shin-1さんの日記

○ホタルを愛した友人の死(福岡親一郎さんを悼む)

双海町の上灘川に生息するホタルは、ある時期絶滅したのではないかと思うほど激減していました。原因は特定できませんが地域の特産品であるみかんの最盛期は、見た目の美しさを追及する余りに何の疑いもなく農薬をかけ、耕して天に至ると形容されたみかん畑から多くの農薬が川に向って流れ込んでいました。又人々の暮しの近代化によって各家庭の台所から出る雑排水も川に流れ込みました。そうした諸々の原因が複合的に絡み合い

川に住むホタルはいつの間にか姿を消していたのです。

 しかし若者たちが中心になってホタル復活運動が起こり、その運動は地域ぐるみの大きなうねりとなって見事にホタルが復活し、環境庁ふるさと生きものの里百選に選ばれるなど、地域づくりの大きな成果を上げてきたのです。その中心になった人々の中に福岡親一郎さんがいました。彼は若い頃から地元のタクシー会社に就職しタクシーの運転手をしながら、ホタルの保存運動に取り組み、ホタルの増殖活動や普及啓発に大きな足跡を残しました。福岡さんはその後タクシー会社を辞め土木業の会社に勤めましたが、ホタル保護活動はその豊富な経験を持って絶えずリーダーとして活躍してくれていたのです。しかし昨年暮れ辺りから体調を崩して通院・入院となり、8月1日に亡くなったのです。

 病院に一度だけ見舞いに行きましたが、そのころは入院中とはいいながら未だ元気で、「元気になって早く帰り、みんなでまたホタルの活動を始めようぜ」と握手をして分かれたのでした。

 歯に衣を着せぬ口調は滑らかで、酒も好んで飲みました。私もホタルによるまちづくりに深く関わっていたため、深夜まで盃を酌み交わし議論を戦わせましたが、親ちゃんの愛称で呼ばれた彼の早過ぎる死は惜しんでも余りあるものがあるのです。

 今日は葬儀が伊予市にある葬祭場であり列席しましたが、奥さんや子どもさんのこともよく知っているだけに、何と言葉をかければいいのか迷うほどでした。和尚さんの読経や引導の儀が終了し、最後のお別れの時お顔を拝ませてもらい花を手向けましたが、180センチもあった大柄な彼のかつての姿はなく、細く痩せていたゆえに辛くて辛くて涙がこぼれました。この上は心から冥福を祈るばかりです。

 福岡さんの功績は上灘川にホタルを呼び戻したこともさることながら、近隣市町村である松前町へホタルの指導をしたことも特質されます。その橋渡しを二人でやったので、余り人に知られていませんが、伏流水の池にホタルを飛ばそうと何度も足を運びました。

 人は誰もいずれ死ぬ運命にあります。早い死、惜しまれる死など色々ですが、福岡さんの死は早い死、惜しまれる死かも知れません。6月7日に恒例のふたみホタル祭りが開かれた折、一時帰宅して車椅子でホタル祭りを見学に訪れていたいたそうですが、あいにく私は岡山県笠岡市へ出張していて顔をあわせることが出来ませんでした。出会った人の話によるとかなり痩せていて、一応に驚いたという話を聞きました。

 今年は彼のこんな姿をホタルは予期したのか、例年になく多くのホタルが乱舞しました。彼にとってこれが最後のホタルとなったようですが、彼の目にホタルはどのように映ったのでしょう。この上はホタルの光に導かれながら天国へ行って欲しいものです。ご冥福を心からお祈りします。

  「田舎にて ホタルを愛した 男死ぬ 乱舞見届け ホタルとともに」

  「プラスワン ホタルに思い 寄せながら 短い命 ついに消え去る」

  「死に顔に どこかホタルの 匂いする 花に埋まった 友に別れを」

  「また一人 仲間が死んで 消沈の 夏は盛りと セミの鳴き声」



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