○年輪塾で道歌を学ぶ
愛媛県は正岡子規や高浜虚子の影響もあって、俳句・短歌の盛んなところです。私たちは新聞で毎日目にしているので、これが普通だと思っていますが、他所の人から見れば文芸欄に俳句や川柳が沢山掲載されるのはやはり異常と思うようです。
そんな中で私たちに馴染みが薄いものに、道歌というのがあります。「どうか」と読むのだそうですが、道歌とは芸術文芸である短歌と違って、仏教や道徳的な教えを分かり易く読み込んだ和歌なのです。私も道歌に似た笑売短歌なる五七五七七の三十一文字で、毎日朝四首夜四首合計八首の言葉遊びをしています。道歌のような仏教や道徳の教えではないものの、一年に一つや二つは道歌に似た秀作があるかも知れないと思っていますが、その評価は未だ誰にもされていないのです。
道歌でよく知られている戯言に、「目鼻口 手足は人の並なれど 心一つで 廃る体で」というのがあり、読んで字のごときものです。道歌は日ごろの暮らしでは余り目にしたり聞いたりすることはありませんが、年輪塾のテーマを二宮尊徳にしてから、学習の過程や資料の中に道歌が沢山出てきて、その考えさせられる表現に頷いたりしながら学んでいるのです。
二宮尊徳翁の道歌に、「父母も そのちちははも わが身なり 我を愛せよ われを敬せよ」というのがあります。人間は突如としてこの世に生まれてきますが、その命の営みは父と母、そしてその父母にも父母と連綿とルーツは遡るのです。一人の人間のルーツを十代辿れば千二十四人の先祖がいることになるのですから驚くという他はないのです。
あの有名な智将山本五十六の言葉に「して見せて 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」というのがあり、リーダーの心得として物の例えによく使われますが、実はこの言葉も「目で見せて 耳で聞かせて して見せて やらせて褒めにゃ 事ならぬなり」という道歌をそっくり真似たものなのです。調べてみればなるほどと思う道歌も沢山あって、奥の深さを感じるのですが、私もこれからは少し道歌を勉強してみたいと思うようになっている今日この頃です。
しかし仏教や道徳となるとこれまた奥が深く私の手に負えるものではありませんが、毎日八首も作っているのですから努力のし甲斐はあるかも知れません。いずれにせよ道歌なるものの存在を知っただけでも、年輪塾で二宮尊徳翁夜話を学んでいる学びが役に立った訳ですから、これからもその学びを深めたいと思っています。
「ホロホロと 鳴く山鳥の 声聞けば 逝きし母声 枕辺聞こゆ」
「ジュウヤクの 白き花見て 母思う 刈り取り日陰 干せし姿を」
「ふと気付く 小さくなった 親父の背 我の気苦労 一身背負い」
「子を持ちて 初めて知りし 親の恩 わが子もいつか 気付く時来る」