○夕焼け村からのハガキ
9月4日の消印で、2枚の夕日の写真絵葉書がわが家に届きました。見覚えのある夕日の写真絵葉書ハガキは、地域振興課長と観光協会事務局長を兼務していた頃、私が手掛けて作った絵葉書なので、少し驚き少し懐かしい気持ちになりました。そしてそのハガキの差出人が、通学合宿「夕焼け村」に参加している子どもたちからであることは容易に想像できました。
一枚は94歳の親父に「お元気ですか、私は元気です。今日はビンゴをします。欲しいものが当るといいな。またパンと煮豆を持って行くけんね。待っとってね。」でした。
私へのハガキには、「先日は夕日の話をしていただき、ありがとうございました。夕焼け村最後の金曜日(7日)に、お別れパーティにバーベキューをしますので、午後6時までに夕焼け村までおこしください。」と書かれていました。この日は夕方県外から仲間がわが家に来ていて、あいにく予定が塞がっていましたが、折角のご好意なので、わが家からほんの5分ほどの潮風ふれあい公園なので、単車に木になるカバンを積んで出かけました。昨日は午後3時頃から短時間ではありましたが、雷がバリバリと近くで鳴るかなり激しい雷雨があって、野外での開催が危ぶまれましたが、ハガキの案内どおり午後6時に公園へ出かけて見ると、雨上がりの爽やかで心地よい風が吹く中、潮風ふれあいの館横の広場では、早くも焼肉パーティーが始まっていました。
早速促されて群れの中に加わりましたが、私が夕日の話しにやって来たのは一週間前でしたが、この一週間で仲間作りもでき、リーダーたちとのコミュニケーションもよくできて、わき相々でした。いわゆる寝食を共にする集団宿泊訓練の効果は抜群で、子どもたちもこの一週間で親離れができて、すっかり逞しくなったような印象を受けました。
この日も少々高沈みの感じはするものの、諦めかけていた綺麗な夕日が雲間から顔を覗かせ、子どもたちから歓声が上がりました。今年は全てがにわか雨にたたられながら、夕焼けコンサートといい、一週間前と昨日の夕焼け村といい、夕日は私にほほ笑んで、とてもハッピーでラッキーな気持ちになりました。
パーティの最中、人のいないふれあいの館ホールに入ると、谷川俊太郎の朝のリレーという詩の周りに、色々な詩の貼り紙が貼ってありました。担当の赤石主事さんに私が電話で少しアドバイスをしただけで、坂村臣民さんの詩等が手書き文字のようなタッチで、プリントされて貼られたのです。これらの言葉は子どもたちへの心のメッセージとなるはずです。できれば来年は子どもたちに俳句や短歌、詩、言葉などを作らせて、貼ってやると心のささやきがメッセージになるに違いないのです。
子どもから親や知人へ、親から子へとハガキを出し合う作戦は、元はといえば私が無人島キャンプで石や流木に文字を書き、「無人島からの便り」として使った作戦を、夕焼け村にもアドバイスして始めたものです。夕焼け村の進化のお役に立つために、もっともっと多くのアイディアを出さなければと思いながら、来客を待たせていたので1時間ばかり過ごした後、公園を後にしました。
「有希ちゃんと いう女の子から ハガキ来る 嬉しくなりて のこのこ出かけ」
「今年は 全てラッキー 夕日見え 心に残し 写真に収め」
「寝食を 一週間も ともにする まるで兄弟 親子のようだ」
「ちょっとした ことを電話で アドバイス 直ぐに実行 見上げたものだ」