○地元の盆踊り
そんなに遠い昔のことではありません。30年余り前の私が地元の青年団長をしていた頃、地区の秋祭りと盆踊りを仕切るのは青年団でした。神輿を担いだり相撲を取ったり、また盆踊りを踊ったりと、地元に残り農業漁業の後を継ぐ青年も多かったせいでしょうが、当然の成り行きとして青年たちはそれを引き継いで役目を果たしていたのです。しかし車やテレビが普及してから青年の生活は一変し、そんな地域に縛られるような封建的な体質は打破しなければならないと、青年団活動から次第に遠のいて行きました。青年がいなくなれば地元の自治会や公民館が何とかしなければなるまいと立ち上がりましたが、その流れも次第に消えて今ではあれほど各地区ごとに流行った盆踊りも、海岸線には下浜と灘町の2地区しか残っていないのです。その2地区もまさに風前の灯となって、今年も組長会では「止めたらどうか」という意見が数多く出たそうです。
それでも私の後を受け継いだ区長さんは火を消してはならないと説得して開催にこぎつけました。夕方7時30分から始まった盆踊り大会はそれほど多くの人ではありませんでしたが、4時からの戦没者や新盆を迎えた人たちの遺影を飾って慰霊祭も行われ、意味のある盆踊りとなりました。
私は7時半に会場へ出かけ9時ころまで踊りの輪の中へ入って踊りました。炭坑節や神輿音頭、双海音頭など知っている程度の音楽がな入り始める度に、上手に踊る人の後ろに陣取って見よう見まねで手足を動かしました。暗闇だし見ている人も私だけ特化して見ていないだろうと安閑とした気持ちで踊りましたが、一年に一度程度しか踊らなくても何とかなるものなのです。盆踊りには太鼓と酒が付き物で、太鼓の音に合わせて掛け声をかけるには酒の勢いが必要とばかりに、皆さんは缶ビールを盛んに飲んでいました。私も勧められましたが飲めないと断るのに一苦労です。
踊る人や見る人の中には、懐かしい顔々もあって、「若松さんお元気ですか」とか、「お父さんはお元気」と声をかけてくれる人も何人かいました。嬉しいことにある女性から「若松さん、あなたのブログを楽しく読ませていただいています」と声をかけていただきました。見知らぬ場所で思わぬ人が私のブログを読んでいるものだと驚きましたが、やはりブログへの反応は嬉しいものです。
こうして毎朝毎夕ブログを一日2本程度書いていますが、読んでもらっている人に思いを馳せながらこれからも少し気張って書いてみたいと思いました。盆踊りは若者の社交場であった私たちが青年団時代と違い、今はすたれゆく一歩手前のところにあるのかもしれません。「盆踊りは止めたら」という人のほとんどは参加もせずにその言葉を発します。みんなで「どうしたら盛り上げることができるか」考え行動してからでも遅くはないのです。止めたら多分この盆踊りは永久に再興できないのではないかと思いました。
日本全国では今年くらい各地の盆踊りがテレビに出ることはありません。何故かというと地元に帰った政治家が自分の顔を売り出し、市民党だと言わんばかりのパフォーマンスとして盆踊りの輪の中に入っているからです。盆踊りを踊れば一票になるというあさましい政治家の下心も気になるところです。
「同じ阿呆 踊らにゃ損と 輪の中で 手足動かし 何とか様に」
「止めようと 意見は出たが 止めなんだ 嬉し決断 応援します」
「一年に 一度だけれど 顔を見る これも踊りの 成果だもんね」
「いきなりと あなたのブログ 読んでいる 言われ恥ずかし 拙文悔いる」
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日曜日にお願いしている講演会の内容にもリンクするお話ですね。
無くすのは簡単ですが、復活さすのは並大抵の努力をもってしても復活できないものです。
前向きに続けてほしいものです。
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この所 サボってばかりいます。
地元での盆踊り・・色々苦労があるのですね
止めると、復活は難しいから・・・
頑張って 続けて行けたらいいですね~
簡単に言うけど・・・お世話する人は大変ですけどね
私は 夏祭りはもっぱら 接待係ですが・・・・
とにかく 人様のお世話は大変なことは よく分りますネー
最近は 逃げ出したい思いです(笑)