○ミュージアムフォーラムに参加して
人生は意の向くままに進むこともあれば、意に反した方向に進むことだって随分あるもんだとしみじみ思います。そのひとつが大学との関係です。私は浅学非才を自認していて、大学を出ている訳でもないので、理論武装している大学関係者とはいつも違和感を感じながら議論したり、アンチ大学的な行動を取ってきました。ところが私の最も得意とするちづくりや社会教育の分野では、好む好まざるにかかわらず大学関係者と出会い、同じ仕事をし、時には議論をまみえることだって多く、その頻度たるや相当な数に上るのです。
退職前に小さな町の地域振興課長をしていた折、仕事に穴を開けないという条件で地元大学の非常勤講師という肩書をいただきました。その後ふってわいたような話で直ぐに役場をいったん退職し教育長に就任したものですから、大学のカリキュラムが既に組まれていて、止めるに止められず2年間続けたのです。その後合併が合って自由人となったのを機に、今日まで誰はばかることなく愛媛大学法文学部総合政策学科の非常勤講師として今日に至っていますが、「大学」という言葉が私の心の中では今でも違和感となって存在しているのです。
できるだけ早く止めようと思って機をうかがっていたのに、留める人もいてついズルズル7年目を過ごしているのです。そんな矢先の昨年、夕日サミットの基調講演に招かれた島根県松江市の出張先へ愛媛大学農学部長さんから客員今日図就任の話が飛び込んできました。以前にも誘われていた話でしたが、前述のアンチ大学が頭を持ち上げ、お断りしましたが押し切られてしまいました。法文学部の非常勤講師も止めずに続けて欲しいと懇願され、よりにもよって大学の二足のわらじをはいているのですから、心の悩みはより深くなっているのは当然のことなのです。
先日人間牧場で農学部の15時間1単位の集中講義を無事終えましたが、一年間60時間もの法文学部の授業は夏休みで一服しているものの、今月末の日曜日にはフィールドワークの授業で調査研究を行わなければならないのです。
昨日は愛媛大学城北キャンバスの総合情報メディアセンターで中・四国ミュージアムフォーラムが行われ、常磐大学の塚原先生や筑波大学の加藤先生と一緒に壇上に上がり、愛媛大学の森賀先生の書いたストーリーに沿って議論の輪の中に加わりました。パネラーの中には私と同じような実践家も何人かいたことが救いでしたが、結局持論と論理のかみ合わぬまま消化不良で終わってしまいました。勿論このフォーラムはそれぞれの人の想いが出たいいフォーラムでしたし、内容は面白いものでした。嫌いと言いながら塚原先生とは国立科学博物館時代からご厚誼をいただいていて、いつもいい話を聞いているのです。
できれば早くこの場から逃げ出したい気持ちですが、引き受けたからにはしっかりと仕事を片づけなければならなに責任もあるので、もう少し様子を見ながら機をうかがいたいと、私的秘書を自認している妻にだけは心情を吐露している今日この頃です。
「嫌なのに どうしてこうなる 不思議だな 大学嫌いが とんだ方向」
「気がつけば 二足のわらじ 履いている 両方脱ぎたい 思うが脱げぬ」
「凡人は 凡人らしく 生きること 胸張り過ぎる ろくな事なし」
「まあこれも 一つの進化と 考えて 気楽な気持ち 生きるとしよう」