shin-1さんの日記

○ハモの骨切り調理

 昨日は朝から忙しい一日でした。前日親類の漁師さんから沢山魚を貰いました。こちらの地域には下灘という漁村があって、私はそこで生まれているのです。ゆえに「若松」という名前はその漁村に多く、元をたどればわが家が本家なので、盆や正月になると親類から本家へお魚が届くのです。親父が漁師を辞めてからもう20年、私が漁師を辞めてからはさらに長く、もう40年近くが経っているというのに、漁師さんは律儀なもので、その風習を今もきっちり守っていて、時折魚を取りに来るよう連絡があるのです。漁村では「魚獲り」といって、盆や正月、結婚式や出産祝い、進水式などの門日になると、親類縁者が休みの日に漁協から出漁の許可を得て市場に出さない自家用の魚を取りに行くのです。一昨日はその日だったらしく、一隻の船がアマギという魚を大漁したようです。魚獲りで売れないため親類のわが家へ電話が入りトラックで取りに行きました。

 今水揚げされたばかりのアマギ(普通のスーパーではシズという魚名で売っている)は少々小ぶりでしたが、近所におすそ分けせよと3箱もいただきました。またそれとは別に腕首ほどのころあいなハモを1箱、鯛を2匹いただいて帰りました。さあそれからが大変です。近所へ配ったり友人の家に持って行ったり、また長男の職場の人に差し上げるべく息子と途中で出会ったりと、トラックの荷台の魚をまるで行商のように配り歩きました。本当はその夕方わが家用に残ったハモの料理をしなければならなかったのですが、午後4時過ぎから肱川町の夜神楽を見に行く予定があったため、氷をしっかり詰めて発泡スチロール保存していたのです。

 昨日の朝は迎え火を焚きお料具御膳を作る妻と、ハモ料理を担当する私が早朝から全開です。包丁を3本砥石で研ぎすまし長いまな板と千枚通しを用意して、外の流し台で格闘しました。発泡スチロールは偉いもので昨日の氷はまだ残っていて完全な形でした。ハモは夏の魚です。京都の夏を彩る魚のため今が旬のハモは高値で取引されているようですが、10本ものハモを気前よくくれるのですから嬉しい限りです。ハモは普通の家でいただいても料理が出来ないと食べれないのです。背開きにおろして内臓と背骨を取り、綺麗に水洗いしてから氷水に漬けます。そして順番に2~3ミリ間隔で小骨を切って行くのです。この作業がハモ料理の醍醐味で、切り過ぎても切り足らなくてもいけないのです。よく切れる包丁だと小骨は面白いように綺麗に切れるのですが、包丁が切れないとぐじゃぐじゃになってしまうのです。私はまだ未熟で、調理師の資格を持つ従兄弟などはまるで花が咲いたように等間隔で綺麗に切りそろえるのです。

 妻が途中で仕事に出かけたため私が一人調理を続行しました。大きい目の背骨を小切りにしハモの内蔵から白子を取り出しボールに入れ、骨切りの終ったハモはパレットに並べ2時間近くもかかってやっと終了です。ラップをかけ冷蔵庫に収納してやっとハモ料理は終了です。朝からえらい働いたような気持ちになりました。

 夕食はハモ料理でした。暑いのに食卓にガスコンロと土鍋を置いて、ハモのしゃぶしゃぶです。小切りしたハモは沸騰したお湯の中に入れるとまるで白い花が咲いたようになり、用意したポン酢や酢味噌、醤油につけて食べますが絶品でした。本当は梅酢で食べるのですが昨日は忙しくて間に合いませんでした。今日あたりはスーパーで梅肉を買って来て食べたいと思っています。

 食事の締めはしゃぶしゃぶで出来た汁にご飯を入れ溶き卵とネギを散らして雑炊の完成です。暑いのにフーフーいいながら妻と二人で汗をかき、ハモ尽くしの料理を堪能しました。いやあ久しぶりに美味しいご馳走でした。既に半分以上は冷凍庫に収まりましたので、ハモの天ぷらや湯晒しが当分は食卓を賑わかせてくれることでしょう。未熟な私の料理ながら骨も十分に切れていて、妻は私を褒め殺しです。天狗になった私はまたいやいやながら次の機会を狙っているようです。

  「ハモ料理 見よう見まねで やってみる 妻が上手と 褒める嬉や」

  「白雪の ようになりたる ハモしゃぶを 美味い美味いと いいつ二人で」

  「梅肉の 替わりにポン酢 酢味噌つけ 夏旬ハモを 夫婦楽しむ」

  「質素だが 妻の料理の 有難さ 健康維持は 妻のお陰か」 

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