○久しぶりに煙会所での集会
昭和51年に青年の船で建国200年のアメリカへ渡ってからもう34年が経過しました。アメリカで受けた衝撃的な異文化ギャップや価値観の変化によって、わたしは様々な取り組みをして大きな成果を得ました。まさにカルチャーショックの旅でした。そのひとつに煙会所建設がありました。青年を育てるにはたまり場が必要と、家の横に施設公民館を建てようと思いついたのです。若いころの想いは突拍子もなく、また何のためらいもなく行動に移すことです。早速自分で設計図を引き妻の止めるのも聞かず予算7万円で始めました。当時は町の教育委員会で社会教育主事をしていたこともあって青年たちの協力を存分に受けることができました。また親父の物心両面の協力も大きな存在でした。僅か4畳半の囲炉裏を切った小さな庵でしたが、完成後は様々な人を迎え入れ、特に町に宿泊施設がなかったことも幸いして、宿泊所兼ミニ集会所兼、居酒屋のような場所として活発な活動を行ってきたのです。双海町の青年教育も、地域づくりもこの場所が火種となって広がりました。特に夕日による町づくりはまさにここが震源地だったのです。
5年前に人間牧場を作ってからは人間牧場に活動の軸足が移りましたが、人間牧場構想も煙会所教育の延長線上にあって、すみ分けや使い分けをしていましたが、人間牧場に気を取られて分だけ煙会所の使用は少なくなり、今はむしろ私を訪ねてくる人たちの打ち合わせ場所としての利用が増えているのです。
昨日も人数が少ないものの3団体がやってきて、囲炉裏を囲んだ話し合いが持たれました。特に夜7時30分から始めた年輪塾の打ち合わせは、煙会所の名前にふさわしい狼煙を上げる集会でした。集まったのは年輪塾の塾頭清水和繁さん、小番頭松本宏さん、塾生第一号浜田久男さん、それに塾長の私の計4名でした。
年輪塾は人間牧場で開いている塾ですが、今週11月7日(土)に、ノンフィクション作家の佐野眞一さんを迎えて公開セミナーを開こうと計画しているのです。既にそのプログラム原案は出来上がっていて、その詰めをしようということになりました。集まった3人は私を除けば見識のある連中なのであうんの呼吸ですんなりと話が進み、未定だったパネラーの一人も決まっていよいよゴーサインが出るところまで漕ぎ着けました。
密談はとかく楽しいものです。思い切り夢の風船を膨らませ、大空を飛んでいるような錯覚になるのです。これまでにも無人島キャンプや丸木舟での瀬戸内海航海、夕焼けコンサートなど煙会所で話し合った密談が大きな行動と成果を生んできました。維新胎動といわれた京都近江屋のような、刺客に襲われることもない他愛もない話し合いではありますが、ワクワク・ドキドキするような予感を感じさせてくれました。
宮本常一に焦点を当てた一連の講座の集大成ともいえる11月の公開講座はいよいよ佳境を迎えます。後3ヶ月ほど、宮本常一に関する本をしっかり読んだりしながら勉強し、スキルをアップして臨みたいと思っています。
人間牧場に勝るとも劣らぬ私設公民館煙会所は今も健在です。
「久方に 囲炉裏を囲み 話し込む 酒も飲まずに お茶を濁して」
「新しき 集う場所でき 忘れてた 和みの場所の 存在するを」
「どれ程の 人と面談 したことか 囲炉裏の部屋は 今も健在」
「スイカ食い お茶を飲むだけ 下戸の会 湯呑持つ手が 不満言いたげ」