○美しい顔といい顔
私は最近、女性の顔を見る基準が少し違ってきたように感じるのです。これまで美人といえば吉永小百合や山本富士子(ちょっと古いかな?)などを連想して女性の顔を見ていたように思うのです。ところが最近はテレビの影響でしょうか、あれも綺麗これも綺麗と思うような顔立ちの人の顔を毎日のようにテレビの画面で見ているものですから、むしろそんな美人と呼ぶにふさわしい人よりも、例えは悪いのですが、頭に白いナプキンをキリリと締めてエプロンをつけ、一生懸命シーサイド公園のじゃこ天のお店で働くおばちゃんたちの方が、余程いい顔をしていることに気がつきました。おばちゃんたちはお化粧こそ身だしなみ程度ですが、額に汗して働く姿はまさに女の魅力を感じるのです。
私も知らなかったのですが最近の女優さんは顔に気に入らない部分があれば整形をして、元の顔が分らないほど造作をしていると聞きました。また高い化粧品をこれでもかと使うため、年齢はかなり高いのに、まるで少女のようなしわのない顔をしているのです。まあ顔は作り変えても首は嘘をつかないというように、首だけは整形のしようがないそうで、歳相応に老けてくるのだそうです。
私の妻はどうだろうとついついそんな目で見てしまいます。妻は貧乏性なのでしょうか、化粧品には殆ど金と時間をかけていません。ヘチマの化粧水程度のお化粧しかしないのです。それであの程度ですから、女優さんのような高い化粧品を使って時間をかけたら、吉永小百合や山本富士子以上になっていたのではないかと、亭主ゆえ妻の肩を少し持つのです。妻と同年代と思う女優さんが見た目美しいのは、やはり化粧や美顔のせいだと思えば納得もするのです。
さて私の顔ですが、石原裕次郎には少し劣るし、渥美清よりは少し上だと思っていますが(笑い)、妻は私のことを分相応ないい顔だといいます。他の人はどうであれ40年近くも連れ添った相手なので、諦め半分でいうのでしょうが、他人の誰に褒めてもらうより(他人は誰も褒めない)妻にいい顔だと言ってもらうのが一番なのです。
ある人が「男も女も一日に一回は鏡に向かって自分の顔に語りかけなさい」と言っているのを聞きました。その人が言うのには、いい顔の基準は微笑みだそうです。気がかりなことがあると人間は直ぐ顔に出ます。悲しければ悲しい顔をするし、嬉しければうらしい顔になるのです。いつも頭に嬉しいことをイメージすれば微笑みをたたえたいい顔でいられるのです。
志村けんというお笑い芸人がいます。顔を真っ白に塗ってバカ殿様を演じる様子は度が過ぎてバカバカしく思われますが、いい顔のモデルはこのバカ殿様の顔だそうです。顎をアントニオ猪木のようにして、頬でほおずきを含むような顔をすると口元がほころび目じりが下がるのだそうです。一度やってみましたが、醜い顔が余計醜い顔になったものの、いい顔の基準である笑顔の顔が出来上がりました。
いい顔になるにはやはり顔は心の鏡であるのですから、いい心にならないといい顔にはならないという結論に達するのです。
「いい顔に なるため鏡 向かい合う 笑顔絶やさず いいこと思う」
「高校生 大きな鏡 バックから はばかることなく 顔にお化粧」
「化粧品 いくら塗っても いい顔は 出来ぬのだから 金はかけるな」
「俺の妻 ヘチマ水でも 美しい いい顔してる 私が褒める」