○思い出に浸る秋はそこまで
残暑とでもいうのでしょうか、このところ日中は連日30度近くまで気温が上がり、「今日も暑いねえ」何て言葉が交わされています。先週北海道で「涼しく心地よい」初秋を体感してきただけに、少しうんざりしています。昨日は大学生がフィールドワークの授業に双海町を訪ね、わが家へ入った途端短い時間ではありましたが激しいースコールのような雨が降り、これまでの暑さが少し遠のいたような感じがしました。こんな雨が降る度に、40数年前のことが一瞬頭をよぎります。私は高校3年生の時宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋へ遠洋航海に出かけました。設備の整っていない船内の風呂は機関循環水を引き込んだ海水風呂でした。ゆえに真水の風呂に入りたいといつも願望していましたが、時折急に降るスコールはとても貴重で、みんな自然のシャワーだと思いこんでスコールが来ると大騒ぎしてはしゃいだものでした。しかしスコールが来ると予測して石鹸をつけて待っていると、スコールが突然向きを変えて当てが外れることもあり、石鹸が肌にこびりついてヒリヒリしたハプニングも何度かあって、大笑いしたこともあったのです。
最近季節が少しずつ変化していることに気づきます。道の駅の屋外売店には秋の味覚と言われる極早生ミカンや栗の実が沢山顔を見せ、大根の間引き葉野菜も並ぶようになって、「ああ秋だなあ」と実感するのです。
昨日人間牧場を訪ねて帰る途中道端で木からぶら下がったアケビの実を見つけました。これは子どもの頃の思い出なのですが、アケビは私たちにとってはイタドリ、野イチゴ、ヤマモモなどとともに自然から授かる最高の贈り物でした。この頃になるとガキ大将仲間と山に分け入り、アケビを見つけてよく食べたものです。アケビは熟すと割れて中から実が飛び出るのです。少し早いと割れないし遅いと虫たちが集まって食べてしまうので、その時期を見計らって木によじ登り危ない目をして収穫し食べたものです。アケビは熟すとバナナのような甘い味がしますが、殆ど種ばかりで食べるところはほんの少しです。口いっぱいに放張り思い切り種を飛ばしたことを覚えているのです。
最近の子どもはアケビなど見向きもしないので、このように私の目でも確認でき取ることができるのです。イガの中から顔をのぞかせた栗も、紫色に熟したアケビも机の上や玄関先に飾るとインテリアに変身するため、イガ栗とともに2~3個収穫して持ち帰り玄関先へ並べてみました。妻の活けたススキの穂とともに初秋を見事に演出してくれているのです。
わが家の菜園の隅には甘夏ミカンやポンカンなどのかんきつ類が植えられています。その中に一本だけ極早生品種のみかんの木があって、このところの朝晩の気温低下で色付き始めました。「♭青いみかんが実ったふるさとの丘に 今年も取り入れの歌が聞こえる 甘く酸っぱい胸の思いを 心を込めながら小籠に摘んで 遠くの町のあなたにも送ってあげたい~♯」なんて素敵な歌を思い出しました。
青切りのみかんを見る度に10年前に逝った母のことも思い出します。海の見える現在人間牧場に変身しているみかん畑で、忙しそうにみかんを摘む母の顔はとても幸せそうでした。母の摘んだみかんを木箱に入れて背負子で一緒に坂道を下ったことを今でも覚えているのです。秋の夕日が真っ赤に海を染めて落ちる姿とともに・・・。
「道端の 見上げた空に アケビあり ああ秋来たと 昔思いて」
「菜園の 隅に色ずく 早生みかん 母植え遺し 木々の数々」
「目にさやか 秋が来たなと 実感す 真夏日残暑 厳しきけれど」
「口いっぱい ほおばるアケビ 種ばかり 大息ついて 種を飛ばしぬ」