shin-1さんの日記

○宮本常一生誕101年の集い・年輪塾

 人間牧場が開設されて3年が経ちました。その間名前の奇抜さや好奇心もあって多くの人が人間牧場に訪ねて来ていますが、愛媛新聞に人間牧場が紹介されて間もなく一人の男が人間牧場への入塾申請書を持参して人間牧場へやって来ました。彼は旅客船会社のに務めていて、その仕事柄双海の夕日の写真をパンフレットに使いたいので借用したいと、申し出があって以来、営業の途中で立ち寄ってくれたりしながら、自分のルーツが双海町と深いつながりがある事を打ち明けたりして旧交を温めていました。そんな細くも長い付き合いもあったので、いずれは考えたいと思ってはいたものの、塾を開く時間的余裕もなく3年が過ぎました。しかし何人かの入塾希望者がいて、余り自信もないまま年輪塾の看板を揚げる事になったのです。故事来歴まではいかなくてもそんな経過があるものですから、塾開講の折には彼を塾生第1号にしようと決めていました。やがて日々の仕事が忙しく準備も整わぬまま、昨日はとりあえず私を含めた10人で第1回の年輪塾を始めました。


 というのも、昨日は8月1日です。年輪塾が目指す志の中に民俗学者宮本常一の生き方があるので、急遽宮本常一生誕の日である、しかも生誕101年目のこの日を選んで開塾となったのです。普通開塾は塾長や塾長がその想いを塾訓や塾是として詳しく述べるのでしょうが、そんな用意も未だ出来てなく、第一回の講師を事もあろうか外部講師でなく、塾生第1号の浜田久男さんにお願いしました。浜田さんはご存知の人は少なかろうと思いますが、宮本常一の研究家です。宮本常一の本を何冊も読んで、既に宮本常一の足跡を訪ねる旅にも出かけ、関係者と旧交を温めながらかなり詳しい資料を収集し、また宮本常一につながる人たちをかなり多く知っているのです。

 塾頭の清水さんや塾生の松本さんと相談をしながら開講の準備をしました。と同時に浜田さんに持ち時間は1時間という約束で講義の準備をお願いしました。彼にとっては宮本常一を人前で講義するのは初めてのようでしたが、僅か10日余りの間に身辺にある宮本常一の関係蔵書を人数分コピーしたり資料を作成したりと、忙しい仕事の合間を縫って準備をしていました。その様子は私に入るメールで気負いと負い目として読み取ることが出来ました。

 昨日は社会教育主事養成講習の講義を頼まれて、午前中愛媛大学に行っていたので、伯父の病院見舞い予定もあって、県立中央病院のロビーで待ち合わせる事にしました。用件が早く済んだので午後1時に病院へ入りましたが、彼は既に何やら重い荷物を持ってロビーの椅子に座って私を待っていました。見舞いを終らせるからと断りを入れてエレベーターを使わず5階西病棟に駆け上がり、病室での見舞いとなりました。伯父は片目にガーゼを張られ、少し弱々しく感じられましたが予想以上に元気で、少し話しておいとまをしました。

 ロビーにいる浜田さんに、「荷物が多いようなので車を駐車場から出しますので、玄関先へ移動して下さい」と促し、注射料金150円を支払って玄関先に車を止め、トランクを開けて荷物を積み込みました。「浜田さん海外旅行にでも行くような凄いお荷物ですね」と皮肉るほどの沢山の荷物はどうやら本らしく、その重さが伝わってきました。世間話をしつつとりあえず我が家へ案内しました。滅多にかけない客間の冷房をかけ、二人で雑談しながら昼下がりの時間を過ごしましたが、やがて浜田さんはやわら本と資料を取り出し、塾長である私への事前講義が始まろうとしていました。私はその様子を察して丁重にお断りをし、夜の飲み会用として、畑へトウモロコシを取りに行き、皮を剥いで茹で始めました。そのうち妻が仕事先から帰り、寸暇を惜しんで肉や野菜の準備をしてくれました。やがて4時になったので二人で人間牧場へ出かけました。到着した牧場の暑さは相当ながら、二人で掃除機をかけたり周辺の草引きをしたり、汗をかきながら労働をしました。浜田さんはランニング姿になって塾生らしくかいがいしく働きましたが、これまで酒を飲んだ勢いで草刈りをすると言った仲間は誰一人働いていませんが、草を引いてくれたのは、少年少女おもしろ教室のスタッフ以外は浜田さん以外にはなく感謝の気持ちでいっぱいです。

 午後6時の待ち合わせに間に合ったのは浜田さんの同級生池内さんと松本さん、米湊さん、高知県四万十市から参加の和田さんでした。清水さんとセンターの武智さん、それに大河内さんは三十分以上遅れての到着、兼頭にいたっては2度も来ている場所なのに40分間も山中で迷ってのたどり着きとなりました。とりあえず夕日が絶妙なタイミングで美しく見えたため、夕やけ鑑賞会をして、約1時間弱遅れの開講となりました。

 浜田さんは用意した資料を私が落伍高座に使っている魚梁瀬杉の切り株の上に並べ講話をし始めました。この日の講義内容は宮本常一の愛媛県の足跡をたどることと宮本常一の生い立ちに焦点が当てられました。少し汗をかいていた口調も次第に滑らかになって、極めて順調な、失礼ながら予想以上の話で、第一回目の重責を見事に果してくれました。さすが宮本常一の追っかけだけのことはあります。

 気が付けば私は朝が早かったため朝は牛乳一本でした。昼は浜田さんとの出会いで昼飯を食いっぱくれていました。腹が減るはずです。交流会はホッとプレートでの焼肉となり、大河内さんがいなり寿司を沢山用意して持参していたので、しっかり5個も食べてしまいました。いやあ美味かったです。私は焼肉は余り得意ではないので、もっぱら野菜を食べました、飲むほどに酔うほどに話は盛り上がり、私と浜田さんと高知の和田さんが人間牧場水平線の家で泊まりました。午前1時ころまで飲みながら話し込みましが、私は少し疲れていてついウトウトし、4時に起床、朝焼けの海を見ながら物思いにふけり、起きてきた浜田さんと起した和田さんと3人で昨日の余韻を片付け、人間牧場を後にしました。今日は仕事という浜田さんを伊予市まで送り、年輪塾は一応終りました。

 追伸

   止む無く欠席した馬路村の木下さんからスーパーごっくんとポン酢が届き、おすそ分けして持ち帰りました。

  「常一を 語る準備で 揃え本 凄い研究 一目瞭然」

  「人前で 思いを語る 難しさ 汗をかきつつ 必死になって」

  「人は皆 経験積んで 強くなる 失敗だって する方がいい」

  「夜を徹し 酒を飲みつつ 夢語る 見上げた空に 天の川あり」

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