○門を閉じた学校
最近気になることの一つに、学校の門が閉じていることがあります。門は普通中に人がいれば開けているものですが、今は学校も個人の家もセキュリティの関係で閉じているのです。確かにこの数十年で日本の社会は大きく変わりました。何の関係も恨みもないのに行きずりで殺されたりするのですから、これが世界一安心安全な国だろうかと疑るのも無理からぬことなのです。
最近まで学校は「開かれた学校」を目指していました。ゆえに積極的に地域の人を招き入れ、その人から多くのことを学ぼうとしていたのです。しかしその目論見は相次ぐ不審者の学校乱入によって脆くも崩れ、最も安全なはずの学校が門扉をつくり、今では防犯カメラまで設置して、過敏過剰とも思える備えをして子どもたちを守っているのです。青少年を巡る事件事故が起こる度に学校関係者はマスコミに対し深々と頭を下げ、直接学校の責任でもないのに、何故か詫びる姿を随分見てきました。
先日相次いで地元の中学校と小学校の評価委員会に招かれ出かけて行きました。5~6人の指名された委員さんと校長・教頭・教務主任くらいの人数で、前もって行った教員・保護者・児童生徒・地域に対するアンケート調査の集計結果に対する評価検討を行ったのです。詳しいことは公表も出来ませんし、いずれホームページなどで明らかにされるのでしょうが、かなり微細な調査で、調査から様々な課題も見つけられたようです。
正直言ってこんなことでもないと、私たち一般市民は学校の門をくぐることは余程のことがない限り余りなく、唯一学校へ足を運ぶのはPTAと世代交流を目論むおじいちゃん・おばあちゃん、それに運動会や学習発表会などのイベントしかないのです。
私は双海町の学校百年の長い歴史の中で、双海町最後の教育長として5つの学校に門扉を設置した人間です。開かれた学校といいながら門をつけるジレンマに悩まされつつ、仕方ナシの選択でした。でも学校の安全を確保するために作ったはずの門扉は、安全という名の元に最近は開かずの門になろうとしているのです。校長先生はじめ余程の気持ち的開放がない限り、あの門を開けてまで学校へ入って行く勇気は残念ながらないのです。先日も不躾で素朴な質問ながら、「先生、学校へ入りたくても学校へ何処から入っていいのか分りません」とお話しました。「いつでもどうぞ」というけれど、まるで不審者のような顔をしている私だと、確実に門前払いされるのが落ちなのです。
今年の春、ある小学校へ所要で出かけました。春は先生の異動の季節です。真新しい気持ちで赴任してきた先生の目には、校門近くで校門の開け方が分らずウロチョロする私は完全に不審者と映ったのでしょう。「そこの人、学校に何か御用ですか」と大きな声で怒鳴られました。「若松という者ですが、校長先生にお会いしたいのですが」と言うと、「アポを取っていますか」「商談なら放課後にして下さい」とまたまたつっけんどんにされました。この先生の対応はマニュアル通りで何ら問題はないのです。校門近くでの騒々しいやり取りを見て取った教頭先生が私を見つけ、「おいあの方は若松さんじゃが」で一件落着、中へ入れていただきました。無名でしかも私のようなリタイア組の値打ちのない人間ですから、当然といえば当然なのです。教頭先生も校長先生も、勿論私を不審者と勘違いした新任先生も恐縮していました。
私でさえといえばご幣がありますが、一般の人なら押して計るべきことだと思いながら、門を閉ざさなければならない苦悩と開かれた学校づくりを目指さなければならないギャップを感じつつ、アンケート調査に対する疑問も感じたりしました。
評価委員になって子どもたちを見る目と接し方が随分変わってきました。朝夕のあいさつも前以上に親しみを込めて磨るようになりましたし、子どもたちの明るい笑顔やあいさつがとても嬉しく感じられるのです。これからも、評価委員お仕事が終わっても、学校は地域の宝として見守ったり関わって行きたいものだと思いました。
「子も孫も 通わぬ学校 行く当ても ないから遠のく だけど行きたい」
「あんた誰 わしも無名だ 先生に 不審者見られ しどろもどろで」
「学校の 門が閉まって 問題だ 門は問でも 悶々違い」
「あちこちに 草の生えたる 運動場 子どもの数か 外で遊ばず」