〇伯母の17回忌法要に参加
母の姉が亡くなってから17年が過ぎ、昨日は17回忌の法要があるという案内を従兄弟からもらい、妻と二人で町内の親戚へ出かけました。伯母が死んでから1周忌、3回忌、7回忌、17回忌という区切りの法要に最初はころは両親も参列していましたが、7回忌からは高齢の親父に代わって私たち夫婦が参加するようになり、今回も親父への案内はあったものの思うに任せず、私たち夫婦だけが参加しました。17回忌ともなると伯母の兄弟姉妹も全てなくなって、残っているのはわが親父だけとなっているため、今回の法要は私たち夫婦を除けば、10人の子どもに繋がる身内のごく内輪だけなのに、40人を越える沢山の人たちが集まって、伯母からすれば子供、孫、曾孫、曾々孫などの若き世代の活気ある姿に接し、繁栄の後を垣間見て頼もしく思いました。
昨日はあいにく雨模様の一日でしたが、10時30分から自宅の座敷に設えた祀壇の前で、お坊さんの読経や有難い説教を聞きながら伯母の遺影や位牌を眺め、伯母のありし日の姿を頭の中に思い浮かべました。伯母は10人の子どもを産み育てましたが、若くして交通事故で製材業を営んでいた叔父を亡くしたものの、後を継いだ長男がしっかりしていて、焼杉材の商品化によって社運は大きく開け、商工会長や教育委員長なども歴任する町の有力者となりました。その後その息子も県の木材青年協議会の会長を務めたり、輸入住宅への取り組みが順調だったため、親父以上に社運を伸ばし、最近は息子の息子も帰郷、次の世代へのバトンタッチも順調に推移して、人も羨む世代移譲がが行なわれているようです。
伯母の思い出は尽きませんが、私の妹が生前中伯母にわが子のように大事にしてもらった恩もあるので、晩年は時々自宅を訪ねて世間話をしたことが懐かしく思い出されるのです。伯母の子どもたちもそれぞれ立派に成長され、久しぶりの再会に懐かしい話に花が咲きました。お互い年齢を重ねると昔の思い出が懐かしく、他愛ないことでもつい昨日のことのようで、伯母もさぞかし喜んでいるだろうと思いました。
お坊さんは顔見知りで、読経の実力もさることながらその説教の素晴らしさは群を抜いていて、いつも感心して聞くのですが、昨日は東日本大震災を例に色々と含蓄ある話を聞きました。大雨注意報が発令されているにもかかわらず、裏山の墓地に向かう頃には雨も上がって、久しぶりに墓地から小雨に煙る下灘の港周辺の景色を見ることができました。
おそらく列席した従兄弟たち全てと、顔を合わせることはもうないものと思われますが、お互い元気で余生を生きたいと誓い合い、次の日程が予定されていたので昼食会場を見送られて後にしました。
「十七年 あれからそんなに 経ったのか 法要案内 妻と二人で」
「懐かしき 従兄弟の顔を 目の当たり 子どもに帰り 色々話す」
「坊さんの 説教さえも 学びゆえ 心の襞に 書き留めたり」
「人は皆 こんな運命 辿るのか 俺もいつかは 伯母のようなる」