天の店は集団でしたが、リーダーの上手い誘導もあって年商55百万円の企業に育ちました。私の妹が脱サラして始めた海産物専門店「くじら」は、個人経営の起業です。こちらも何とか目標だった5年を超え、設立当時の借金を返済したようです。

 人間には「幸せになりたい」「お金持ちになりたい」「成功したい」という3つの願望があります。起業はこうした願望の現われですが、起業するためには「強い意志力」がまず必要です。次に「何をどうするか」といった基本コンセプトの設定や資金計画が要ります。いきなり高い望みを持っても自分のスキルとのギャップで上手くいきません。自分サイズの夢とソロバンをしっかり考えます。さらに「考えを形にする行動力」も欠かせません。オーナーであると同時に最前線でお客さんに対応もしなければなりません。勿論情報を発信して集客がないとこれまた繁盛しませんから、考えたら大変な仕事量だと思います。でも案ずるよりうぬが安しで何とかなるものです。ショートアドバイスとして「成功者と失敗者の論理」を述べさせてもらいました。

 テレビの反響は大きいです。昼前の30分の番組ですが、中々どうして、多くの視聴者から「今日テレビに出とった」から、「私も起業家になりたい。アドバイスを」をまで、様々な反応がありました。嬉しいことです。

 「私にも夢があるのよ教えてよ社長になりたいそりゃダメだ」

 「人は皆たった一度の人生だやる気になれば何でも出来る」

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shin-1さんの日記

○1+1+1=9

 この足し算の意味が分かる人いますか?。小学校で習う算数の本当の答えは1+1+1=3であることは誰でも知っているのですが、何とこれは橋の実験で使う構造計算なのです。そういわれてもまだ私たち凡人にこの計算式は飲み込めないのです。

 川を挟んで一本の板を橋に架けます。例えばその橋板は60キロの人が通れる強度だと思ってください。次にその橋の上にもう一枚同じような板を重ねるとその橋の上は60キロの人が3人乗れるような強度に3倍加し、同じような板をもう一枚加えると60キロの人が9人乗ってもその重量に耐えれるというのです。本当かな?と思う人は確かめたら面白いと思うのですが、こんな計算があるなんて知りませんでした。

 同じような計算は幾らでもあります。例えば先日人間牧場で古い瓦を水平線の家の敷地に犬走りとして埋める作業をしましたが、隣のおじさんが手助け手伝いをしてくれた時の仕事量は1+1=2ではなく1+1=3の仕事量となりました。つまり普通1人だと3時間かかる仕事が3、分の1の僅か1時間で出来たのです。理系でない私にこれ以上の説明は不可能ですが、世の中には不思議なプラスアルファー効果があるのではないかと思えることがいっぱいあるようです。

 私たち夫婦には4人の子どもがいます。1人の子どもを生み育てて教育をし、世の中に送り出すためには1千万円を超える費用が要るのだそうですが、じゃあ1人1千万円とした場合、わが家では1×1千万円=4千万円という計算になります。近所に子どもに恵まれない夫婦がいます。不妊治療の甲斐もなく子どもはいません。その夫婦はお金が私の家より4千万円残ったかと聞くと、そんな金はないと言うのです。私の家でも仮に子どもの数が半分の2人だったとしても2千万円は残らなかったでしょう。

 人間は知恵の動物です。妻の子育てややりくりを見て、改めて知恵で物事をプラスアルファーに変える力の大きさに驚くのです。

 私だって人間牧場の建築のための費用はこの10年間、妻に内緒でコツコツ貯めてきました。夫婦間の秘密がないことが夫婦円満のコツといわれますが、私は秘密にしました。でも私たち夫婦は円満で人間牧場の水平線の家もプラスアルファーとして出来たのです。

 「算数の1+1は2だけれど私の計算5にも6にも」

 「コツコツと1+1を繰り返すそのうち大きな夢家叶って」

 

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shin-1さんの日記

○人間牧場の畑を耕す

 今日は一日中、忙中閑ありのお休みです。久しぶりに「人間牧場」へ出掛けました。空は澄み渡りどこまでもどこまでも青い空と海が眩しいくらいに見えました。今日は少し風があったので遠くは九州や山口県、広島県の島々がくっきりと浮かんで見えました。

 今日の作業はチエンソーで切り倒している木を小切りにして冬のストーブ用に薪を作りました。しかし後で気がついたのですが、残念かなマサカリを持って行くのを忘れてしまってがっかりです。それでも随分周辺が片付きました。

 次に畑を耕すことにチャレンジしました。地中深くへ鍬を打ち込み根や雑草を取るのですが、これが結構きつい仕事です。鍬は斜面の上から下に向かって振り下ろし、その鍬で土を上へ上げて行くのですが、地中にはカズラの根や烏瓜の芋が無数にあって中々仕事がはかどりませんでした。それでも要領を得ると早いもので、この分だと夕方までには小さいながら畑一枚は開墾できると思っていました。ところが3時になって突然携帯電話がかかり、愛知県から2名のお客様が見えているというのです。しまった朝妻に「今日は愛知県からお客様が来るから」と言っていたにもかかわらず、時間が来たのも忘れて熱中して忘れていたのです。慌ててシーサイド公園へ車を走らせ2月の講演打ち合わせと相成りました。

