shin-1さんの日記

○暑中見舞いから残暑見舞いへ

 人に会えば「暑いですねえ」という言葉で始まるあいさつを聞く度に、今年の夏の暑さが尋常ではないことを感じさせます。愛媛県内の市町では連日愛媛県一とか全国一とかいう記録を誇らしく報道しており、私の親父も「今までで最も暑い」とか、「この暑さは死にそうだ」と、おっこうな表現言葉を発しています。昔は「暑さで死んだ人はいない」と言っていましたが、どうして近頃は熱中症で死ぬ人も出て、親父の表現言葉もまんざら嘘ではないようです。

 一昨日の8月7日は盛夏なのに何故か暦の上では立秋だそうです。気の早いマスコミは早くも秋の話題と称してススキやナシ狩り、稲刈りの話題をスクープしていたし、早くも秋物洋服の売り出しなんて言葉が新聞チラシにちらほら見えるようになっています。

 私の元へ届くハガキは今のところまだ暑中見舞いですが、週明けの来週辺りから残暑見舞いに変わることでしょう。このように日本人の暮しと季節は密接に関係しているのに、人々の暮らしは新暦、時候は旧暦で動くので、「あれ?」と思うように微妙なズレが生じています。例えば夏の暑い盛りを示すお盆もまだ来ないのに立秋です。多分本当の秋とは、残暑も収まった9月23日の秋分の日くらいが丁度いいのではないかと思ったりするのです。

かくいう私も毎日3枚書く葉書には昨日から「残暑お見舞い申し上げます」と書きました。

 それでも季節はよくしたもので、先日までは7時半頃まで明るかった日暮れも、今は7時過ぎくらいには薄暗くなり始めたし、朝晩入る窓からの外気も軽めの布団を一枚羽織らねば寒いくらいになってきました、また毎日晴天だった天気も、最近は夕立が降ったりして「ああ季節が変わりつつある」と実感するのです。

 今日今年になって始めて警察官になっている三男が赴任地から夏休みをいただいて帰って来ました。昨年生まれた甥子にはまだ誕生間もない一回しか顔を見ていないようですが、今では5~6歩歩くまでに成長した姿にビックリして目を細めていました。時の流れの早さを感じたようです。久しぶりに帰った息子は、毎回の事ながら今回は親父に饅頭を土産に買ってきたようです。玉川の饅頭が美味しいとかで、わが家にも沢山買ってきました。親父は何時もの事ながら孫の土産にことの他喜び、孫の縁談を勧めて欲しいと私に懇願しました。親父に言われるまでもなくまだわが家には次男と三男がまだ未婚です。何とかと親が思ってもこればっかりは本人がその気にならないとどうすることも出来ないのです。看護師をしている次男は女性主流の職場なのに何故と思い、警察官をしている三男は出会いが少ないのだから仕方がないと都合のいい理由をつけて出来ない理由にしているのです。

 昨日お寺から明日の朝8時半、棚業に行くと連絡がありました。わが家には備え付けの仏壇がありますが。お盆には祖父母が亡くなった折買い求めた簡易組み立て式仏壇があり、春と秋の2回押入れにしまっているのを取り出して組み立て、お料具やお供え物をします。また歴版の入った位牌を仏壇から移し、送り火で先祖の霊があの世帰る時まで、この仏壇に置いて朝な夕な拝むのです。

 今日は松前の叔母の家へ初盆の仏事に夫婦揃って出かけました。仏事も宗派やお寺によってそれぞれやることが違って、焼香や念仏の唱え方も戸惑うことが多く、右往左往の有様です。叔母の家は親父の弟であるため新宅で、仏事には慣れておらず、叔母の長男夫婦もかなり戸惑っている様子でした。

 こうして色々な行事や歳時記の中で、知らず知らずのうちに季節は巡って、人間は歳をとってゆくのです。

  「暑中から 残暑に変わる 暦かな ハガキは敏感 立秋境に」

  「マスコミは どうして早く 映したがる 早くも稲刈り テレビが伝え」

  「夏盛り セミも賑やか なぜ立秋 まだまだ秋は 名ばかりににて」

  「初盆の 仏事夫婦で 列席す 坊主頭に 汗の光が」

 

 

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