shin-1さんの日記

○腰の調子がおかしい

 毎朝の日課である隠居で暮らす親父の所へ機嫌伺に行き、サロンパスを腰に張ってあげて帰る時、親父から肥料を3袋納屋へはこんでおくように頼まれました。一輪車を引き出し3つの袋を持ち上げた瞬間、ギクリと腰にきました。「しまった」と思ったのですが時既に遅しでした。ぎっくり腰の兆候です。私は年に3~4回くらいぎっくり腰をやります。長期出張や慣れない労働の後に起こるものですから、最近h忙しさの中でも柔軟体操をしたりして気をつけていたのですが、その時は突如としてやってきました。普通はその場に座り込んで動けなくなるのですが、その度に隣町の整体さんに揉んでもらって1週間ぐらいで完治するのですが、今日は軽い方なので歩けるようです。今日は長浜と高知県奈半利町でそれぞれ大事な仕事が待ち構えています。

 妻に腰の具合が今一だと言うと、「今日は仕事が午前中で終わるので運転手をしてあげる」と嬉しい言葉が返ってきました。高速道路を走って高知県までの旅は少々きついと思っていたので大助かりです。夫婦での出掛けは中々思うに任せず、88箇所の遍路参りも香川と徳島がまだ相当残っています。昨夜は妻が納経帳をチェックしていましたが、香川と徳島はそれぞれ宿泊しないと難しいようです。

 それにしても私の腰痛は突如として前触れもなく起こります。腰が悪いと鏡に映った自分の歩く姿がまるで歳をとったおじいさんのようで藁ってしまいます。腰が悪くなっていつも思うのは腹筋と背筋を鍛えなければという反省ばかりです。そういえばせっかく自由人になったのに身体を鍛えなおすという目標をあっさり忘れていました。歩いたり走ったり、時には労働もしながら気になる部分、つまり腰と内臓に特に気をつけて健康でいたいと、今朝思いました。

 腰を良くする特効薬は腰の周りを強くする以外ないようです。

 私は13キロも痩せたのでズボンがダブダブなので腹帯兼用の腹巻をしています。これが身体にあっているのか姿勢も良くなり随分腰痛になる回数も減りました。しかし今朝のように腹巻をせず、ちょいとということでパジャマのままでの作業だったのでこの災難に遭いかけました。腰痛は忘れた頃にやってくるようです。

 「どっこいしょ持った瞬間ギクリきたヤバイと思うが後のまつりだ」

 「腰広げパテンシップの張り薬笑った自分が腰痛とは」

 「イチ・ニイ・サン・シ・イチ・ニイ・サン」。はいこれ私流腰痛体操の掛け声です。「みなさーん、腰痛は日ごろの心がけが大切ですよ」なーんちゃって・・・・・。洒落にもなりませんね

 

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shin-1さんの日記

○きんつばというお菓子

 昨日シーサイド公園の特産品センターで「きんつば」を買いました。私は子どもの頃から何故かきんつばが好きなんです。辞書できんつばを引いても、適当な言葉が出てきませんし、きんつばを作っている地元菓子製造業のおじさんに聞いても「あんたは物知りじゃきん調べて分かったらわしにも教えてや」と、反対に期待されてしまいました。

 私がきんつばが好きになったのは大した理由はないんです。戦後の物のない、とりわけ甘いものに不足していた頃、何処かで父親がきんつばを貰ってきて、酔った親父は真夜中だというのに寝ていた私たち子ども全員起こし、「いいものを貰ってきたから食え」と言うのです。みんな眠い目をこすりながら「美味しい」と言って食べました。私はあまり美味しいので半分を新聞紙に包んで水屋にしまって寝ました。

 明くる日学校から帰って食べようと思いましたが何処を探しても見つかりませんでした。ちゃっかり屋の弟に食べられてしまっていたのです。食い物の恨みは恐ろしいといいますが、あのきんつばの思い出は今も忘れられません。

 きんつばは甘く味付けした小倉あずきがぎっしりと詰まってあずきを薄い衣で包んでいるだけのシンプルな和菓子ですが、渋いお茶で食べるとこれがまた美味いのです。

 きんつばが誕生したのは江戸時代だそうで、うるち米の粉でつくった皮で小豆餡を包み楕円形にして釜の上で焼いたのが始まりで、真ん中をへこませた姿が刀の鍔に似ていることから銀鍔とよばれていたそうです。その後上方から江戸に伝わり銀より金という江戸っ子気質が金鍔に変化させ、浅草馬道に「おかめのきんつば」店が現れ、四角に切った角型六法焼きという現在のきんつばの形が出来上がりました。

 きんつばは決して上菓子ではないのですが、きちんとした桐箱にでも入れられると、まるで献上品のような気品が漂います。

 私の買ったものは発泡スチロールのトレーに5個入れられ、ラップをしているだけの簡単なものでしたが、それでも1個食べて、子どもの頃と同じ水屋にしまいました。妻いわく「そんな所へしまったら忘れるよ。誰も取りゃせんのに」・・・・・・。いいえきんつばだけはしまっておきたいのです。

 でも2~3日経っても誰も手をつけず、結局3個は賞味期限切れであえなくゴミ袋行きとなりました。勿体無い話です。子どもの頃「お金持ちになったらきんつばを腹いっぱい食べよう」と思った若松少年の夢は叶えられましたが、半分食べられたきんつば時代とは何故か幸せ感は薄れていました。

 親父にこの話をしたら覚えていないとけんもほろろでした。

 「きんつばを腹と水屋にしまい込む妻さえ太ると見向きもされず」

 「きんつばを前にゴクンと唾を飲む子どもの頃の懐かしきかな」

 「耳元できんつば食うか親父さん鍔は食えぬと唾を飛ばして」  

 きんつば私の思い出記」でした。

 

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