 我が家へ案内し「今日は天気も良いし人間牧場へでも・・・」と誘ったところ二人は人間牧場行きを希望されたので、狭い道を上がって行きました。

 今日のロケーションはすこぶる満足いくものだっただけに、お二人とも満足されたようですが、途中の道の狭さに身体がこわばっていました。

 さて開墾した畑に何を植えるか只今思案中です。カラスとイノシシ被害を覚悟しなければならないので、何でもという訳には行きませんが、春先まで石灰でも蒔いて畑を寝かせ、ジャガイモを植えてみようかとも思っています。本当は来年この赤土でサツマイモを植えれば美味しいのですが、イノシシ除けの防護策は人間牧場には似つかわしくありません。

 エンドウやソラマメはどうでしょうかねえ。

 「どっこいしょ大きな声で掘り起こす出るはミミズと夢のまた夢」

 「赤土の中からい出し手拭にトメ子母の名懐かしきけり」

 「母ちゃんが掘ったであろう赤土の畑に鍬の涙溢れて」

 

 

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shin-1さんの日記

○昔の九州場所は寒かった

 一年収めの九州場所が一昨日開幕しました。どちらかというと野球より相撲が好きな純日本人的私としては、これから2週間は楽しみです。それにしても相撲がテレビ画面に映る度に不人気を地でいく客の不入り姿が気になって仕方がありません。昔は満員御礼の垂れ幕など当たり前でした。子どもの頃散髪屋さんの入り口にはテレビ観戦のお客が黒山の人だかりをつくって、栃錦や若乃花を応援していた懐かしい姿が思い出されます。

 相撲も変わったと思うのは外国人と学生出身力士が増えたことです。高見山以来日本の相撲は外国人の入門を受け入れてきました。しかし足腰の強い日本人力士は、体重と馬力こそあるものの足腰が弱い外国人力士は、常に小が大を倒す引き立て役の道具でしかありませんでした。舞の海と小錦の一戦などはその典型で、国民全てが舞の海の投げに拍手を送ったものです。しかし今は足腰も日本人より強いモンゴル相撲で鍛えた鋼のようなモンゴル勢が多数を占め、しかも彼らは日本人より経済的に恵まれないハングリーを持っているのですから、モヤシみたいな現代日本人力士は逆にモンゴル勢を引き立てる道具に成り下がっているのです。

 横綱の次に強いはずの大関は8度目のかど番などと報道されても、大関の特権である2場所連続負け越しをしないと下に落ちないことを武器に、相変わらずゴロゴロと土俵に転がされいるのです。学生出身は幕下付け出しという特権を与えられているから、土俵上より土俵外でのスキャンダルや話題で相撲を取らずに人気を得ようとしているようにも見えます。結局日本の国技といいながら時代の流れ敏感に取り込み、不易なものまで流行に流された先読みの甘さが、今の相撲人気に反映されているのだと思います。貴花田・若花田の土俵外での兄弟確執は相撲界に暗い影を落としました。相撲びいきな私としては一日も早い相撲界の健全な姿を見たいものです。

 それにしても、最近の九州場所は暖かいです。昨日は扇子で扇ぎながら相撲を見てる人がテレビに映っていましたし、暖冬で秋物が売れず小売業の売り上げが前年比マイナスと報道されていました。また四国88箇所決願の寺として知られる大窪寺の紅葉や楓が、今見ごろととも報道されていました。確かに暖冬を肌で感じます。昔は木枯らしが吹く寒い中で裸相撲は大変寒かろうと、いたわりの気持ちで相撲を見ていました。懐も心も寒いのに外気だけは暖かい皮肉な結果も、せめて外気が暖かいのが救いと思った方が良いのかもしれませんね。

 「北は雪南は菜の花ハッケヨイどちらに軍配綱を引きつつ」

 「チョンマゲに裸で相撲奇妙なり見馴れりゃ普通でもでも奇妙」

 「外国の人にあやかる大相撲足腰財布勝てぬはずだよ」

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shin-1さんの日記

○ガン病棟

 健康診断でひっかかり、軽い気持ちで検査入院したところ、前立腺にガンが見つかり手術することになった義兄の手術を見守るため、今日は午後1時から県病院の個室で、兄弟や親族が半日の長きにわたって待機しました。今は昔のようにガンを患者に隠し通す時代ではないから、本人も自覚して望んだ手術だったのですが、手術室へ送られる義兄の顔はさすがに神妙で、血の気が引いていました。しかしもっと血の気が引いていたのは姉で、さすがにショックを隠せないようで、このところ近所のお地蔵さんにお参りを欠かしませんでした。

