○会報誌「いのちの田圃」の取材
世の中にはいろいろな団体があるもので、聞いたこともないような団体やNPOがいっぱいあるようです。先日突然私のメールに、ガンの元患者によって設立されたNPO法人ガンの患者学研究所の会報誌「いのちの田圃」担当の藤井さんという女性から取材の申し込みがありました。送信先を見ると横浜市青葉区とあります。愛媛県でもガン元患者の会などが設立さえていることは新聞などで知ってはいますが、内容はあまり詳しくないのです。
藤井さんのメールによると「若松さんのご活躍を、数ヶ月前に朝日新聞にて知り、その後著書やインターネットなどで卓抜なアイデア、行動力、そして地域は人々への深い愛に非常に感銘をいただきました。そしてぜひとも私どもが刊行している会報誌『いのちの田圃(たんぼ)』にて、ご紹介させていただきたく、取材のお願いをさせていただきました」とあるのです。
持ち上げられ過ぎだと分っていても、「今の日本はガンで命を落とす方が残念ながら非常に多い現状ですが、患者さんが健康を取り戻すには、ただ、病院に治療をゆだねるだけでなく、患者本人が自分の免疫力を高め、生活習慣を改める努力が大切なことを私たちは訴えております。ご本人がどれだけ自分の命を大切にしようとするか、勇気と希望を持っているかによって、いい結果に結びつくことが多く、まさにその方の生き方の問題でもあるように思えます。
そこで、私どもは、様々な分野で困難を切り開き、大きな社会貢献を果たされている方々をご紹介して、患者さんの生きる力にしてもらう「人生の教室」という連載コーナーを企画しています。お忙しいところを大変恐縮ですが、2、3時間取材のお時間をいただければ幸いです」というメールを読めば断る理由もなく、数回のメールのやり取りで昨日の午前中で日程調整し、藤井さんは早朝7時40分に上灘駅に着きました。
私は田舎のオープンカーで迎えに行きシーサイドで1時間余り、自宅で30分余り、更には人間牧場で1時間余り取材を受けました。昨日は残暑が厳しく日陰を選んでの取材となりましたが、はてさて私の生き方がどのような活字になり、元ガン患者の皆さんにどのように受け止められることでしょう。
私の親父もその昔ガンを患いました。もし親父がガンにかからなかったら私の人生はもっと違っていたでしょう。幸い親父はガンを病み捨て、今年の9月1日で満92歳の長寿を生きているのです。ガンを患った親父も、親父の周りの家族もガンのことを忘れたことはないほど悲喜こもごもの人生を過ごしてきたのです。私たちは健康な時は自分の健康など殆ど考えもせず暮らしていますが、当時は不治の病といわれたガンにかかり失意に打ちひしがれた親父や、重く沈んだ家族の心情は、経験者だけに痛いほどわかるのです。
取材が終わってホッと一息入れ、藤井さんに人間牧場の背もたれ椅子に座ってもらい、心地よい初秋の風を体いっぱいに受けていただきました。「この背もたれ椅子に寝転んで本を読みながら昼寝をする、これが私の理想です」と顔に似合わぬ話をして人間牧場を後にしました。
「わが家でも 親父がガンに 冒されて 再発不安 今日の今日まで」
「もし親父 ガンにならねば 今の俺 違った道を 歩んでいたはず」
「肺ガンで 逝きし母親 遺影置き 日々欠かさずに お茶を供える」
「他人事じゃ ないなと思い 快く 取材に応じ 役立つ信じ」