○隣町の花火
昨夕は娘が子どもを連れてやって来ました。孫朋樹が夏休みになって週末には必ずといってよいほどやって来るので、わが家は週末になるとかなり賑やかです。特にやっと3~4歩歩き始めた孫尚樹はわがまま盛りで、言葉が言えないため、自分の考えを指先とオットセイのような声で知らせようとするのですが、これが母親以外には伝わりにくく、お茶が欲しいのに外へ連れて行ってみたりまるでチグハグナのです。でもすっかり私たち夫婦の顔も覚えてもらい、お疲れモードの娘に代わって少しの子守援助をしているのです。
昨日は一昨日人間牧場で開いた年輪塾で夜更かしたせいもあって、昼食後1時間ほど午睡を楽しみましたが、夕方騒々しい集団の襲来でわが家のテンションは次第に高まりました。妻は孫たちのためにコロッケと餃子をたっぷり作ろうと計画してジャガイモを茹でタマネギをミンチにしたりしていよいよ仕上げのところになっての来訪だけに、大忙しの夕暮れとなりました。
それでも娘が加勢し、わが家の家庭菜園で収穫した素材を使って作った餃子もコロッケも凄く美味しくて最高でした。このところの猛暑で家族の食欲は減退気味ですが、こうして気を配った質素ながらも美味しい料理を毎日食べれるのは有り難い事なのです。
最近は貧乏人ほど安物に手を出して体を壊し、逆に金持ほど少々お金を出しても体にいいものを食べているそうです。昔は健康は貧乏人の代名詞でした。私たちはその最たるもので、イモや煮干し、麦ご飯などを主食として少年時代を過ごしました。質素な食事ですから体に余分なものが入らず、肥満な子どもなど私たちのみの周りの田舎には殆どいませんでした。大人も同様で今みたいに肥え気味な人は殆どいなかったように思うのです。一方都会の人は白いご飯と肉などをたらふく食べ、羨ましくも幸せそうに見えていましたが、色白の半病人的なひとが目だっていたように思うのです。
ところが日本中が中流になったとはいいながら格差社会で、都会の裕福に比べると田舎の経済的に低いようで、安いものに手を出す機会も多いようで、都会の人の健康にいいものを高くても食べる暮しとは価値観が違っているのです。
私は田舎に暮らしていますが、肉などは体調を崩してからは殆ど食べなくなりました。塩分・糖分・脂肪分の少ない、しかも家庭菜園で作る野菜を中心にしているし、玄米食を心がけているので、すこぶる体の調子がよく、腹もよく減るし間食を殆どしない食生活に感謝しているのです。
昨晩は腹減らしに隣町大洲市長浜町の花火を見に出かけました。8時に家を出て8時20分に到着し、知人のお医者さん宅の駐車場に車を止め、商店街を花火の会場となる赤橋まで歩きました。途中顔見知りの人に声をかけたりかけられたりしながら、ライトアップした赤橋のたもとにある河川敷広場に行きました。孫を伴って私たち夫婦3人の花火見物です。広場には屋台が並んでいてかなりの人が川沿いにゴザを敷いて、8時30分からの花火を待っていました。やがて電気が消され、花火のスタートです。川面に浮かべられた2隻の台船からは仕掛け花火が、通行止めになった赤橋からは打ち上げ花火がそれぞれ見事に打ち上げられました。
長浜は私たちの町に比べると合併したとはいえ大きな町です。花火も数や質ともにスケールが大きく、久しぶりにいい花火を堪能しました。孫朋樹は夜店で発光体で光ものを買ってもらい、そのことが気になって花火などはそっちのけでした。花火は30分余りで終了し、帰途に付きましたが交通混雑もなく家路を急ぎましたが、孫朋樹は車の中で眠ってしまいました。
現職の頃は忙しくて他の町の花火など見る時間的余裕や心の余裕もなく働いていました。妻は他の人のように夫婦で花火を見るのが夢だったそうで、今はその夢が叶って嬉しそうでした。
「手づくりの 餃子コロッケ 食べられる これを至福と いうのでしょうか」
「安ければ 良かった時代 過ぎ去って 今は体に いいもの食べる」
「二人して 花火見学 夢だった 妻夢叶い 孫と三人」
「金の量 これで決まりの 花火かな 俺の町など 質素なものよ」