○念願の坂本屋を訪ねる
一度は訪ねたいと思っていた場所を、昨日は偶然にも訪ねることができました。そのひとつが松山市の奥まった窪野町にある坂本屋という築100年の元旅籠です。「奥まった」という表現をしましたが、むしろ「三坂峠を松山側に3キロばかり下った所に」と書く方が正しいのかもしれません。地元の人が指差す目と鼻の先に坂本屋はありました。本当は三坂馬子唄に出てくるような場所ですから、大宝寺から歩いて峠を越えてくれば情緒も湧くのでしょうが、明日開かれるミュージアムシンポの一行とともに訪ねたのでそれもままならず、ついでに立ち寄ったという感じでした。
四国遍路道世界遺産化の会のメンバーから坂本屋の存在は度々聞いていましたが、訪れたのは初めてなのです。逆打ちのような形で九谷側から曲がりくねった道を2台の車に分乗して出かけました。九谷までは度々来ているのですがそこから先は来たことがありませんでした。桜という地名もどこか懐かしい感じがしますが、坂本屋は明治から大正にかけて遍路宿として使われていました。当時は交通も発達しておらず、この道が大街道で遍路も物流も全てこの道を通っていてかなり賑わってたようです。しかしその後車社会となって別ルートが開けルートから外れた坂本屋は次第に通る人が減少し使われなくなったようです。
最近歩き遍路がブームになると坂本屋復活の機運が高まり、建築家犬伏先生などの調査や地元の人の努力によってNPOが設立され、現在は3月から11月までの土・日には地元の人がお接待を続けているのです。昨日は金曜日でしたが、私たちのためにわざわざ坂本屋の板戸を開けて説明と接待をしていただきました。峠を下ってきたという歩き遍路の学生がラッキーな接待を受けていましたが、その東京からきたという白装束の学生は、遍路の道中お接待に出会えたことをとても喜び、次のお寺を目指して元気に出発していました。
九谷地区の奥まった場所にある坂本屋は時代をタイムスリップしたような、まるで時代劇に出てくるような姿でしたが、間もなく実りの秋、そして冬の厳しい寒さをを迎える山村のたたずまいは、どこか日本の原風景を見ているような懐かしさを覚えました。上がりかまちには地元の人が用意してくれた茹でたばかりの早生栗が印象的にお接待として置かれていました。
無信心な私は、四国88か所を回ったと言って胸を張っていますが、ここで出会った大学生のように自分の足で歩いた訳でもなく、ただ車でスタンプラリーのように回ったに過ぎません。一度は1400キロの遍路道を歩きたいと思ってはいますが、年齢的に高くなった今ではそれも叶わぬ夢となっているのです。私の友人である仙遊寺の住職小山田さんや久万高原町の渡辺さんはこの遍路道を世界遺産にしようと頑張っていますが、忙しいことを理由にその運動にすら参加していないのです。
「日本の原風景がここにもある」と、坂本屋を訪ねて思いました。できれば同行二人の度を一緒に続けている妻を、近いうちに妻をここへ連れて来てやりたいとも思いました。9月の秋分の頃には真っ赤なマンジュシャゲの花が遍路道沿いを染めることでしょう。
「その昔 遍路や馬方 賑わった 面影たどり 接待受けぬ」
「何気なく 上がりかまちに 早生栗が 秋の気配を 肌で感じつ」
「接待の 心を持った 人の顔 仏のような 穏やか笑顔」
「この場所を 知らずに遍路 したなどと おこがましくも 恥ずかしなりぬ」