○逆上がりができるようになりたい
子どもの成長の過程でどうしてもクリアーしてほしいと願うことが幾つかあります。ひとつは自転車です。これまで歩くことしかできなかったのに自転車に乗れるようなったあの瞬間の悦びは誰もが経験していることではないでしょうか。勿論私も多分小学校2年生ころにそんな感動の場面に出会いました。私が小さい頃は家が貧乏だったためか家に自転車さえなく、自転車に乗りたくても自転車がないのです。近所に造船所をしている親類があって、船大工の叔父が大工道具を運ぶ今で言う業務用のかなり重い自転車がありました。その自転車を「親父が幼児に使うので借りて来るように言われた」とばれるような嘘をついて借りて帰り、乗る練習をし始めたのです。補助車もついていない自転車のいきなり乗ろうとすること自体無理な話で、何度も何度も転びながら練習をするのですが中々乗れないのです。足も手も転げる度に擦り傷や打ち身で痛々しほどになりました。また自転車も転げる度にハンドルが変な方向に曲がったりして、造成所の叔父に「これは遊び道具じゃない」と叱られもしました。
それでも乗りたくて叔父が近くの船に歩いて大工仕事へ出かけて留守になるのを見計らい、人目を盗んで砂利道で練習を繰り返しました。3日目ぐらいだったと思いますが横道の側溝に落ちそうになってハンドルを切ったところ、自分の体が反応して自転車に乗れたのです。今でも思うのですが、たった2つの車輪で何故に横に転げもせず走るのか不思議な気がしつつ、自転車に乗れた感動の瞬間を思い出すのです。
それからは少しだけお金持ちの自転車を持っている友人と、自転車に乗りたい一心で友人となり、おべっかをかいたり貢ぎ物?をしたりして訓練をしたのです。以来64歳の今日まで乗れるのですから人間は凄いと思っています。今は自動車が主流になって歩いたり走ったり自転車に乗ったりすることは随分減りましたが、それでもたまに自転車に乗ってもスムースに走れるのです。
私はお酒を飲んでいた50代の頃、酒を飲んで車の運転ができないため、車を松山に置いて年に何度か松山から片道25キロを歩いて帰っていました。当然車を取りに行かなければならないので、あくる朝早く起きて自転車を走らせ松山まで行き、その自転車を車に積んで帰るという、今考えると面白いことをやっていました。体力の限界を感じ今はそんな馬鹿げたことはしていませんが、自転車にまつわるほろ苦い思い出です。
話が変な方向にそれましたが、松山に住む娘から「朋樹が鉄棒の逆上がりができないので、特訓をしてほしい」と依頼がありました。孫朋樹は夏休みのの目標に「逆上がりができるように頑張りたい」と書いているのです。そんなこと言われても、もう夏休みもそんなにないのにと思いつつ、昨日は夕方迎えに来てほしいと孫朋樹から直接電話があったので連れて帰りました。(娘はどうやら私が特訓をしてやり2日間で、孫朋樹が自転車に乗れるようになった指導力を信じているようです。)
帰る途中ホームセンターに立ち寄り鉄棒にふさわしいステンレスの棒を1本購入して帰りました。家の庭にある大人用の鉄棒にこの棒をくくりつけて臨時の鉄棒を造ってやろうと思いました。ちなみに高さを計るため近所の小学校へ出かけ運動場で鉄棒の高さを孫の体で計ったついでに、鉄棒で早速特訓をしました。孫朋樹はいつの間にか吊り管渡りができるようになっていて、わが家の柱も器用に上れるのです。腕の力はできているのですが、何度やっても逆上がりはまだできないのです。今日は簡易の鉄棒を庭に造って早速特訓に入る予定ですが、はてさて夏休み中にできるかどうか・・・・。
(鉄棒工事をする親父)
(あっという間に出来上がった低鉄棒)
(出来上がった鉄棒で練習をする朋樹)
「逆上がり すれどもコツが 飲み込めず 手に豆出して 孫は頑張る」
「二千円 出してステンの 棒を買い 自宅の庭に にわか鉄棒」
「爺馬鹿 孫と一緒に 鉄棒に すがって見本 お目々回って」
「汗をかき 残暑厳しき 校庭で 鉄棒黙々 夕日が照らす」