shin-1さんの日記

○久しぶりの中島

 瀬戸内海に面した町に住んでいる私は、朝な夕な沖合いの水平線上に浮かぶ島々を眺めながら暮らしています。ゆえに、あれが青島、あれが周防大島と県境を挟んだ島々までも良く知っていて、その「島に雲がかかるとやまぜの風が吹く」などと、古老から教えられた昔の言い伝えを思い出しながら見ているのです。

 北東の一角に見える旧温泉郡中島町(現松山市)の島々は、特に無人島に挑む少年のつどいなどで度々訪れている由利島や、旧友豊田渉さんのふるさとである二神島、それに古野セキエさんの住む中島本島も見えて、何処か親しみのある場所なのです。

若松進一ブログ

 それでも島は陸続きでないため、ついでに行くことは殆どなく、ただ今開催中のしまはくもアプローチ情報が少なく、ついつい疎遠になっていたようです。

 先日中島小学校の稲田教頭先生からPTA研修会に話をして欲しいと電話やメールがあり、お言葉に甘えて昨日出かけました。高浜発13時15分のフェリーに乗りました。運よく直行便だったので意外と早く着きました。昨日は朝ぎっくり腰になったこともあって、船内では客室に上がらず、車スペースの横のベンチに座り、病院へ行って帰る途中の見知らぬおばさんと世間話に花を咲かせました。みかんが安い、魚が取れないと、高齢化して将来の島暮らしが不安だと、出る言葉はどれもいい話ではありませんでしたが、それでも穏やかな島暮らしはいいと笑っていました。

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 私の訪ねた中島小学校は児童数が100人足らずの学校でしたが、新築の学校は環境にも配慮してすこぶる明るく、丁度下校時だったので元気な挨拶が返ってきました。

 講演は「たくましい子どもを育てるために」という演題で90分間話しました。田舎の学校らしく出席率も聞く態度もよく、笑いを交えながらの私の話にみんな熱心に耳を傾けていただきました。

 金本校長先生は金本教育委員長先生の縁戚、稲田教頭先生はわが双海町出身と、縁の不思議を感じながら校長先生自らが船着場まで送っていただき、久しぶりの中島を後にしました。帰りの高速船は携帯電話で連絡を取り合って二神島出身の豊田さんとご一緒することになりました。豊田さんは宮本常一を考える会の会長だし、わが21世紀愛媛ニューフロンティアグループのメンバーでもあるので、高浜経由で松山市駅付近まで積もる話を沢山しました。

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 豊田さんは合併前の役場時代を加えるともう40数年も船通いをしてるそうで、朝晩の乗船は一見無駄な時間のようにも思えますが、この時間こそが島人としての豊田さんを育んだのではないかと、私にはない船通勤途中の思い出を沢山聞くことが出来ました。

 島人はどこか暖かい、そんな印象を持ちながら中島への小さな旅を終えました。

  「沖合いに 見える島々 人ありて 思い出しつつ 小さな旅を」

  「何処へ行く 知らぬおばさん 声掛ける 田舎はいいな 思わず笑顔」

  「少子化や 産業不振が 気がかりと 自分の体 老いも忘れて」

  「どうしたら 子ども増えるか 教えてと 私に聞かれ 子ども作れと」

 

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