○夕日のリレー
長い長い夏休みが終ると同時に、今年も双海町の小学生の通学合宿「夕焼け村」が、双海潮風ふれあいの館で始まりました。募集に応じた参加者は30人だそうですが、9月1日から1週間、子どもたちは自宅へ帰らず、ふれあいの館と学校を往復して集団宿泊をするのです。目的は子どもの自立ですが、親離れは勿論のこと親の子離れも狙っています。
毎年の事ながら今年も第1日目の夕方、夕日が沈むころに夕日の話をして欲しいと頼まれ、単車の荷台に木になるカバンを積んで出かけて行きました。40分前に出かけると子どもたちは、夕食の準備に追われていました。私が作った夕日の時刻表によると、この日の日没時間は18時34分なので、担当の赤石さんに少し食事を早めるようお願いして準備をしました。ふと何げなく見たふれあいの館の板壁に、詩人谷川俊太郎のご存知、「朝のリレー」の詩が張ってありました。
カムチャッカの若者が きりんの夢を見ている時
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女がほほえみながら 寝返りをうつとき
ローマの少年は頭注を染める 朝陽にウインクする
この地球では いつもどこかで 朝が始まっている
ぼくらは朝をリレーするのだ 緯度から 緯度へと
そうしていわば交代で地球を守る
眠る前のひととき 耳をすますと
どこか遠くで 目覚まし時計のベルが鳴っている
それはあなたの送った朝を 誰かがしっかりと受け止めた 証拠なのだ
この詩を読みながらふと私は、何年か前自分が作った、「ふたみの夕日夕焼け物語」という次の詩を思い出しました。この詩は私の自著本「昇る夕日でまちづくり」のP200~P201に書いているのです。
西瀬戸の 生みと空を染め分けて
詩情豊かにしずむ ふたみの夕日は美しい
陽がしずみはじめてから 没するまで
ゆったりとした 時の流れの中で
人の思いは深くなる
過ぎ去った歳月への 回想もあれば
明日への夢や期待もあるだろう
思えば地球上の人類は
ひとつの太陽を見て 暮らしている
同じ夕日をどこかで
朝日として 見ているのだから
不思議である
有名な谷川俊太郎という詩人とは比較にならない、何の変哲もないローカルな詩ですが、私が子どもたちにいつも話すのは、双海の夕日を地球の裏側の人が朝日として見えいるという不思議です。まさに「朝のリレー」と同じ「夕日のリレー」です。この日も綺麗な夕日を見ながら、思いつくまま約30分余り子どもたちに夕日の話をしてやりました。参加した子どもたちが大きくなって、どこかで何処かの夕日を見た時、双海の美しいい夕日とともに、自分につながるふるさとや多くの人々のことを、思い出して欲しいと願っています。
この日は夕日の反対側の方向に綺麗な七色の虹が印象的にかかり、子どもたちも大満足したようでした。
「地球上 朝のリレーを するように 夕日もリレーし 心和ます」
「うわ~凄い 夕日と虹の コラボ見て 子ども思わず 感嘆声を」
「この夕日 何処かの国の 朝日なる 地球自転を 繰り返しつつ」
「地球から 一億五千 万キロも 離れているのに 光が届く」