〇愛媛新聞1月1日付朝刊第2部46面に掲載される
1月1日正月の朝、年賀状より早い午前5時頃愛媛新聞の朝刊がわが家へ届きました。毎年の事ながら正月の新聞は紙面広告も多く、まるで雑誌のような64ページにも及ぶ分厚さです。PC画面にて読んでいたメールへの対応を一時中断し、新聞を1ページから順次読み始めました。1部が終わり2部の目次欄を見ると、45・47ページに記者が歩くという楽しみにしていた連載の総括記事が載っていました。というのも年末に山本良さんという記者がカメラマンを連れてわが家に取材にやって来て、「この記事は勝が都合に載せますから」と予告をして帰っていたのです。
紙面は2ページ仕立てで、記者が歩くというこれまでの取材で拾った読者の声、識者の声、取材後記の3つに別れ、その記事を記者が記録に残った25枚の写真で囲むように編集していました。写真25枚の半分は白黒ゆえ残念ながら小さ過ぎて何を撮っているのか余り分かりませんでしたが、山本さんが記者として県内各地を歩いて撮った写真の迫力は読者たる私には十分伝わってきました。
識者の声はえひめ地域再生戦略研究会長の小松正幸氏、えひめ地域政策研究センター所長森敏明氏、それに人間牧場主の肩書きで私若松進一が取材に応じて語った記事が、「地域の元気回復『人づくり』から」というテーマで、それぞれ2段抜きで紹介されていました。
小松正幸氏といえば前愛媛大学学長であり、先の愛媛県知事選に立候補しながら落選した偉い先生です。また森敏明氏も私が日ごろ出入りするえひめ地域政策研究センターの所長なのです。それに比べ退職して無位無官なのは私だけで、名乗る役職もないので人間牧場主という私が最近一番好んで使う肩書きで紹介されているのです。いつもながらこの記事を読む人は、「人間牧場主」という肩書きに違和感を感じたり、不思議さを覚えたりしているだろうと思わず一人苦笑いをしてしまいました。
「手放しの連帯へ転換」という見出しがついている私の記事は小松さんや森さんの記事に比べると理論体系をはっきりしていませんが、論理体系だけは言っていることがぶれていないと思いました。私がまちづくりを始めた頃若者たちが言っていたことは「田舎嘆きの十ヶ条」だったように思います。それは自分たちの努力によって「田舎楽しみの十ヶ条」に変われたし変わってきました。しかし今住民たちの苦悩は「田舎縮みの十ヶ条」に変化して、嘆きの中身が変わっているのです。学校統合、公共交通機関廃止、商店街の衰退、伝統文化の消滅、限界集落の増加、消えゆく自治組織、 防犯・防災能力の低下、行政サービスの低下など、行政も合併で方向性を見失っているのです。つまり縮む社会は最早地域住民の努力だけでは解決できない最低ラインまで下がっているのです。
行政も当てにできないのですからこのままでは死に絶えていくしかないと思った時、手をこまねいて死を松よりも「私たちにできることは何か」「私たちは何をしなければならないのか」という、止むに止まれぬ行動が生まれてくれるのです。いつの時代も人間や地域はそんな外圧や内圧と戦い智恵を生かして再生してきたのです。
私が目指す社会再生はローカルコミュニティとテーマコミュニティを組み合わせ地域と人の自立を目指す考えです。そのためにはその中心となるべき人を育てなければなりません。一年の大計は種を蒔けばいいし、五十年の大計は気を植えればいいのですが、百年の大計は徳を持った人を育てなければなりません。そのためには何としてもみんなの力で経済を産みそれを徳育てに再投資するシステムを作らなければなりません。二宮尊徳の言う経済と道徳の融合こそが地域再生に必要なのです。
4年前人間牧場で私塾年輪塾を開いた原点もそこにあるのですが、手つなぎの連帯から手放しの連帯へ転換する耐えにはまだまだ多くの学びが必要なようです。
「正月の 地元新聞 それなりの 写真を添えて 紹介される」
「インタビュー さすが記者だね しっかりと 言ったこと等 まとめています」
「このままじゃ 田舎潰れる 思うから 止むに止まれず 私塾開いて」
「いつの世も 民に苦労の 種尽きず 結局つけは 民に戻りて」