○遠い花火のほろ苦い思い出
夏になるとあちらこちらで夏祭りと称するイベントが行われています。愛媛県内では合併しても久万高原町のように海を持たない町もありますが、殆どの市や町では合併によって海を有するようになりました。夏といえば海と連想するように、私たちの町でも海沿いは海水浴の人たちで連日賑わっているようですが、やはり夏祭りとなると想像を超える人たちでごった返すのです。そのピークは7月20日(日)、27日(日)、8月3日(日)、10日(日)、17日(日)のようですが、合併しても旧市町村の夏祭りイベントは旧態依然として行われていて、どうやら8月3日と10日がピークのようです。
夏祭りといえば何といってもそのメインは花火ですが、行政の財政的台所事情が悪いため、花火はもっぱら寄付に頼っていて、その寄付も最近景気が思わしくなく集まりにくいという話を聞きました。私もかつては観光協会の事務局長として花火の運営に深く関わり、寄付を集めた当事者であるだけに、人毎とは思えないのです。
昨日孫とある店に立ち寄ったら、記念にと花火のセットをいただきました。私たちが子どもの頃、花火は高価なもので小遣い銭で買うことは中々出来ませんでした。雑貨屋の店先で線香花火や小さな花火を買うのがやっとだったようでした。最近は100円ショップやスーパーなどに行くと、子どものおもちゃコーナーにはセットにした様々な花火が安く買い求めることが出来るのです。昨日孫が貰った花火もそんなものでしたが、孫にとっては飛び切り上等なプレゼントに思ったらしく、夜になるのが楽しみで、寝る前にそのことを思い出して花火をしようと強請るのです。仏壇からローソクを一本取り出し、暗くなった庭の隅に立てました。暗闇に小さなローソクの光が明るく照らし幻想的な雰囲気です。花火の燃えカスを入れるブリキのバケツを用意してさあ花火の開始です。
わが家には昨年の夏やり残した花火もあって、湿気ているかも知れないと思いつつ、貰った花火を後回しにして、古いのから始めましたが、火の点きは少々悪いものの十分使えるようでした。孫も早5歳です。昨年までは恐る恐るでしたが、今はすっかり大胆になって、危ないと注意をしても花火をぐるぐる回したりして大はしゃぎのようでした。青白くも強烈な光と煙が出る花火の魅力は幾つになってもいいもので、私も妻も帰省中の三男も童心に帰ったような心境ででした。
しかし庭先でやるこの程度の花火ならば何ら問題ではないのですが、住宅事情の悪い現代では、マンションなどでの花火が禁じられているため、ついつい公園などでの花火となって様々なトラブルの原因となるのです。
花火のトラブルと聞いて思い出すのはシーサイド公園が出来た当初のころのトラブルです。ある晩わが家へ近所の人から電話で苦情が寄せられました。花火で寝れないというのです。行って見ると深夜にもかかわらず数人の若者が花火に講じていました。私はその若者たちにことの仔細を説明し、自分たちの楽しみのために人の安眠を妨害してはならないと諭したのです。若者たちにとって公園で花火をすることは、人への迷惑など何の疑いも持っていないもです。このトラブルは一年間後を立たず私と近所の人の不信感は益々募りました。結果的には深夜のパトロールをガードマンを雇って強化して収まりましたが、難儀な解決への努力でした。
県内海水浴場のあちこちではこうしたトラブルが後を絶たず、その都度行政と住民の対立へと発展するケースがあって、今も夏になるとそのことで悩んでいる地域は多いようです。
「おじいちゃん明日も花火をしよう」と孫と約束しましたが、孫たちは今晩は家へ帰って行きます。次に来た時も隣近所に迷惑をかけない程度の花火を楽しませてやりたいと思いました。
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ご無沙汰しております。伊方町のあさのおさむです。4月、国立大洲青少年交流の家から伊方町立三崎中学校へ異動しました。
交流の家当時は、定期的に若松さんにお会いし、叱咤激励していただきましたが、今は遠くなってしまいました。
とは言え、進一ブログ愛好家として今でも楽しみに読ませていただいています。 ますます熱く、パワーアップしておられる若松さん。 僕の目標ですが、全く近づきません。どうやら、違う路線で歩まなければならないようです。
今年度中には、金銭教育あたりでぜひ若松さんに三崎中学校にも来ていただきたいものです。
暑い上、超多忙な若松さんですから、どうかお体を大切にされてください。