〇世界遺産白川郷を目指して(その1)
昨年の10月13日、西予市で開かれた全国過疎問題シンポジウムに、パネラーの一人として壇上に上がりました。その夜西予市文化会館で開かれた交流会には、全国から沢山の人が集まっていました。勿論パネラーの一人に名を連ねていたので、立食パーティーでは食べる暇がないほど名刺交換の列が出来て、多くの人と交流することが出来たのです。その折岐阜県白川村の担当者が、「村長さんがお会いしたいというのですが」と呼びに来られ、早速別室へ行きました。酒の勢いもあって成原村長さんから「あなたの話は面白かった。是非来年1月11日にわが村で行なう予定の賀詞交歓会で講演をして欲しい」と頼まれました。私の記憶だとその日は愛媛新聞の食談会の予定が入っているので、難しいかも知れないと返事をしましたが、その予定を変更して欲しいと食い下がられました。明くる日変更が効くかどうか先方と相談してみるということでその場を逃れました。 しかし、私にしてみれば世界遺産白川郷へはどういう訳か、まだ一度も行ったことがなく、行きたい気持ちに傾きつつありました。しかし1月11日は先方の都合にしろ一度変更をした経緯があるので難しいと思いつつ明くる日、愛媛新聞の担当者に無理をいって2月15日と変更をしてもらい、白川村の担当者にその旨伝えて準備を進めてきました。
白川村での賀詞交歓会予定が1月11日の11時から14時までなので、その時間に間に合うようにするにはどうしても前日村に入って前泊しなければなりません。そのためには折角だからその前の日の夜遅くに大阪まで出て泊まり、明くる日の朝大阪発サンダーバードという特急に乗って石川県金沢まで行き、迎えに来てもらう約束が整いました。電話やメールでの連絡で雪が1メートル以上積んでいるという話に胸をときめかせながら9日の夜愛媛県を出発しました。 私は元来朝起きがいいので大阪梅田駅近くのホテルを少し早く出て7時過ぎ、一便早い大阪発のサンダーバードに乗り込み北陸本線を走りました。大阪から岐阜羽島まで新幹線で行く方法も、大阪から飛騨高山経由で行く方法もそんなに時間的には変わらないので、結局は福井等へ講演に行く機会が多くて馴染みのルートであるため、とりあえず金沢経由のルートを選びました。このルート沿いには鯖江という街があって、かつて地域づくりの発表会で国土庁長官賞や実行委員会賞をダブル受賞した思い出や、一筆啓上火の用心をヒントに、日本一短い手紙で日本全国に大きな反響を呼んだ福井県丸岡町の大廻さんとの交流経緯、福井県公民館連合会での度重なる講演もあって、列車の窓からそれらの街が近づいたり遠ざかる度に懐かしく当時のことが思い出しながらの旅でした。
金沢は前田百万石の城下町で、日本三大庭園兼六園もある北陸路きっての有名な場所です。既に金沢駅周辺では北陸新幹線の高架工事が急ピッチで進められていて、越後湯沢に直結するようです。1時間も前に到着して金沢駅の構内にある土産物屋を一通り歩きましたが、塗りや焼き物、菓子類などどれをとっても名品の誉れ高い物ばかりのようでした。携帯で連絡を取り合った白川村役場の岩本一也さんが迎えに来てくれました。岩本さんは総務課の課長補佐で議会事務局長さんなのです。金沢から高速道路に乗ってしばらく走ると沿線は白い雪景色に変わり、西国育ちの私には見るもの全てが別世界のように感じられました。
金沢から高速を約一時間ばかり走るとそこはもう岐阜県谷川村です。高速道路やトンネルの合間から村の様子が垣間見えましたが、かなり雪深く山深い場所のようでした。
「過疎シンポ 白川村長 おらが村 話しに来いと 客引きされて」
「行きたいと 思いかられて 日程を 変更してまで 行くこと決める」
「念願の 雪に埋もれた 白川郷 タイムスリップ 心ときめく」
「何事も 包み隠して 白い雪 合掌造り 浮かび上がらせ」