 「遅くとも5時くらいには終わるでしょう」と主治医から言われていた手術も、延々6時頃までかかり、終わったと看護婦さんが告げに来たのは6時半を回っていました。執刀した先生から手術後の説明があるというので説明室に出掛けましたが、主治医は手袋にいっぱい血をつけ、今手術が終わったと言わんばかりにトレーに血肉の塊を入れ、ピンセットで開けながら「これがガンです」と単刀直入に言うので、驚いた姉は「先生手術は成功したのでしょうか」と聞き返す慌てぶりでした。広島から帰郷した義兄の息子は、「先生ガンは遺伝するのでしょうか」と自分の将来への不安まで質問していました。容態も安定、転移もしてない、ガンは全て取った、経過がよければ明日の朝集中治療室から病棟へ移す、あと1時間で目が覚める、など矢継ぎ早の質問に丁寧に答えてもらい、病室へ上がりました。

 6階はそんな人が多く入院しているのが素人の私にも分かるほどで、胃ガンだの直腸ガンだのと患者さんのひそひそ話しがよく聞こえていました。兄弟や親族は手術が終わると三々五々引き上げていきましたが、私は不安にかられている姉をいたわるように、姉娘と3人で麻酔から目が覚めるまで病院に留まることにしましたが、以外や30分ほどすると看護婦さんが、集中治療室へ来るよう連絡にやってきました。夢から覚めた兄はいたって元気で、何があったのと言わんばかりのにキョトンとしていました。

 100歳の父親と三つ違いの弟を最近冥土へ送った義兄はにとって、自分のガン発見は相当ショックだったようで、好きなお酒も好きなゴルフも断ち、沈んだ姿は痛々しいほどでしたが、これでやっと平穏な日々の暮らしに戻れそうです。

 同居のマスオさん夫婦の2人の孫が、手紙を書いて励ましてくれたのが余程嬉しかったのでしょう、お守りの代わりに枕元にしっかりと置かれていたのが印象的でした。

 ガン告知という現代の医学は正直言って情報公開の意味からも、また本人や家族の病気への向き合いという意味からも凄い進歩だと思いました。 多分義兄もこの山坂を登りきってくれるに違いありません。一日も早い全快を祈ります。

 「これがガン開けて見せるお医者さん姉の顔から血の気引く見ゆ」

 「麻酔さめ私はだあれここは何処義兄の顔はうつろなるかな」

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shin-1さんの日記

○禿か白髪かどっちを選ぶ

 「あなたの髪は黒々してますが染めているんですか」とよく聞かれます。「いいえこれ生まれたままですよ」「へーお若いですねえ。羨ましい」なんて会話が弾むのも無理はありません。還暦を過ぎたこの歳になると殆どの人が禿か白髪になるのです。事実私の仲間たちや周りの同じ年代の人は、白髪が進んで染めてみたり、中には頭にアデランスなるものを被せてカモフラージュしている人もかなりいるようです。

 酒宴の席で「禿がよいか白髪がよいか」と訳も分からぬばか話に花が咲きました。最後はいずれも嫌で生まれたままの黒々フサフサがいいというみんなの意見一致を見ましたが、その中の禿た人が神妙な顔つきで若い頃の思い出を話してくれました。彼は若いごろから若禿に悩まされ、「このままでは一生独身で終わるのでは」と結婚話がある度に悩み苦しんだそうです。でも「禿が何よ」といった素敵な奥さんと巡り会い、それからは禿のことなどむしろ笑いのネタにして人生を過ごしてきたと話してくれました。

 彼は驚くなかれ「禿の哲学」なる本に出会い、「禿のことなら任せて」というくらい禿の勉強をしていました。彼の禿論によると両側進行型、前方後退型、後方拡散型など禿にも色々なタイプがあって、電車に乗って周りの人の禿具合を自分と比較しながら観察すると、中々面白いとユーモアを交えて話すのです。禿の悩みを笑いのネタにする彼の生き方に大いに共鳴をしました。

 一方白髪になった仲間は、禿の仲間の笑いに負けじと思い出話を話してくれました。子どもを連れて保育園へ行った時、保母さんから「まあ若いおじいちゃん。お孫さんですか」と言われ相当ショックを受け、その足で美容院に行って白髪を染めたと言うのです。以来最近までずっと染め続け、その「白髪頭への投資額は相当なもんだ」と威張ってみせました。一度は自分で染めて原液の量を間違え、顔や体中に湿疹ができたこともあったと述懐しました。でも今は「シルクヘアー」などと冗談がいえるようになったそうです。

 幸せにも髪の悩みに出会わなかった私たちは、やれ禿だのやれ白髪だのと人の苦しみも知らず笑っていましたが、人には言うにいわれる身体的苦しみがあるのです。近頃私も頭に少しずつ白髪が見え始め、鏡を見るたびに「おー、少し貫禄ができたか」と思うようになりました。自分自身の髪に白髪が増えた妻は「そろそろ栗色に染めようかしら」と言いますが、私は「そのままがいい」と言っています。

 「禿の哲学」か「白髪の哲学」か、どっちの料理ショーではありませんが、どっちも素敵な友達の話でした。

 

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