shin-1さんの日記

○イワシと液肥の匂いのする人間

 世の中が不景気になると賭け事や宝くじが流行るといいます。破れかぶれで賭け事や宝くじに一攫千金の夢を託すのでしょうが、その殆どの人は当たりもせずに夢破れ、かえって泥沼に入ってもがき苦しむのです。賭け事や宝くじとは同じではないものの、最近農業の分野へ進出しようとする人が増え、随分賑やかになってきました。「人生の楽園」などというテレビ番組が田舎での暮らしを紹介し、農業や漁業があたかも人生の楽園だと勘違いして田舎を目指すのです。確かに農業や漁業は見方によっては人生の楽園かも知れません。自然とともに生き誰からも命令されず自由で定年もない暮らしは、がんじがらめの組織に縛られ、通勤や安月給で暮らす人たちから見れば、それはもうユートピア社会に見えてくるのです。

 しかしいざその道に足を踏み込んでみると農業や漁業もかなり厳しく、人生の中途で転職して上手くいくほどやわい職業ではないのです。私がよく言う「遊びの農漁業は楽しいが飯を食わねばならない農漁業は苦しい」のです。地産地消などの幟が立っている道の駅などをよく見かけますが、これも実態を知らない運動団体や農林水産省がアピールするまやかしの部分が多く、地産はできても過疎や高齢化、少子化の進んだ地方では、地消などできる訳がなく、地産外商をしなければつくったり取れたものを腐らしてしまうのです。農漁業は昔から3K産業といわれてきました。きつい、汚い、金にならないと揶揄されてきたその部分に、先祖伝来の田畑や漁船、加えて百姓・漁師という自然を読み解く勘が加わる、とてつもなく奥の深い職業なのです。それらを忘れてユートピアを描くととんでもないしっぺ返しが待ち受けているのです。

 最近になって「野菜工場」という言葉や「地店地消」という新しい言葉が聞こえるようになって来ました。天候に左右される現在の農業では不作貧乏・豊作貧乏、つまり不作だと単価は多少いいものの量の取れない不作も、量が取れても単価が安い豊作でも収益は上がらず貧乏という意味ですが、自然の気候変動に強い農業をするために人間が作り出した偽自然工場の中で野菜を作ろうというのです。これはかつて流行った遺伝子組み換えによるハイブリッドに似ています。その安全性に疑問を抱く人が増えて今一歩先へ進んでいないようですが、今回の野菜工場も果たして目論見どおりになるのか、早くも疑問が生じているようです。

 野菜などの作物は天と地の恵みを吸収して育ちます。水・太陽・地の恵みですが、それを人工的に造って無菌状態で作るため農薬をかけずに無農薬で作れるのが売りだそうで、洗わなくてもそのまま食べられるのだそうです。

 また野菜を作るユニットを見せてそれを料理することを売りにした地店地消の店もオープンしているようで、先進的事例として注目されているようです。果たしてそこまでして食べなければならないのか疑問を感じながら、初物好きで興味本位な日本人の目と心を奪っています。

 国も県も行政は野菜工場の導入に積極的で、補助助成の制度を作っていますが、結局は資金調達が可能な富裕層以外こんなことはできるはずがなく、自然をコントロールできると過信した人間のエゴ丸出しのこの方法は、「ああまたか」と思わせる出来事のようです。

 ある本によるとイワシを餌にした養殖鯛は調理して少し時間を置くとイワシの匂いがするそうです。水耕栽培で作ったイチゴは少し時間を置くと液肥の匂いがするそうです。足り前といえば当たり前なのですが、それを食べた人間は今にイワシと液肥の匂いのする人間になるのかも知れませんね。

若松進一ブログ
(昨日の朝、わが家の家庭菜園で収穫した瑞々しい野菜は土の匂いがします)

  「何を食べ 生きればいいの 分からない 自分が作り 自分で食べる」

  「工場で 野菜を作る 時代です 洗うことすら 面倒だと言う」

  「俺の家 虫が食おうが いびつでも 安全一番 お陰で元気」

  「完熟の トマトトマトの 匂いする 当たり前だが 当たり前なく」

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