○誤字脱字のご指摘
毎日あくせくしながら日々を過ごし、朝と夜の少しの時間を割いてブログ「shin-1さんの日記を書いていますが、時々出会う人から、「ブログを毎日楽しみに読んでいます」とか、「あなたには中々出会いませんがブログを読んでいるのでどんな生き方をしているか手に取るように分ります」といわれます。中には読んだ感想を定期的にメールで送っていただく人もいます。またある人は「毎日職場であなたのブログを開け読んでから朝礼に望むようにしています。時々書かれていることを素材にして部下に話すようにしています」と、汗顔の思いをすることもしばしばです。
先日大洲に住む知人女性から一枚のハガキが舞い込みました。私はこの女性とは長い知り合いで、合併前の町村役場に勤務している頃に知り合いました。合併のドタバタ騒ぎや私がリタイアしたこともあって、何処の職場にいるのか分らなくなっていましたが、一昨年宇和島で開かれた愛媛県市議会事務局職員の研修会に招かれた折、偶然にも出席されていて、嬉しい再会を果たしました。今は合併した市役所の議会事務局に勤務していますが、時折季節の話題とともに、私のブログ文章の感想と誤字脱字についての感想を送ってくれるのです。一昨日届いたハガキは大洲城のスケッチ絵ハガキでしたが、几帳面な性格そのままにまるで活字のような綺麗な文字で書かれていました。
前回届いたハガキには私のブログの文章の誤字脱字への見解が書いてあったものですから、気になってそのハガキを机の上の小さなイーグルに入れて飾り戒めにしていましたが、返信を忘れていたので時ならぬ時期にしたためたハガキへの返信でした。
私はハガキの末尾に色々な言葉を書く癖があります。彼女への返信ハガキに何を書いたのかは忘れましたが、文章から察するに「逢う人も逢う人もまた福の神」と、広島県上下町に住むユースホステルの森岡ママからいただいた言葉を書いていたようです。
彼女は博学ですからその言葉を受けて面白い言葉を送ってくれました。
福の神 元をただせば 貧乏の 神がおいおい 出世したもの
いやあ気に入りました。早速昨日のハガキ三枚には「大洲の友人女性からの贈り物」と注釈をつけて書きました。なるほど福の神も元を正せば貧乏な神だったのか、自分の生い立ちも福の神に似ていて、未だ貧乏神の領域さえ抜け出していないものの、多少福の神になったような気分で生きているのです。
誤字脱字のそしりは未だに暗いトンネルの中に入ったままです。なにせ毎日が忙しく、書いた文章を読み返すような暇が残念ながらないのです。自分の文章といいながらブログという手段で書くと公表され、批判を受けることは覚悟しているものの、甘んじてその批判を受けなければならないのです。誤った変換をしたパソコンのせいにしたりしてますが、もうそろそろしっかりとした文章を書き、しっかりと読み返して添削したり修正するようになりたいと、今朝も彼女の手紙をイーグルに入れ替えて机の上に置きました。
彼女の名前も本当は書きたいのに個人情報とかで書けない恨みもあり、少しもやもやの文章になってしまいました。
「貧乏な 神が出世の 福の神 俺は未だに 出世見離す」
「誤字脱字 お前が悪いと パソコンに 八つ当たりする 逃げ道作り」
「あちこちに 知人友人 散らばって 何かにつけて 私を見てる」
「送られし ハガキに書いた 言葉から また一つ智恵 上乗せしつつ」