○刈っても植えなくても生えてくるものな~んだ
「使っても減らないものな~んだ?」と、子どもの時に謎々をして遊んだのと同じようなことを考えてみました。とりあえず「使っても減らないものは知恵」なんて答えを出しましたが、お金や物は使えば減りますが、どうやら無形なものは減らないようです。
この季節になると、厄介者の代名詞のように言われるのが雑草です。土の世界を感じないで生きている都会の人や、庭のないマンションに住んでいる人には分からないかも知れませんが、田舎に住んでいると雑草の持つ生命力にはただただ驚かされることが多いのです。
先日人間牧場への道すがら、カズラに覆われ行くみかん畑の放任園を目の当たりにしました。園主が元気な頃は立ち木品評会でも度々入賞するそれは見事なみかん畑でした。ところが3年前奥さん、ご主人が相次いで亡くなり、世話をする人がいなくなったのです。一年目は都会に住む子どもさんがみかん採集をしたようですが、二年目の昨年は採集もせずに放置され、野鳥の餌となって啄ばまれました。そして今年は見向きもされず放置されたみかん畑はあっという間に雑草やカズラに覆われてしまったのです。
勿体ないなあと思いつつ足を止めて見ていると、近所の農家の人が通りかかりました。話しかけてくるその人も私と同じようなことを考えていたようで、自分の園地に隣接しているので、「もし良かったら譲って下さい」と購入話を持ちかけましたが、「先祖の財産は売らない」と断られたようでした。
放任園が隣接して困るのはこの農家で、幾ら自分のみかん園を消毒しても病害虫の巣になった放任園から病害虫がどんどん飛んできて、いいみかんは望むべきもないようでした。住む人が絶え崩れ行く民家も哀れですが、カズラに覆われて行くみかん畑を見るのも寂しいものです。あと10年もすれば限界集落が多くなったわが町では、こんな風景は当たり前になるのだろうと胸が痛みました。
他人事ではありません。わが家だって鼠径ヘルニアで親父が少しの間畑仕事を休んだだけで菜園は草だらけになったし、人間牧場だって私が草刈をしなくなったら草に埋もれてしまうのです。「そんなこと気にしなくてもいい。息子があなたと同じように世話をするから」と妻は楽観視していますが、はてさて親父や私の目に見えない汗の作業は、息子夫婦に受け継がれるかどうか心配です。
問「刈っても植えなくても生えてくるものな~んだ」。答「雑草」。「ピンポン正解」。てな調子で雑草の存在にスポットを当てて見ました。余談ですが間もなく8月6日の原爆投下の日を迎える広島は、おそらく50年間は草木も生えないだろうといわれていたのに、ものの見事に草木は蘇りました。また多くの犠牲者を出したロシアのチェルノブイリ原発事故の現場も、いつの間にか立ち入れないほどの草木に覆われているそうです。ある人が「地球を原子力の汚染から蘇らせるには人がいなくなればいい」といった言葉を思い出しました。
最近は人間牧場を造ったお陰で草刈などの野良仕事に精を出すようになって、幸か不幸か少し体力が回復し、野良仕事で日焼けした顔も精悍に見えてきました。地下足袋を履き麦藁帽子を被り、野良着を着た私は自分でも惚れ惚れする格好良さです。あと10年はこの姿が似合うような暮らしを続け、草と格闘したいと思っています。
「人間が 営々築いた みかん園 ほおっておくと 自然に帰る」
「そのうちに 人間牧場 草むして あれがどうなら 人が言うかも」
「草刈りて 綺麗になった 思いきや 一雨降れば またまた伸びる」
「百姓は 草と戦う 戦士にて 草食う牛馬 昔は仲間」